フォーライフレコード | PRAINSのブログ

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僕がまだ小学生だった1970年代初頭の頃に近所に住む友達の家に遊びに行くと

年の離れたお兄さんたちがたむろしている光景をよく目にした

彼らの風貌は男のくせに長髪でベルボトムのジーンズに

ピチピチのTシャツや柄物のシャツを着ていた

 

まだ世の中の事を何も知らない子供だった僕は彼らにちょっと違和感を感じていたが

彼らの部屋から聴こえて来る音楽は吉田拓郎さんや井上陽水さんだった

 

ウチの隣に住んでた男兄弟のお兄さんたちも同じような風体だったし

アイドルのレコードを借りに行くと、そこでも拓郎さんや陽水さんが流れていた

しかし、まだ幼かった僕には拓郎さんや陽水さんの音楽は理解出来なかった

 

 

以前の記事で僕は1975年(昭和50年)は日本の音楽史において

エポックな年であり大きく音楽業界が変わった年じゃないかと書いた

キャロルや、かぐや姫は解散してそれぞれがソロ活動を始めたし

後にガレージロックと言われる山下達郎さん率いるシュガーベイブや

ストリートから生まれたクールスがデビューしたのも同年の事

 

シュガーベイブのデビューに当たって大瀧詠一さんが新しい音楽性を求め

ナイアガラレーベルを立ち上げたのも昭和50年だったし

吉田拓郎さんと井上陽水さんが小室等さん、泉谷しげるさんと共に

フォーライフレコードを設立したのも昭和50年の事だった

 

 

当時の僕はそんな事も知る由もなかったがフォーライフレコードの設立は

音楽業界において画期的な出来事の一つだったと思うのだ

それ以前の体制では契約される側の立場だったアーティストが契約する側になり

現役アーティストが経営するレコード会社が日本で初めて設立されたのだ

 

設立のきっかけは吉田拓郎さんが大手レコード会社によるビジネス優先の作品づくりから

アーティスト主導による作品づくりをしたいという想いからだったそうだ

当時フォークというジャンルはレコード業界において大きな力を持っていた

 

そういった発想はキャロルを解散してソロになった永ちゃんも同じだったんじゃないかな

契約される側のアーティストはよくわからない契約書にサインをさされて

がんじがらめに縛られて会社が儲けるための駒として扱われていた

 

 

しかし今思えば当時のフォーク界の超大物である拓郎さんと

陽水さんが手を組んだという事は奇跡的な事のような気がする

 

それはこの後ニューミュージック界の超大物女性アーティストになる

ユーミンと、中島みゆきさんが組んでレコード会社を立ち上げたようなものだ

常識的には在り得ないような事が実現したという事は凄いとしか言いようがない

 

 

僕が吉田拓郎さんや、井上陽水さんの事が何となく分かり

彼らの音楽を聴くようになったのはフォーライフ設立翌年の1976年(昭和51年)

 

中学生になりギターを始めた僕は当初フォークギターで

かぐや姫やNSPのコピーを練習したがその流れで

拓郎さんや陽水さんも聴くようになった

 

その後、拓郎さんは森進一さんや、キャンディーズ・・・

陽水さんは中森明菜など多数の歌謡曲や演歌歌謡の楽曲提供も行い

フォークの世界に止まらないマルチな才能を発揮した

 

まあ何はともあれ彼らも日本の音楽史において

功労者である事は間違いないであろう

ジャンジャン!!