母の古いアルバムに貼ってある、すまし顔で犬を抱いてる女性の写真
母は昔の日本では珍しくもなかった7人兄妹の6番目の3女なのだが
写真の女性は兄妹では2番目の長女である房枝伯母さん
大正10年生まれの彼女は昭和9年生まれの母とは14歳違い
認知症になる前に母から聞いた話では伯母さんは茶道・華道の師範をしており
太平洋戦争敗戦後には呉を占領した連合軍の兵士や兵士の家族に
茶道や華道を指南する師範として働いていたそうだ
そこで知り合ったのがヒルバート・レモンド・プリリイという英国軍人
二人は恋に落ち伯母が34歳だった昭和29年7月5日に入籍に至っている
計算すると、その時14歳違いの母は二十歳という事になるのだが・・・
伯母は日本で僕にとっては従姉になる長女を出産している
母の記憶では出産する伯母を祖母と共に手伝ったそうだ
その時母はたぶん中学生だったと言っていた
だとしたら当時母は13歳~15歳であり伯母は27~29歳で
入籍前に未婚で娘を出産したという事になる
従姉は昭和22年~25年生まれという事になり昭和38年生まれの僕とは
11~13歳離れていて現在68~70歳という事だ
大日本帝国海軍の軍人で戦後、正八位という位階を陛下から頂いた祖父は
長女である伯母が敵国の軍人と結婚する事を大反対していたらしい
然るべき家柄の相手に嫁がすために茶道・華道を習わせたという事だ
伯母の兄に当たる長男の伯父は昭和16年に日中戦争でお国の為に戦死しているし
いくら戦争は終わったと言っても祖父には日本軍人としての誇りがあったんだと思う
しかし伯母は妊娠してしまい長女を出産してしまった
母の記憶では伯母は祖父の許しを得ないままに渡英したという事だった
しかし僕がまだ幼かった頃に祖父が伯母に手紙や小包を送っていた事を覚えている
勘当したはずなのに祖父もやはり愛娘の事は心配だったんだろうな~
掲載した写真の2枚目以降は従姉が最近FBにアップした写真
2~3枚目の写真は日本で撮ったのか、イギリスで撮った写真かはわからないが
こちらの写真はイギリスのテムズ川付近じゃなかろうか?
渡英した頃の叔母と、まだ幼い従姉だろう
僕は二十歳だった昭和54年にロンドンのヴィダルサスーンに美容留学したが
その時に写真に撮ったテムズ川のスナップ写真の景色に似てるような気がする
あの時もし連絡先がわかっていたらロンドンで伯母やイギリス人の伯父
従姉に会えたと思うが当時は音信不通で連絡先がわからなかった
従姉と連絡が取れるようになったのは平成23年の東日本大震災の時だった
ニュースを見て彼女が心配して手紙を出してくれた事が発端だった
僕は生まれてこの方、伯母に実際に会ったのは1度きり
僕が小学生の頃に伯母が一度だけ帰国した事があった
その時の伯母は、この写真の容姿だった
1ヶ月くらいウチの家に居候してた
その時は伯母が帰国した理由は知らなかったが後に母から聞いた話では
伯母は体調が好ましくなく日本で余生を送りたいと相談に来たという事だった
もしかしたら他にも家庭や夫婦間の問題もあったのかも知れない
しかし祖父母は既に年老いていたし妹弟たちは子育ての真っ最中
病人の伯母の面倒を診る余裕などないという事で断ったらしい
伯母はイギリスに帰り、その後イギリスで鬼籍に入った
個人的には自分と従姉が元気なうちに会いたいとは思うのだが
イギリスは車やバイクで行けるような距離じゃない
懐かしいロンドンも訪ねてみたいと思うんですけど
兎にも角にもコロナ騒動が収束しないと話にならない (笑)
ジャンジャン!!