「ルージュの伝言」完成経緯 | PRAINSのブログ

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1975年(昭和50年)に発売されたユーミンの5曲目のシングル「ルージュの伝言」

1972年(昭和47年)にデビューしたユーミンはピアノの弾き語りをする

少女の面影を残した知る人ぞ知る女性シンガー・ソングライターの一人であり

まだまだ決して知名度の高いアーティストではなかった

 

デビュー直後のユーミンはメランコリックなヨーロッパ指向の楽曲や

モノクロームな印象の楽曲に際だつ個性がある曲を歌っていた

しかし「ルージュの伝言」はアメリカハリウッド青春映画ばりの場面設定

当時スタートしたばかりのナイアガラ・レーベルにも通ずる

アメリカン・ポップス指向のウキウキするようなサウンドに仕上がっていた

 

 

前出のナイアガラ・レーベルを立ち上げたのは「はっぴいえんど」の大瀧詠一氏

はっぴいえんどは日本産ロック史の草創期に活動したグループの一つ

メンバーは、細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂、各氏

 

活動期間は1969年(昭和44年)~1972年(昭和47年)という事で

個人的には、はっぴいえんどのリアルタイムでの活動は知らないのだが

後の日本の音楽史には彼らの名前は必ず出て来るんですよね

 

 

はっぴいえんど解散後に音楽プロデューサーに転身した大瀧詠一さん

1974年(昭和49年)に、ザ・ナイアガラ・エンタープライズを設立し

そのナイアガラ・レーベル第一弾として1975年(昭和50年)にデビューしたのが

山下達郎、大貫妙子さんたちの「シュガー・ベイブ」でした

 

 

はっぴいえんど解散後の細野晴臣さんは後にユーミンのご主人となる

松任谷正隆氏らと共に音楽ユニット「キャラメル・ママ」に参加

メンバーは、細野晴臣、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆、各氏

そのキャラメル・ママがユーミンのサウンドをプロデュースしていたのだ

 

通常、ユーミンのレコーディングの演奏はキャラメル・ママが行っていたが

「ルージュの伝言」はユーミンのライブ活動を支えていた

「ダディ・オー!」というグループが志願してレコーディングセッションしている

 

編曲を担当した松任谷正隆氏は演奏のクオリティはキャラメル・ママと比べると劣っており

感覚としては60点という出来で、このままレコードにはできないと思ったそうだ

そこで白羽の矢が立ったのは大瀧詠一さんのナイアガラ・レーベルから

シュガー・ベイブとしてデビューが決まっていた山下達郎さんだった

 

達郎さんが、大貫妙子、ユーミンと同じくキャラメル・ママにサポートされる

音楽活動を展開していた吉田美奈子、そして定評あるコーラス・グループ

「シンガーズ・スリー」の伊集加代子各氏を連れて来て

コーラスに関して全て任せて貰う事を条件にコーラスで参加

 

あれで抜群のアメリカン・ポップになりました

だから「ルージュの伝言」に関しては達郎の力がすごく大きい

結果的にユーミンのポップ・シンガー路線を開拓してくれた

と、松任谷さんは山下達郎さんへの賛辞を述べている

 

 

一説によると「ルージュの伝言」の歌詞に出て来る「あの人」と言うのは

ユーミンがファンだった永ちゃんの事らしい

 

と、、言う事だがこうして色々調べてみると1975年という年は

日本の音楽史においてエポックな年だったように感じる

キャロルが解散して永ちゃんがソロデビューしたのも同年だし

フォークグループのかぐや姫が解散したのも同年

シュガー・ベイブやクールスがデビューしたのも1975年だ

 

こうして歴史を知れば時空も人も音楽も繋がっている事がよくわかる

沢山の才能が集まって切磋琢磨しチャレンジする事で欧米に

肩を並べるようになる日本の音楽が育まれたのだ

 

著作権の関係かオリジナル音源の「ルージュの伝言」がYouTubeに

アップ出来ないのは残念だが、同曲のオリジナル音源を聴く機会があったら

是非、以上の事を踏まえて聴いてみて下さいね!

ジャンジャン!!

 

 

ルージュの伝言 松任谷由実