マッサン | PRAINSのブログ

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コロナのステイホーム中に2014年後期に放送された

朝ドラ「マッサン」のDVD全13巻を今更ですが(笑)一気に観た

 

いや~ 面白かったし、感動したし、泣けた

朝ドラや大河ドラマは毎年賛否ある事は百も承知

しかし個人的には先日観た昨年の洋画の話題作

「イエスタデイ」なんかより百倍面白いと思いました

 

 

マッサンのモデルは呉の隣町「竹原」のご出身の竹鶴政孝氏

妻のエリーのモデルはスコットランド出身のリタ(ジェシー・ロベルタ・カウン)

タイトルの「マッサン」はリタが政孝のことをこう呼んだ事にちなんでいる

 

マッサンはニッカウヰスキーの創業者であり日本ウヰスキーの父と言われている

竹原のご実家「竹鶴酒造」は伝統のある日本酒の造り酒屋で今でも建物は現存している

個人的には数回は竹原の町並み保存地区にある竹鶴酒造にも訪れた

 

竹鶴政孝氏の功績はサラっとは知っていたが脚色はされているとは言え

こうしてドラマで観る事で感銘を受けたし学ぶべき事が沢山あったと感じた

 

 

<あらすじ>

 

明治から大正へ、大阪が日本一華やかなりし時代

海外から洋酒も輸入され船場商人たちが活況を呈し

新しい時代の息吹を感じさせるワインや洋酒の製造が始まっていました

 

そんな中、不可能だと言われていた国産初のウイスキー製造のために

大阪から本場スコットランドへと単身で渡った男がいました


大正9(1920)年、マッサンこと亀山政春は、 2年の修業を終え

本場の技術を身につけ帰国しました

 

なんと、スコットランド人の嫁さんエリーも連れて ・・・

そこから、波乱の日々が始まります

 

 

広島・竹原で代々日本酒の造り酒屋を営むマッサンの実家の母は大激怒し

「外国人の嫁などありえん!きっぱり分かれて家業を継げ!」

と、いきなり大騒動

 

さらに、世の中は大不況となり、ウイスキー製造計画は頓挫

ついには、失業してしまいます

一方のエリーも、外国人の嫁は歓迎されず、文化の違いに翻弄され

周囲には誤解され、さらにはマッサンの婚約者が現れ・・・とピンチの連続

 

それでもエリーは、日本の「おもてなしの心」を知り、時には夫婦げんかを

巻き起こしながらも、マッサンを支え続けます

 

やがて、浪人の身だったマッサンは、ワイン事業で大成功した

鴨居商店の鴨居欣次郎に工場長として迎えられ

山崎の地に日本初のウイスキー蒸留所が誕生します

しかし、苦労の末に完成した国産ウイスキーは全く売れません

 

 

と、まあこの辺りまでが物語の前半だと思うのですがキャストがいい味出してるんですよ

 

主人公の亀山政春を演じる玉山鉄二さんは終始広島弁で凄く親近感を感じた

亀山エリーを演じるシャーロット・ケイト・フォックスは個人的には

若い頃のオリビア・ニュートン・ジョンを見てるようだった

 

まったく日本語が喋れなかったのにセリフにもちゃんと感情が入ってる

相当苦労してセリフを覚えたんじゃなかろうか

 

マッサンの両親を演じた、前田吟さんと泉ピン子さんは元より

物語の最後まで存在感を示す八嶋智人さんが終始名演技だった

 

 

サントリーの創業者である鳥井信治郎さんがモデルになってる

鴨居商店の社長、鴨居欣次郎を演じた堤真一さんもいい味出してる

ALLWAYS3丁目の夕日の鈴木オートの社長役を思い出しました

 

 

昭和に入り、独立したマッサンは北海道余市へと渡ります

エリーの故郷スコットランドに似た北の大地で

二人はゼロからウイスキーづくりに挑戦します

 

しかし、失敗の連続で事業が頓挫する中、太平洋戦争に突入

故郷が敵国となったエリーはスパイ容疑までかけられます

 

それでもエリーは「日本人として」生き、マッサンと二人三脚で家族を愛し

従業員を守り、マッサンのウイスキーづくりの夢を支え続けます

不器用な夫が最愛の妻と育んだ「夫婦の時間」と、夢に生きた「日本人の底力」が

丁寧かつ大胆に描き出され「愛すべき滑稽なる夫婦の丁々発止」が見所でした

 

 

なぜ、朝ドラに僕は深く感動するのか

後世に名を残すような偉人の功績や人生には感銘する事がいっぱいある

しかし、それだけではないと思うのです

 

個人的には、やはりどこかに懐かしさを感じるのです

古き良き日本の時代を思い出し感動するんだと思う

 

孫の僕を可愛がってくれた明治生まれの祖父母と過ごした幼少期

確かに時代のズレはあるけど、まだ昭和40年代初頭頃にはそうした風土があった

作品を観ながら僕はそんな過去の記憶が走馬灯のように脳裏に去就してた

 

と、言う事でまたいつか竹原の竹鶴酒造をもう一度訪ねてみたいと思います

ジャンジャン!!