ROBOTのラバーソウル | PRAINSのブログ

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日本ではラバーソウルと云われる厚底のドレスシューズだが

実はラバーソウルという言葉は和製英語であり

正式にはブローセル・クリーパーズというらしい

 

ちなみにビートルズのアルバムタイトルになってるラバーソウルとは

単語のスペルが違うし、まったくの意味違いの別物ですよ(笑)

 

ラバーソウルを開発したのはイギリスの老舗靴メーカーのGEORGE COX社

1949年に開発されたそうだが発売当初こそ注目されたが、あまりに風変わりな

靴だったためイロモノ扱いされ一般的にはあまり売れなかったそうだ

 

ところが当時のロンドンの不良少年集団であるテディボーイズに注目され

ラバーソウルはテディーボーイの御用達になる

 

 

日本におけるテディーボーイと云えば日劇ウエスタンカーニバルに代表される

平尾昌晃、山下敬二郎、ミッキー・カーチスのロカビリー3人男だろう

僕はその時代は経験してないが個人的なイメージでは

彼らがラバーソウルを履いてたイメージがない、どうなんだろう?

 

1950年代のテディボーイズに愛されたラバーソールは

1970年代前半にリバイバルしたネオテディボーイズに引き継がれ

70年代後半には当時隆盛を誇ったパンクスにも支持される

 

セックス・ピストルズを始め、ザ・ダムド、ストラングラーズなど初期パンクバンドの

メンバーたちはラバーソールを最新鋭のパンクファッションへと転化させ

彼らを支持するストリートのパンクスたちにも広がって行った

 

 

1980年代になるとパンクに影響されたネオロカビリーのムーブメントが始まり

火付け役であったアメリカのストレイ・キャッツが世界的人気バンドとなる

 

ストレイ・キャッツのリーダー、ブライアン・セッツァーをはじめ

1950年代のロックンロールスタイルを踏襲した彼らの足元には

当然のごとくラバーソールが履かれていた

 

日本でその流れで結成したのが、クリームソーダのスタッフで構成された

ロカビリーバンドのブラック・キャッツだったという事

セックス・ピストルズの影響を受けたのが

アナーキーや、ザ・モッズだった

 

 

僕が初めてラバーソウルを買ったのは17歳だった1981年(昭和56年)

最初に買ったのは、原宿ペパーミントの白/黒のコンビだった

 

その後、日本に正規輸入され出したのが

イギリスのROBOTというメーカーのラバーソウルだった

僕の記憶ではその頃、ジョージ・コックスのラバーソウルは

正規ルートでは日本に輸入されてなかったような気がする

 

まあ、そうは言ってもロボットのラバーソウルも製造はジョージ・コックスであり

ジョージ・コックスは製造メーカーで、ロボットはショップという位置付け
はっきり云って、ソールのロゴしか違いは無い今でいう「別注品」

 

 

僕は1984年(昭和59年)にロンドンに美容研修に行った

パンクが全盛期の頃だった

 

その時キングスロードにあったROBOT本店に足蹴よく通った

その時買ったのが写真冒頭のブラックレザーのラバーソウル

 

一説ではラバーソウルは ロイド・ジョンソンの店「ジョンソンズ」の

別注から始まったとも云われているらしいが

そこら辺りは僕にはよくわからない

 

ロンドン滞在時にはジョンソンズにもよく顔出して

ロイド・ジョンソン氏にも何度も会った

 

ジョンソンズではスーツも買ったし、ロボットとジョンソンズの

両ショップで靴だけでも10足以上買って持って帰るのに苦労した 

 

今でもラバーソウルはカッコイイとは思うんですが

還暦が近い僕は今では重い靴を履くと疲れるんですよね~ (笑)

 

ジャンジャン!!