僕がクールスの音楽を聴くようになった1977年(昭和52年)時点で
既に舘ひろしさんはクールスを脱退してソロ活動をスタートさせ
クールスはトリオに移籍してロカビリークラブとして活動を始めていた
同時期、バイクチームクールスのサブリーダーだった岩城滉一さんは
数々の映画に主演し俳優として人気を博していた
岩城さんが、ロックンロールバンドクールスに参加しなかった理由は
既に俳優活動をスタートさせていたからと言うのが定説になっている
現クールスのリーダー秀光さんの著書「ハングリー・ゴット」には
「俳優の道に進んだ」としか記されていない
しかし、コアなファン以外の人にはあまり知られていないが岩城さんは
クールスがメジャーデビューする前に既に歌手デビューしてるんですよね
クールスがシングル「紫のハイウェイ」、アルバム「黒のロックンロール」を
同時リリースしてデビューを果たしたのが1975年(昭和50年)9月
対して、岩城さんはクールスより7ヶ月早い同年2月にシングル「可愛いぜ」
アルバム「あいつと俺のブルース」をキングレコードからリリースし歌手デビューしている
今思えばクールスと同じレコード会社だという事が興味深いが
当時からハマれば根こそぎ掘り下げる性格の僕は岩城さんのアルバムも聴いた
しかし、そのアルバムはクールスや舘さんのロックンロールとは
畑の違う歌謡曲路線で、更には演歌も含まれるアルバムで
当時の僕には受け入れる事が出来なかった
そんな岩城さんが1977年(昭和52年)7月に
ダウンタウンブギウギバンドの宇崎竜童さんプロデュースで
「ファーストロックアルバム」と題された「TURNING POINT」というアルバムをリリースした
しかも、それがクールスが移籍したトリオレコードからと言うのも興味深い
センチメンタル・ハーバー / 岩城滉一 1977
作詞・作曲 宇崎竜童
夜更けの舗道に佇んで どしゃぶりの中で俺を待つ
そんなおまえのいじらしさ 俺は車のドアを開け おまえを乗せる
Ah~ ガラス細工のような Ah~ 細い体を抱きしめると こわれそうだぜ
濡れてるおまえの髪からは 待たせた時間の雨しずく
そんなおまえのやるせなさ 俺が今夜はこの胸で暖めてやるぜ
波止場の灯りが好きなのと 小さな肩を寄せてくる
白くくもった窓ガラス 熱いおまえの息づかい 恋が燃えてるぜ
Ah~ ガラス細工のような Ah~ 細い体を抱きしめると こわれそうだぜ
外国まわりの船の灯が にじんでみえると云いながら
なぜかおまえは涙ぐむ いいさ今夜はこの胸で暖めてやるぜ
さすがは宇崎竜童さんだと思った
「岩城滉一の映画はシブいが音楽はダメじゃ・・・」
そう思ってた僕の概念は変わった
悲しきティーンエイジ・アイドル / 岩城滉一 1977
作詞・作曲 宇崎竜童
せまい店の片隅で 思い出を しわに刻んで
今夜も唄っているよ あいつは
オールド・ティーンエイジ・アイドル
夢の中で老いぼれた あきらめを酒に浮かべて
今夜も唄っているよ あいつは
オールド・ティーンエイジ・アイドル
誰もが皆んな振り向いた 昔話の虚しさに
行きすぎる人の口づさむ
流行りの歌さえ 心に痛い
あのティーンエイジの頃の風の匂いを強烈に思い出させますね~
涙が出そうになるくらい懐かしい! (笑)
フィクションという前提で遠藤夏樹さんが当時のクールスを描いた小説
「原宿ブルー・スカイ・ヘブン」にはクールスがバンドデビューする頃の
岩城さんの立ち位置や心情が記されている
しかし、それが真実だったのかどうかは当事者にしかわからない
人の気持ちはそれぞれだし立場によって言い分は違う
それこそ、悲しきティーンエイジ・アイドルの歌詞のように
♪ 誰もが皆んな振り向いた 昔話の虚しさに
行きすぎる人の口づさむ
流行りの歌さえ 心に痛い ♪
ですよね~ ジャンジャン!!