ノーパン喫茶 | PRAINSのブログ

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時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
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(写真はイメージ)

 

呉は海軍で栄えた町であり戦後は連合国軍に占領された歴史を持つという事で

戦前、戦中は「この世界の片隅に」でも描かれた、遊郭や私娼が栄え

戦後は赤線と名を変え呉の各地にもパンパン宿が沢山あったらしい

 

それらの建物は昭和50年代頃にはまだ見受けられたし

朝日町あたりには、それらの名残のような方達の姿も見受けられた

 

しかしその頃の呉にはキャバレーやピンサロの裏営業での

性サービスらしき行為はあったと思われるが、なぜかトルコ風呂

現代で言う所のソープランドのような類の個室の性風俗店がなかった

 

呉という町は教育委員会やPTAの圧力が強く、更には反社会勢力業界の絡みがあり

その手の店は開業できないと当時噂で聞いた事があるが真意はわからない

そんな呉にノーパン喫茶がオープンしたのには驚いた

 

 

記憶が曖昧でハッキリした事が言えないが確か昭和53~54年頃だったように思う

 

場所は中通4丁目の呉シネマの裏筋にあったラブホテル二河苑の通りを

境川の方に行った角地辺りの雑居ビルの2階だった

確か店の名前が「テニスコート」だったか

とにかくテニスを連想させるような名前だったと思う

 

店内に入った事があるかどうかも覚えていないのだが

実はそのノーパン喫茶で先輩の彼女が働いていた事が強く印象に残っている(笑)

 

自分の彼女がそんな店で働いている事によく平気でいられるな~ってカルチャーショックだった

もう時効だから言うが、その彼女は当時まだ10代の少女だった

 

そんな呉のノーパン喫茶も長くは続かなかったように思う

そりゃそうだろう、呉は狭い町だし、そんな店で働くウエイトレスもそうそういないと思う

地元人だったらすぐに噂になっちゃいますよね(笑)

 

その後1980年代の中頃に「呉劇場」ってストリップ劇場が出来たが

ここも長くは続かなかったように思う

 

まあどちらの店も呉の繁華街がまだまだ賑わっていた頃の話

そういう意味で言うといい時代だったと思います

今の閑散とした中通商店街、何かと世知辛い時代じゃ無理でしょうね~

 

ジャンジャン!!