続・年賀切手シリーズ 1977年 巳年 | PRAINSのブログ

PRAINSのブログ

昭和と趣味と日記のブログ
車・バイク・音楽・映画・ファッション・釣り・ゴルフ・・・
時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
よろしくお願いいたします!

イメージ 1
 
 
 
1977年(昭和52年) 竹へび
 
 
さて、毎週火曜日恒例の年賀切手と共に当時の世相やニュース、僕の思い出を振り返る
「続・年賀切手シリーズ」ですが、今回は1977年(昭和52年)巳年を振り返ってみたいと思います
 
この年に中学2年生になる僕には当時は別世界の事でしたが
1977年年末に「カラオケ」ブームが始まったそうな
 
現代ではカラオケって特別な物でもありませんが、そもそもカラオケって何の略か知ってます?
「空(から)」の「オーケストラ」って意味でカラオケって言うんですよ 笑!
 
えっ?!話がピーマン?
 
そうです!中身がない話の事を「話がピーマン」って言いますが
その言葉が生み出されたのも1977年の事だったそうです 笑!
 
えっ?!ダメだ、こりゃ?
 
そうです!「ドリフの8時だョ全員集合」いかりや長介さんのギャグ
ダメだ、こりゃ!が流行ったのも1977年の事でした
 
そんな1977年(昭和52年)にはどんな事があったのか?
 
ここからは1977年に大ヒットしたピンクレディー
「渚のシンドバット」を聴きながらご覧ください!
 
 
 
 
渚のシンドバット/ピンクレディー 1977
 
 
イメージ 2
 
先ずはスポーツ界から話を一つ
 
1977年9月3日後楽園球場で行われたヤクルト戦で読売巨人軍の4番バッターだった王貞治選手が
当時の大リーグ記録であったハンク・アーロン氏の本塁打記録を破る756号ホームランを打ちました
 
3回1死走者なし2-3から鈴木康二郎投手の投げた50球目のシュートを打った打球は
低く伸び右翼席中段に飛び込みました
 
その偉業を讃え、同年王さんには日本初の国民栄誉賞が授与されました
 
当時、中華民国籍の王さんが日本の国民栄誉賞はおかしいんじゃないかと言う意見も出ましたが
日本の為に尽くした人、前人未到の偉業と言う事で正式に授与されました
 
記録を破られたハンク・アーロン氏も王選手の偉業を讃え祝福しました・・・
 
と、ここで思い出すのは昨今何かと物議を醸してるイチロー選手の偉業にケチを付ける
MLBを永久追放になってるピート・ローズのゲスな発言の数々ですよ
 
僕が判決を下します!
 
MLBの最多安打記録保持者はピート・ローズ、NPBの記録保持者は張本勲さん
世界一の最多安打記録保持者がイチロー
 
MLB記録と世界記録は違う、勘違いするなピート・ローズ!以上! 笑!
 
 
イメージ 3
 
1976年のスーパーカーブームの煽りを受けてスーパーカーのプラモデル
爆発的に売れたのが1977年でしたが、プラモデルに続けと登場した
スーパーカー消しゴム収集が大流行したのが1977年でした
 
確か「ガチャガチャ」の景品だったような記憶がありますがね~
 
この消しゴム収集の流れは1983年からのキン肉マン消しゴム、通称「キン消し」へと続くのですが
僕は世代的にもキン肉マンは読んでましたが消しゴムは集めませんでしたね~ 笑!
 
 
イメージ 4
 
「集める」って事で言えば1977年にロッテから発売された「ビックリマンチョコ」
 
その「おまけ」に付いていたのが・・・
 
 
イメージ 5
 
「ドッキリシール」と言われた見た人にそれを現物と間違えさせて
驚かせることを目的としたシールだった
 
ま、現代においては誰も驚かない子供騙し以下な物ですが
あの時代はまだ大らかな時代だったんですね~ 笑!
 
 
イメージ 6
 
てか、個人的にはビックリマンチョコのドッキリシールより
同じくロッテのチョコ「はりはり仮面」のオマケだった「標語シール」の方が印象が深い
 
はりはり仮面の方がビックリマンチョコより先だったような気がするのだが・・・
いや~ この標語シール、束で持ってましたがどこにいったんだろうか?
 
ちなみに先日紹介したウチの実家に貼られている「ハレハレシール」
このはりはりシールのバッタモンだったようです 笑!
 
 
イメージ 7
 
1977年の個人的な思い出と言えば僕は生まれて初めてマイ・カメラを手に入れた
それが1973年に発売されたオリンパスOM-1という一眼レフカメラだった
 
僕の記憶ではまだこの頃は親父とそこまで険悪な関係ではなかったように思うのだが
兎に角、このOM-1のブラックボディーを親父に買ってもらったのだ
しかも、望遠、広角レンズもストロボも買ってくれた
 
当時親父はニコンだったかキャノンだったかの一眼レフを持っていて僕は親父に時々カメラを借りていた
親父もカメラが好きだったから僕がカメラが欲しいと言ったらすんなり買ってくれたのだ 笑!
 
僕のカメラ好きはこの時代に端を発している
 
 
イメージ 8
 
そんな僕は買ってもらったオリンパスOM-1片手にスーパーカーを探して広の街をさまよった
しかし当時、広の田舎にスーパーカーなんているはずもなかった
 
そんな中で僕が今でも印象に残ってるのが白い日産のフェアレディーZ S30
写真の↑真っ赤なマツダ コスモAPだった
 
 
イメージ 9
 
調べてみると、このコスモAPが登場したのは1975年と言う事だ
 
スーパーカーを探せどスーパーカーに出会わない僕は
仕方なく”それらしい車”をファインダーに収めた
 
その中で印象に残ったのがフェアレディーZとコスモAPだったのだ
 
今でもZは旧車のミーティング会場でよく見るけどコスモAPは殆ど見かける事もない
コスモAPは現在実際に欲しい車ではないが僕にとっては思い出深い車なのだ
 
 
イメージ 10イメージ 11
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1976年の角川文庫の人気に伴い角川映画が続々公開されたのも1977年だった
角川文庫の二枚看板だった「横溝正史」「森村誠一」の2人の作家
 
1976年には横溝正史の「犬神家の一族」が公開され大ヒットしたが
1977年には横溝正史原作の「八つ墓村」、森村誠一原作の「人間の証明」が公開され大ヒットした
 
八つ墓村の「祟りじゃ~・・・」と、松田優作さんが主演した人間の証明の
「母さん僕のあの帽子どうしたでせうね ・・・」ってセリフは当時大流行しましたね
 
お亡くなりになったジョー山中さんが歌った「人間の証明のテーマ」もいい曲でした
 
「♪Mama Do you remember・・・」
 
ちなみに僕は今でも実家に両作品の当時物文庫本が保管されています 笑!
 
 
イメージ 12
 
ついでに洋画の方もご紹介しときますと1977年公開の洋画NO1は
個人的にはシルベスタ・スタローンの出世作「ロッキー」を押したい
 
ロッキーのテーマも大ヒットしたし、ロッキーの真似して生卵も飲んだ 
ロッキーが妻の名を叫ぶ「エイドリア~ン!」ってのも真似したものだ 笑!
 
 
イメージ 13
 
と、そんな1977年ですが当時中2の僕は1977年の前半と後半では興味がある事や価値観が大きく変わった
 
前半は↑のような普通の中学生だった僕は後半には↓のような感じになった
欲しい物が山ほど出て来て朝の新聞配達を始めたのもこの頃だった
 
先ずはファッションに興味を持ち始めた僕はポパイなどのファッション雑誌を買って読み漁り
VANボタンダウンシャツトップサイダーキャンパススニーカーに憧れ手に入れた
 
しかし、それらを着て学校に行くと先生には注意され「不良」のレッテルを張られた
不良な先輩達には目を付けられ校舎の裏に呼び出され恫喝される
 
ー ん?そっか~ ワシって不良なんじゃ・・・
 
先生や先輩の忠告に従わず、そう思い始め開き直った僕の方向転換は早かった
 
 
イメージ 14
 
松本理容室に行ってアイパーをかけ
キワを剃り込みポマードで固めてリーゼントにし眉毛も細く剃った
 
当時広の商店街にあった「田辺」という怪しい洋品店に行って
裏地に龍や虎が刺繍してある中ランツータックのヨコスカを買った
 
タバコを覚え部屋で聴く音楽も歌謡曲やフォークからキャロル永ちゃん、クールスになった
 
今考えたらほんの数ヶ月で僕はそれまでの自分とまったく別人になった
 
付き合う友人の顔ぶれも大きく変わり、それまでの友達や その友達の親
更には地域の人たちも僕の変わり様に面食らい眉をひそめた
 
長浜って狭い田舎ですから悪評なんて一瞬で広まりますからね~
 
そんな僕は当たり前のようにバイクに興味を持ち始める
バイク雑誌「オートバイ」を眺めては自分好みのバイクを探すようになる
 
そんな僕の目に留まったのが・・・
 
 
イメージ 15
 
「おお400」のキャッチコピーと4本のマフラーが魅力だったHONDA CB400FOUR
 
結論から先に言うと僕は1979年の高1の時に念願かなってフォーワンを手に入れる事になるのだが
中学2年の1977年、「オートバイ」を読んでフォーワンが製造中止になると知った
 
当時は新車がなくなるという事にショックを受けたが今考えたらどうせ新車は手が届かなかったでしょうね~
 
 
イメージ 16
 
さて、歌謡界に目をやると1977年はピンクレディーが社会現象になるほどの大人気だった
 
年間チャートに目を通すと1977年だけでも「SOS」「ウォンテッド」「カルメン77」
冒頭にご紹介した「渚のシンドバット」と4曲もベスト10入りしている
 
てか、翌年の1978年にディスコデビューした僕はディスコ「よしまつ」で
ピンクレディーの渚のシンドバットがかかっていた事をハッキリ覚えている
 
その他の1977年のヒット曲は森田公一とトップギャラン「青春時代」
日本レコード大賞にも輝いたジュリー「勝手にしやがれ」
清水健太郎「失恋レストラン」、ハイファイセット「フィーリング」などが思い出深い
 
 
イメージ 17
 
最後にユーミンについてちょっと触れておこう
 
僕が不良に目覚めて遊び始めた年上の不良オネエサンたちが必ず聴いていた荒井由実こと、ユーミン
 
僕は今でもユーミンは「荒井時代」が好きだが1976年にユーミンは松任谷正隆氏と結婚し
1977年に松任谷由実となって僕達の前に現れた
 
1977年は松任谷由実名義でのアルバムはリリースされていないが
シングル「潮風にちぎれて」「遠い旅路」の2枚をリリースしている
 
そんなユーミンの「潮風にちぎれて」を聴きながら今日はこれで終わりにしたいと思います
来週は1978年(昭和53年)午年やります!乞うご期待! ジャンジャン!!
 
 
 
 
潮風にちぎれて/松任谷由実 1977
 
 
イメージ 18
 
PRAINSのご予約
 
呉市本通り2-3-4(四ツ道路バス停前) (0823-23-7540)
 
PRAINSホームページ http://prains.jimdo.com/
 
PRAINSホットペッパービューティー  http://beauty.hotpepper.jp/slnH000288765/?cstt=7