春ツーリング (2) 天空の城 | PRAINSのブログ

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朝7時半に呉を出た僕達5人は11時過ぎには目的地である
今回のツーリングで僕がリクエストした”ある場所”に到着しました
 
その場所は山の頂にあるのですがバイクはここまでしか登れないので各自バイクを停めます
 
 
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バイクを停めた所からはバスに乗り込みます、まるでオヤジの遠足です 笑!
ちなみにバスの運賃は往復で300円です
 
目的地までは徒歩でも行けるそうですが1時間程歩くという事だった
齢50を過ぎた僕達は山道を1時間も歩ける訳がない 笑!
 
 
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それでもバスの終点から目的地に行くには徒歩で20分かかるという事だった
 
老体に鞭打って僕達は山古道をひたすら歩きます
中には杖を突いた奴もいます 笑!
 
 
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山古道の所々に城主からのメッセージ立札が立てられています
城主からのメッセージに励まされながら老体5人は息を切らせ目的地を目指します
 
てか、すれ違う人の中にはどう見ても70歳、いや、80歳を超えていると思われる老人もいます
 
歳を取ったと言っても僕達はまだ50代
ご老人の方から見たら弱音を吐く歳でもありませんが日頃の運動不足は顕著です 笑!
 
 
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ようやく目的地の一部が見えてきました
 
天然の岩盤と組み合わされた石垣は間違いなく野面積みでしょうな~ 笑!
 
自然の岩盤と組み合わされた石垣ってのは”ここ”だけの特徴の一つで
とても雄大で見事としか言い様がありません!
 
 
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ようやく目的地の天守閣が見えてきました
 
もうとっくにお気付きの方もいらっしゃったと思いますが
ここは岡山県高梁市にある備中松山城なんですよね!
 
 
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備中松山城は高梁市市街地の北端にある臥牛山にそびえる山城で
現存する山城としては日本一高い所にある城(天守、標高430m)として有名です
 
昨今テレビCMで使用され「世界のマチュピチュ」と言われ幻想的な雲海が見られる事で有名なのは
兵庫県朝来市の竹田城ですが日本には他にも天空の城があったのです
 
それがここ備中松山城ですが竹田城は天守もなくあくまで城跡ですが
備中松山城は天守も存在し、しかもその天守は日本の現存12天守にも数えられています
 
17世紀後半に建築された天守と二重櫓は当時のままの姿で残り
平成9年(1997年)には本丸に五の平櫓、六の平櫓などが復元されたそうです
 
 
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備中松山城は高梁川という一級河川が横切る番地という地形上
冬11月~2月頃には各所で幻想的な雲海が発生します
 
雲海から城山が出るタイミングと合致すればこの風景に出会うことができます
 
まるで極楽浄土みたいな景色ですな~ 笑!
 
 
 
 
こちらが高梁市が制作した雲海に浮かぶ備中松山城の公式映像です
 
 
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備中松山城は現存天守ですからもちらん天守閣内も当時物です
 
築城は鎌倉時代の1240年とされており中世の遺構を残した近世式城郭としても貴重です
 
 
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と、いつもの城の記事だったらこの辺りで城の歴史や歴代藩主のエピソードを書くのだが
どうも備中松山城には特筆するような歴史も著名な藩主もいなかったようだ
 
山城だし築城は鎌倉時代と古いのだが特筆するようなエピソードもない
山陰と山陽の中間点であった事から戦の拠点としての役割はあったようなのだが・・・
 
強いて言えば天正2年(1547年)毛利氏が宇喜多直家と同盟を結んだ事から
当時の城主だった三村元親が毛利氏から離反して織田方についた
そのため毛利軍の小早川隆景公に包囲され落城している
 
戦国時代には毛利領だったが関ヶ原以降は城主もコロコロ変わったみたいだ
 
エピソードとしては同じ備中にあった備中高松城の方が有名ですよね
信長軍の総大将として秀吉水攻めしたのが毛利に使えた清水 宗治の居城備中高松城だった
 
 
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観光地名物の顔出しボードもあったが誰を模写したのかもわからない 笑!
 
と、言う事ですが備中松山城の事がもっと知りたい人は↓の動画をご覧ください
今日はここまで!また明日! ジャンジャン!!