ここに1枚の古い写真がある
この写真は昭和62年(1987年)6月22日の物である
PINK-BEEのオリジナルTシャツにLEVIS501XXのブルージーンズ、
アディダスのスーパースターを履いている彼は当時23歳
プルオーバーのシャツ、デニムのミニスカートに白いアナログスニーカーを履いている彼女は
3日後に23歳の誕生日を迎える22歳
二人の後ろに聳え立つのは世界遺産でもあり国宝でもある
現存する日本の城で最も美しいと讃えられ白鷺城という異名を持つ姫路城だ
彼は昔から歴史好きで城を見て回る事が趣味の一つであった
彼女は城や歴史が特に好きという訳ではなかったが彼についてこうして城巡りに付き合った
当時の彼女にとって行き先は何所でもよかったのだ
彼と一緒にいるだけで幸せと感じていたんだろうと思う
同年秋、11月15日に二人は結婚式を挙げた
あれから28年の歳月が流れた・・・
と、言う事で明石を後にした僕達は平成の大改修を終えた姫路城に到着しました
いや~ こうして28年前の写真と比べると姫路城周辺の景色も変わりましたな~
季節柄というのもあるとは思いますが城に覆いかぶさってた木々はなくなり
敷き詰められてた芝生は土になってる
当時若者だった彼、彼女も初老とまではいかないがそれなりに歳は取ってる
二人に授かった娘はとっくに彼女の身長を追い越した
確実に時は流れたという事ですな~
この時僕は生まれて初めて姫路城に訪れたんですよ
もちろん大明神様も初めてだったと思う
28年ぶりに姫路城に訪れましたが
こうして城下に立つと28年前のの記憶が一つづつ思い出されましたよ
その場所に今は3人で立ってる
12日前に14歳になった万凛ちゃんもいつかまたこの地を訪れる事もあるでしょう
その時にはきっと今日の事も思い出として思い出されると思います
その時万凛ちゃんの隣には誰がいるんだろう?・・・ 笑!
皆さんもよく御存じだと思いますが姫路城は2009年から平成の大改修に入り
昨年ようやく外観工事が終わり その全貌がお目見えしました
場内には工事中の映像が放映されてましたが いや~凄い工事でしたぞ!
姫路城は世界遺産でもあり国宝でもありますから工事も慎重に行われます
当時の様式を残しながら現代の最新技術で行われた
しかし最終的には職人さんの手で一つ一つ解体から修繕、仕上げと行われたんです
まあ約5年かかるのも仕方ないでしょうな~
しかし改修工事が終わったばかりとは言え久しぶりに見た姫路城は超美しい!
当日は晴天に恵まれたという事もありますが冬の日差しに照らされた
姫路城天守閣を見た時は その美しさに感動しましたよ
僕は近年、国宝の彦根城や犬山城にも訪れましたが個人的にはレベルが違うと思う
僕は西日本・四国・九州の城しか見た事ありませんが やはり姫路城が断トツで素晴らしいと思いますね!
これだけの規模の城郭が当時物ですからね~
しかし当日僕はまたしてもリサーチ不足を露見してしまう 笑!
平成の大改修での外観工事は終わり新装された大天守は外から見る事は出来ましたが
何と天守閣内は未だ工事中と言う事で見学する事が出来なかった
ボランティアガイドの説明では今年3月27日が正式なリニューアルオープンだそうです
と、言う事ですが天守閣以外の櫓や曲輪、廊下は通常見学料は大人800円ですが
半額の400円で城内見学出来ます
28年前の姫路城内
その同じ場所を家族3人で歩く
ま、櫓や曲輪、廊下は28年前とほぼ変わってないと思いましたね
姫路城と言えば徳川幕府二代将軍徳川秀忠の娘「千姫」がお輿入れした事は有名ですよね
まあ千姫は豊臣秀吉の息子の秀頼と結婚していたのでバツイチだったんですがね~ 笑!
てか、28年前は千姫様は御髪を整えていたと記憶していたのですが
先日はかるた遊びをしてましたな~
僕の記憶違いなのか?シュチュエーションが変わったのか?・・・
と、ここでちょっと城シリーズ恒例の姫路城の歴史を簡単にお勉強しときましょう! 笑!
安土桃山時代以前の姫路城は現在のような立派な城郭ではなかったそうで
播磨の国を収めてた守護やその家臣の居城であったそうです
その中には昨年のNHK大河ドラマの主役であった黒田官兵衛孝高の黒田家も城主を務めてました
安土桃山時代になり1576年(天正4年))、中国攻めを進める織田信長の命を受けて
羽柴秀吉が播磨に進駐すると播磨国内は織田氏につく勢力と
中国地方の毛利家を頼る勢力とで激しく対立
最終的には織田方が勝利し毛利方についた小寺氏は没落したが小寺氏の家臣でありつつも
早くから秀吉によしみを通じていた黒田孝高はそのまま秀吉に仕えることとなり
孝高は二の丸に居を移し本丸を秀吉に譲りました
その後、秀吉は本能寺の変で信長を討った明智光秀を打ち破り天下人になり
大阪城を築城して大阪城に入り姫路城は弟の豊臣秀長が城主になります
しかし秀吉の死後起こった関ヶ原の戦いで東軍の徳川家が勝利し
徳川家康の次女「督姫」を妻とする池田照政が城主になり
現在の5層7階の大天守になりました
その後池田家は因幡鳥取に転封になり本多忠刻が城主になり千姫が嫁いできます
江戸時代中期には松平家、榊原家、本多家が入れ替わり立ち代りに城主を務めますが
酒井家の入城でようやく藩主家が安定し幕末を迎えたという事です
昨今、城見学に行くとコスプレの武士をよく見ますな~
名古屋城でも見たし他の城でも見た記憶がありますよ
近年、日本の観光地に行くとアジア系を筆頭に外国人観光客を良く見かけますが
それらの人にコスプレ武士は超人気です
当日も白人系やアジア系の外国人と記念撮影してる光景をよく見ましたね
近年僕は石垣に目覚めてしまって城に行くと石垣をつぶさに観察します 笑!
姫路城の石垣は積まれた年代によって模様は違うみたいでしたが
野面積みである事は間違いないですね
と、言う事で28年ぶりの姫路城を後にした僕達は
次の目的地へと向かうのであった!ジャンジャン!!