My Music Travel  27 燃えろいい女 | PRAINSのブログ

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あんたのバラード/世良公則&ツイスト 1977 作詞・作曲 世良公則
 
 
あんたにあげた 愛の日々を 今さら返せとは 言わないわ
酔いどれ男と 泣き虫女 しらけた笑いに 厚化粧ひとつ
あんたの歌う あの歌を 今夜はあたいが 歌ってあげる
 
あんたの腕に 抱かれたら 今にもあたいは こわれそう
それでもそいつが たまらない程 あんたを好きに させちまうのよ
あんたと暮らした 二年の日々を 今さら返せとは 言わないわ
 
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僕の思い入れがある昭和のヒット曲と共に当時の思い出を語る「My Music Travel」
第27回目の今日は1977年にデビューしたロックバンド「世良公則&ツイスト」を取り上げてみた
 
ヤマハポピュラーソングコンテスト、通称「ポプコン」初のロックバンドでの
グランプリを獲得した世良公則&ツイスト世界歌謡祭でもグランプリに輝き
「あんたのバラード」でデビューしたのは1977年11月、僕が中学2年生の秋だった
 
1977年と言えば矢沢永吉「ドアを開けろ」をリリースした年でありCOOLSを脱退した舘ひろし
ソロデビューアルバム「Love Letter From The U.S.A」をリリースした年だ
 
しかし彼等はテレビに出る表のミュージシャンではなくお茶の間の人気を博していたわけではない
当時テレビに出てたロックミュージシャンは僕の記憶ではダウンタウン・ブギ・ウギ・バンド
くらいしか記憶にない、まあミュージシャンをジャンル分けするのは難しいんですがね~
 
世良公則&ツイストがメジャーとなったのは「夜のヒットスタジオ」の出演を皮切りに
「ザ・ベストテン」にランクインして番組で生出演してからブームに火が付いたのだが
熱狂的な女性ファンの心を鷲掴みにするパワフルさとワイルドさが人気の秘密だった
 
僕は知らなかったが当時「原田真二」「Char」と並んでロック御三家と言われていたそうだ
ちなみにその御三家の世良さんと原田さんは二人とも広島県出身
当時広島のミュージシャンはレベルが高かったんですな~
 
彼等はアイドル雑誌の「平凡」「明星」「セブンティーン」にも頻繁に登場した
その辺りは前回のMy Music Travel で取り上げた「甲斐バンド」とは対照的ですな~
 
 
銃爪(ひきがね)/世良公則&ツイスト 1978 作詞・作曲 世良公則
 
 
あいそづかしの 言葉が 駄目なあんたに 似合いさと いつもオマエは 笑うのさ
男の心の 裏側に つばを吐きかけ なじる そんなことの できるやつ
 
まるで素肌を さらしといて 想い出ひとつも 残せない 悲しい女に なっちまったよ
Tonight Tonight Tonight Tonight 今夜こそ オマエをおとしてみせる
 
萎えた時間の 中にだけ あんたとなら 寝てあげると いつもオマエは そう言った
けだるい愛を 背負っては とても生きちゃ いけない オマエの体は 泣いている
 
まるで素肌を さらしといて 傷あとひとつも 残せない くるしむ女に なっちまったよ
Tonight Tonight Tonight Tonight 今夜こそ オマエをおとしてみせる
 
Tonight Tonight Tonight Tonight 今夜こそ オマエをおとしてみせる
Tonight Tonight Tonight Tonight 今夜こそ オマエをおとしてみせる
Tonight Tonight Tonight Tonight 今夜こそ オマエをおとしてみせる
 
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「あんたのバラード」でデビューし歌番組や雑誌に頻繁に登場する世良公則&ツイスト
繰り出す曲が次々大ヒット、オリコンチャートを駆け上りスターダムの階段も一気に登りきった
 
1978年4月にリリースしたセカンドシングル「宿無し」も50万枚の大ヒットを記録
同年8月にリリースしたサードシングル「銃爪(ひきがね)」は1978年の9月から11月まで
「ザ・ベストテン」で10週連続1位と3ヶ月の間1位に居座り
レコード売上げも94万枚に達し世良公則&ツイスト最大のヒット曲になった
 
当時の音楽誌は
「今ようやく日本のロックは世良公則&ツイストの手でメジャーになろうとしている」
と書き、歌謡曲やニューミュージックが全盛の時代に「ロックでも売れる」と証明したバンドと言われた
 
同年12月には4枚目のシングルとしてバンド名を「ツイスト」と改名して「性」をリリースし これまた大ヒット
年が明けた1979年4月には5曲目のシングル「燃えろいい女」でCM出演を果たす
 
ただツイストがCMソングをやった事はロックにポリシーを持ってやってると思っていた
ファンのイメージを下げたんだそうですよ
 
当時はロックミュージシャンコマソンをやると「商業ロック」「産業ロック」と批判されたそうです
てか、前年の1978年には永ちゃんも資生堂のCMで「時間よ止まれ」が起用されてるぞ
永ちゃんも商業ロックと批判されたのか? そんな事聞いた事ないぞ~! 笑!
 
 
燃えろいい女/世良公則&ツイスト 1979 作詞・作曲 世良公則
 
 
またひとつきらめく風が この街を散歩する
恋の季節かがやかせては 狂わせる俺の心
 
おびえた男心をさらって ふり向きもしない女
夏の午後を燃きつくせ 熱い熱いまなざし
燃えろいい女 燃えろ夏子 まぶしすぎる お前との出逢い
 
通り過ぎる乾いた風に くちづけをやさしげに
ときめく街触れ合う素肌 かげろうがあやしくつつむ
 
とびかう噂の中を 自由にかけぬけてゆく女
笑顔の似合う娘より ちょっときどったまなざし
燃えろいい女 燃えろ夏子 はずむ夕陽 お前との出逢い
 
燃えろいい女 燃えろ夏子 まぶしすぎる お前との出逢い
 
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資生堂’79キャンペーン「ナツコの夏」のキャンペーンソングに起用された「燃えろいい女」
 
この曲は4月にリリースされているが僕が高校に入学した直後の曲であり
刺激的だった高1の夏休みを強烈に思い出す曲として思い入れが深い
 
高校1年の夏休みは高校の友人3人で家出して親からの逃亡生活に明け暮れていた
江田島の友人や先輩の家を泊まり歩き最後は広島市内に逃亡して成り行きから
「暴」関係の人から逃げる事になり宇品港で野宿もした
 
今となっては決して褒められる事でもないし自慢するような話しでもないが
ある意味貴重でスリリングな人生経験にもなったし今ではいい思い出にもなっている
 
その頃流れていたのが「燃えろいい女」だった事をよく覚えているんですよ
 
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その後ツイスト1979年10月に「SOPPO」1980年2月に「LOVE SONG」をリリースするが
僕がツイストの曲を覚えているのはここまでだ
 
どうやら1980年1月にそれまで所属していたヤマハから独立し個人事務所を設立したそうで
ヤマハから独立したアーチストで成功例がないため不安視されたが
やはりその後セールスは下降していき世良さんの結婚もあり1981年いっぱいでバンドも解散
 
ベーシストの鮫島さんは解散後いくつかのバンドを経てハウンドドッグに加入
てか、バンドのリーダーだったドラムスのふとがね金太はどうなったのか? 笑!
 
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で、その後は一時的にバンドを再結成したりしながら世良さんは音楽活動を続けているという事だ
 
たま~にテレビで往年のヒット曲を歌う世良さんを拝見しますが個人的な意見を言うと
仕方ない事とはいえ年波もあり往年に比べるとまったく声が出てないと思う
 
当時伸ばして歌ってた部分も切って歌ってる
歳取ると肺活量が落ちて声量も落ちるんでしょうな~
それは昨年観たユーミンにも感じましたからね
 
そう思うと永ちゃんは化け物ですな~
相当節制やトレーニングしてるんだと思いますよ
 
 
上の写真は僕が中3の時買ったエレキですがハードケースには
世良公則&ツイストのステッカーが貼ってある、当時物ですぞ! 笑!
 
平凡や明星に出てた世良公則&ツイストは付録の歌本にギターコードが載ってたからね
またいつかバンドスコアーを手に入れたら弾いてみようと思います
あの頃よりは少しは上手に弾けると思いますからね!ジャンジャン!!