26回目の記念日 | PRAINSのブログ

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昭和と趣味と日記のブログ
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時々、我が町「呉」と お仕事「美容」、「美味い物」
よろしくお願いいたします!

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         さて、先日長丁場に渡ってお送りした「歴史発見 城下町へ行こう!」の記事の中で
       再三書きましたが、1987年に結婚した僕達は出雲大社参拝に行くのは26年ぶりの事でした
 
        26年前というのは1987年夏の事でありその時は僕も大明神も23歳だったんですよね
 
        縁結びの神様として有名な出雲大社ではありますが実は26年前の夏の時点で僕達は
          婚約している訳でもなく結婚の話が進んでいるというわけでもなかったんですよ
 
          当時勤めていたミヤニシ美容室も入社6年目になり諸先輩方は皆独立を果たし
          僕の同期3人が最古参になってお店の主力としてしのぎを削っていた時代でした
 
           同年春に行った、おそらく当時としては呉初のミヤニシ主催のヘアーショーも
              僕はイベント責任者として指揮をとり、大成功に導いたんですよね
 
            そんな頃、お店で仕事していた僕のもとに大明神から電話が入ったのだ
                       忘れもしない夕方だったと記憶している
 
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                             「あの~・・・」
                 「何? 今お客さんカットしようるんじゃけど急用?」
 
   「急用って事でもないんじゃけど・・・実は体調が悪いんで病院に行ったら先生が妊娠してるって・・・」
                            「えっ?マジ?・・・・・」
 
   その後どんな会話をして電話を切ったのか? カットしていたお客さんとどんな会話をしたのか?
             仕事が終わって僕はどうしたのか? それらすべては記憶にない
 
                悪い事をして見つかったわけでもないし10代の頃のように
             警察から取り調べにおける出頭命令の連絡があったわけでもない
                   それでも少なからず動揺した事は間違いない
 
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            いろんな事が頭の中を駆け巡っている、これはいったいどうしたものか・・・
       その時点で僕達は知り合って約3年少々であり交際期間はまだ2年ちょっとくらいだった
 
         大明神と交際する時点において僕はそれまでの女性関係をすべて終わらせていた
         当然のことながら一応のけじめはつけていたのだ、少なからず気持ち的には・・・ 笑
 
        将来的には結婚できたら・・・とは思っていたし付き合う時にそう言った類の話もしていた
          でもその時の僕の未来予想図には結婚は30歳頃でいいという思いがあったのだ
 
               それより翌年の1988年には密かに独立開業を考えていたのだ
               美容経験6年、24歳での独立と言うのは今思えば無謀に思えるが
         当時は若さゆえの根拠のない自信に満ち溢れていたんですよね、そんな矢先に・・・
 
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         出雲大社に参拝に行った時、夕食に宍道湖の見えるレストランでちょっと見栄を張って
                          美味しい物を食べたんですよね
 
             その時大明神は気分が悪いと言ってあまり料理に手を付けなかった
         僕的には喜んでもらおうとちょっと見栄を張ったのに肩透かしを食らった気分だった
         後から考えれば気分が悪かったのは妊娠していたためでありツワリだったという事だ
 
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                 僕は誰に相談するわけでもなく一人で悶々と考えた
      それまでの人生、あっという間の青春時代だったが性格的な事もあり濃密な時間を過ごし
               当時としてはやり残した事はないとさえ思ったんですよね
 
    「ここらへんでワシも潮時かの~ そろそろ年貢を納めて落ち着けって神様のお告げか~・・・?」
   今考えると若干23歳で潮時もお告げも笑い事のような発想だが当時は本当にそう思ったんですよね
 
                      しかし現実はちっとも落ち着きはしなかったし
                  年貢を納める事も潮時ってのも忘れてましたがね~ 笑
 
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                 そして僕は意を決して腹を括る 「よし!結婚しよう!」
          自分の思い描いていた未来予想図とは違ってしまったが僕も男として腹を括った
          同年春に仲良し6人組の1人が結婚したという事も自分の気持ちを後押ししましたね
 
                  そうなると大明神の意思も大事になってくるのは当然だ
     僕は当時性格的にも強烈なリーダーシップを持っていたし怖いものなどないとさえ思っていた
     しかしそれは再三言いますが人生経験が乏しいゆえの井の中の蛙的錯覚だったんですがね
 
                    しかし彼女はそんな僕について来てくれるという
                     ここで腹を括らないと男じゃないとさえ思った
 
              と、言う経緯で1987年10月22日に24歳の誕生日を迎えた翌月11月15日に
                          僕達は晴れて結婚式を挙げた
 
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          結婚を大明神の両親に告げた時、今でも忘れない義父の言葉をよく覚えている
          僕はそれまで何度か家の方に招いていただき御両親とは面識はあったんですよ
 
                 そして僕は意を決して言葉を切りだし決意表明を述べた
           黙って聞いておられた義父さんは僕の話を聞き終えるとそっと話し始めた
 
        「結婚を反対する気はないが、もし子供が出来たという事で仕方なくって思うんなら
                      それなりの処置をして話を白紙に戻してもええんで・・・」
 
             「いえ、そんな事は思っていません、僕が決めた事ですから・・・」
 
       う~ん、ここで僕が少しでも躊躇していたらたぶん義父さんは許してくれなかったかも・・・
       しかも長男はこの世に存在していない事になる、今になって思えば考えられない事だ
 
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               僕は結婚を機に仕事の独立を先延ばしにしようと思っていた
         結婚すると生活していかないといけない 根拠のない自信はあったが保証もない
 
                   その諸を義父さんに告げると意外な言葉が・・・
          「結婚する事で決めてた独立を諦めるんなら結婚さすわけにはいかん・・・」
 
          これは美容師として、てか男として結婚ごときで夢を諦めるような男なら・・・
              っていう義父さんの叱咤激励のエールだったのか、それとも
     本音ではまだ結婚は時期早々だと思っていて ささやかな抵抗の気持ちの現われだったのか・・・
 
             4年前にお亡くなりになった義父さんのあの時の本音は今でもわからない
               当時僕は前者だと受け取ったが もしかしたら後者だったのかも・・・
               てか、もしかすると義父さんの気持ちも揺れ動いていたのかも・・・
 
     僕も娘を持つ身になって当時の義父さんの気持ちも少し分かるような気がしてきましたね~
 
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        と、長い前置きになりましたが、昨日11月15日は僕達の26回目の結婚記念日だった 
     そんなわけで日程の都合上、記念日前日の14日にささやかなお祝いを家族3人で行いました
 
    お店は僕が若い頃からお世話になってるイムラ氏が経営している「権三(ごんざ)」というお店だ
     和食の美味しいお店です、僕のお勧めのお店の一つでもあります、是非行ってみてください!
 
  先日50歳の誕生日の記事でご紹介しましたがファッションブランドVANの創設者「石津謙介」さんは
               生前人生4毛作という人生観を持たれているという事でした
 
               1963年に生まれ25歳までの僕の人生のファーストステージ
 
   普通の子供だった僕が思春期になってファッションや音楽に目覚め大人に憧れ環境に反抗し始めた
       「不良」というレッテルを貼られ半ば開き直って高校を中退し荒れた生活に明け暮れた
 
      人との巡り合わせで「美容師」に出会い人と環境に恵まれ人生の糧を手に入れる事になる
    ファーストステージ終了間際の24歳で結婚して子供が出来、店を独立して自分の城を手に入れた
    今思えば全てが人より早かった、25歳までにここまで経験する人も当時そうそういなかっただろう
 
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             昭和が終わりを告げる1988年に人生のセカンドステージが開幕する
 
       プレインズ城主として店の方はある程度順調に拡張してはいったが家庭人としては
        結婚して世帯主になり子供が生まれて親になったのに今思えば何の自覚もなく
                    趣味と遊びに明け暮れるという幕開けだった
 
        30代になって息子達が野球を始め 自分のそれまでの趣味や遊びを一切やめた
        結局丸12年息子達と3人で野球に明け暮れる、その間予定外の長女が誕生する
             40代になり息子達の野球が手から離れると燃え尽き症候群になる
 
            これではマズイと思い心機一転原点に立ち返り店を縮小して移転する
    40代も半ばになると「これまでの人生」「これからの人生」「そして今」という事を真剣に考えだした
           「家庭」「仕事」「遊び」という物はバランスよくやらないといけないと気付く
 
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         そして40代最後の49歳で銀婚式を迎え今年2013年にサードステージが開幕した
                    サードステージではどんな事が起こるのか?
             子供達の結婚、孫も出来るだろう、バイクはいつまで乗れるのか?
 
      てか、いつまで現役で仕事が出来るのか? 大明神とは上手くやっていけるのか?
                そして最後のフォースステージの舞台には立てるのか?
 
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  権三を出た僕達は、これも昔からお世話になってる先輩のクマ君のお店「ベアーズ・庵」に移動します
                 「クマ君、今日は26回目の結婚記念日なんよ・・・!」
 
        そんな話の流れから昔話に花が咲きこれからの人生についてみんなで語り合う
 
           「ほうか~ あれからもう26年も経つんか~ お前らよう続いたの~・・・」
               「まあ山あり谷ありよね、でも谷の方が多かったかもね~」
                      「途中で万凛ちゃんも出来たしね・・・」
 
                   そんな会話を横で聞いていた万凛ちゃんが一言!
              「万凛は父さんと母さんの救世主じゃったという事よね!」 爆!
 
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             僕等の世代が集まり話をする時よく出て来るキーワードがある
                          「昔は・・・」
                この語句で始まるものは たいがい今ではないものだ
 
                今更そんな「ないもの」を欲しがっても手には入らない
        昔を懐かしみ昔話をするのは悪い事ではないが本当に大事なのはこれからだ
                 だから26回目の結婚記念日も単なる通過点なのだ
 
              「サードステージではどんな事が起こるのか?」・・・
     実はそれは偶発的に「起こる」のではなく僕と家族の心がけ次第で起こる内容は変わってくる
         未来予想図はあくまで偶発的な物ではなく自ら書き上げていくものなのだ
 
               ベアーズ庵にこんな人生の教訓が書いてある紙が貼ってある
              「いいことは おかげさま 悪い事は身から出たさび」
 
     男の修行ではないが このように思って過ごせばまた来年記念日を迎える事も出来るだろう!
             という事で最後に1曲お届けして今日はこれまでにしたいと思います
 
                 店の方は明日から第3日曜日という事で連休になります
                         あしからず! ジャンジャン!!
 
 
         未来予想図Ⅱ/ドリームズ・カム・トゥルー 1989 作詞・作曲 吉田美和
 
          卒業してから もう三度目の春 あいかわらずそばにある 同じ笑顔
     あの頃バイクで 飛ばした家までの道 今はルーフからの星を 見ながら走ってる
 
                 私を降ろした後 角を曲がるまで見送ると
             いつもブレーキランプ5回点滅 ア?イ?シ?テ?ルのサイン
 
                きっと何年たっても こうして変わらぬ気持ちで
                   過ごしてゆけるのね あなたとだから
           ずっと心に描く未来予想図は ほら思った通りにかなえられてく
 
        時々2人で開いて見るアルバム まだやんちゃな 写真たちに笑いながら
     どれくらい同じ時間 2人でいたかしら こんなふうに さりげなく過ぎていく毎日も
 
                 2人でバイクのメット 5回ぶつけたあの合図
               サイン変わった今も 同じ気持ちで素直に愛してる
 
                 きっと何年たっても こうして変わらぬ思いを 
                    持っていられるのも あなたとだから
 
                     ずっと心に描く未来予想図は
           ほら思った通りにかなえられてく ほら思った通りにかなえられてく