命日 | PRAINSのブログ

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2012年1月1日元日、この日は妻の父、僕にとって義父の1回目の命日である。
去年の元日に義父さんは他界された、享年72歳、あれから丁度1年である。
 
と言う事で去年の正月はとても慌ただしかった、あれからもう1年経つんですね~・・・
 
09年の夏前に老人会の健康診断で大腸に癌が見つかったんです。
その時義父さんは至って元気で好きなパチンコとお酒を毎日楽しんでおられたんですよ。
 
最初の検診では大腸の癌は切除すれば問題ないって事だったんです。
その後呉で最も大きい国立病院で再検査すると何と肝臓に癌が移転している事が分かったんです。
 
しかもその肝臓に出来た癌は取り除く事が出来ないと言う事に、、、
余命半年だったか1年だったかよく覚えていませんが、いきなり言われたんですよ。
 
その後治療方針を決める訳ですが僕は実の親子では無いんでその件については話には加わっていません。
結局大腸の癌を切除して肝臓の方は抗がん剤治療するって事になったんです。
 
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しかし大腸の癌の切除の手術が上手く行かなかった、、、
義父さんいわく
「若い研修医の実験台にされた、わしら金のない物はこうなる、金のある物は立派な先生が執刀する、、、」
 
って言われてましたが真意の程は僕には分かりません。
でもあながち嘘とも言えないと思うんですよね、医学界も若い医者を育てて行かないといけない訳です。
僕等の美容界もそうですが一人前になるには経験が要るんですよね、、、
 
真意の程は分かりませんが結果切り口の傷みがずっと続いていたそうです。
それと並行して抗がん剤の治療が始まりました。
 
見る見る間に体力が落ちてきて体も痩せて髪も抜け落ちて来ましたね。
 
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そして一昨年、年内持たないだろうとお医者様に言われてました。
よく覚えていませんが12月にはあまり意識もなかったように思います。
 
年末が近づくともう毎日が今日か今日かと言う具合になりました。
妻は二人兄弟でお兄さんがいるんですがお兄さんは仕事で大阪にいるんですよ。
 
仕事の都合で元旦の午前中でないと帰れないって事でした。
妻と義母が耳元で
「お兄ちゃんが今帰って来ようるけん頑張ってよ!」
 
って意識のない義父に言っていましたねー。
そして年が明けました、しかし悪い事に去年の正月は大雪で山陽自動車道に交通規制が敷かれていて大渋滞、結局予定時間を3~4時間遅れてお兄さんは帰って来られました。
 
「とうさん!今帰ったよ」
ってお兄さんが言った瞬間意識のなかった義父が
「おー、」
って声を出したんですよ、薄れ行く意識の中お兄さんを必死で待っていたんだと思います。
 
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僕には分かりませんが多分みんなの呼び掛けは聞こえてたんだと思います。
そして最後の気力を振り絞って声を出されたんだと思います。
 
それから2~3時間後に静かに息を引き取られました。
 
後から考えるとお正月ならみんなも集まりやすい、そこまでもしかしたら考えられていたんじゃないかとも思うんですよ。
 
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葬儀は親族だけの密葬で行ったんですが、僕の次男も甥っ子達も正月に帰ってくる予定にはなっていなかったんですが急遽みんな帰って来ました。
 
義父さんからの「正月くらいみんな集まれ」って言うメッセージだったのかもしれませんね。
 
何とお正月は焼き場も休みなんですよね、だから仏様を一度自宅に連れて帰りました。
義父さんの念願だった家に帰ると言うのも実現できたんですよ。
 
その後元旦に仮通夜、2日に通夜、3日に葬儀
慌ただしいお正月でしたが久しぶりに親族全員が顔をそろえる事が出来たんですよね。
 
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僕達家族は今年元旦、ガレージの作業を終えて夕方から妻の実家を訪れ仏壇にお参りをしました。
お兄さんも帰って来られてました。
 
甥っ子達は後日順に帰ってくるそうです、みんなそれぞれ忙しいですからね~。
 
生前義父さんが可愛がっていた犬の「ミヨちゃん」が元気に出迎えてくれました。
僕は結婚前から義父さんには随分可愛がってもらいました、たいした恩返しも出来ないまま先立たれてしまいましたが僕達家族がしっかり仲よく助け合って生きて行く事が何よりの恩返しと今は思っています。
 
あの時手術の選択をしなければ、、、
色々思う事はありますがもう言わないでおこうと思います、全て過去の事ですからね、、、
 
こうして2012年の元旦は過ぎて行ったのでした、ジャンジャン!!