マッハSS750 レストア日記 ① | PRAINSのブログ

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カワサキ H2 SS750 マッハⅢ 現在の僕の愛車である。
このマッハが僕の所に来て3年が過ぎた。
 
現在はとても快調なマッハであるがこいつが僕の所に来た時はとても乗れるような代物ではなかった。
各所に置いて錆つき、勿論エンジンもかからない。
 
ここから苦難でもあり楽しくもあるレストアがスタートしたのであった。
 
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そもそも何で僕はマッハにしたのであろうか?
そこには僕のあまのじゃくな性格が影響している(笑)
 
僕が自動二輪の限定解除をしたのは23歳の時、今から25年前と言うのは過去の記事に詳しく書いた。
晴れて大型バイクが乗れるようになって僕が最初に欲しかったバイクはカワサキZⅡ750RSである。
 
まだ当時は現在のように逆輸入が盛んに行われる前の時代である。
カワサキZ1 900は高根の花であったのだ。
勿論ハーレーなんて当時の僕が手が届くような代物ではなかった、当時1ドル360円の時代である。
 
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ZⅡには10代の頃から憧れがあった。
僕的には国産バイクの最高峰って思いがあったのだ。
 
岩城滉一や舘ひろしのクールス時代の憧れもあった。
 
でも僕が限定解除をした頃ZⅡは高かった。
 
雑誌を見ると50~80万円位はしていたと思う。
 
現在の相場からすると恐ろしく安いが当時の僕にはとても手が届く物ではなかったのだ。
 
その時はたまたま友人の紹介でカワサキZ750FXのⅠ型を手に入れた。
 
FXも好きだったし Ⅰ型であればZⅡと同じ流れをくむ設計のバイクである、それに何より値段が安かった。
 
個人売と言う事もあったのだが当時20万円でと言うのが現実的だったのだ。
 
 
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その後FXは乗っていたのだが時代はバブル期の真っただ中、バイクの他に楽しい事が山ほどあった。
お酒の席も楽しい頃だ、よく飲みにも行ったしパーティーなんてしょっちゅうやっていた。
ゴルフに釣りにスキ―にジェットスキー、、、いつしかバイク熱も冷めていた。
 
周りに大型バイクに乗っている奴もいなかったと言う事もあると思う。
FXを売ってしばらくは大型バイクは所有していなかった。
 
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30歳の後半になった頃一通りの事を経験してふと世間を見渡すと世の中にハーレーがあふれていた。
自動車学校で大型免許が取れるようになって1ドルも100円前後と言う昔では考えられない位円高になったのだ。
 
町にあふれるハーレーを見て僕も久しぶりにバイク熱に火が入った。
でもどうしても人と同じが嫌な僕にはハーレーに乗る気にはなれなかった。
 
そこで買ったのがホンダCB750K0であった、詳しくは過去の記事に書いたがCB750にも憧れがあったからだ。
 
でも当時は僕の周りに国産旧車に乗る仲間がいなかった。
あまのじゃくな僕も一人では寂しかったと言うのも本音である、笑
 
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その後僕的に丁度仕事の方が転換期になりどうしてもお金が必要になりCBは友人のカツジの所に嫁いで行った。
 
少し仕事が落ち着いた頃周りを見ると国産旧車が増え始めていた。
中でもカワサキのZ系のバイクが殆どだ、ここでも僕のあまのじゃくが出る、笑
 
ホントはカツジに嫁がしたCBを引き取りたかったのだがカツジが返してくれない、笑
そこで考えたのがマッハと言う事である。
 
後輩に一人マッハに乗っている奴がいて初めてそれを見た時、ビビッと来たのである、笑
大型2サイクルに乗ってみたいと言うのもあった。
 
そこからはマッハ一本に絞って研究を始めた。
 
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研究の結果マッハと言うバイクは壊れやすいので中途半端な物を買うと後から大変だと言う事だ。
今まで乗りついできたバイクはヴェスパなどの小排気量以外の物はすべて4サイクルであった。
そこまで神経質にならなくてもよかったがマッハと言うバイクはどうも違うと言う結論に達したのだ。
 
雑誌やネットに出てるマッハの「レストア済」と言うのも信用できない。
後から何かあっても遠方ではややこしくなる。
 
と言う自分なりの結論を出して地元で自分の目で見ながらレストアをしようと決心したのだ。
そこで相談したのがリプレイモトサービスの早川君だ。
 
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「H2のベース車を探すけん、レストアしてくれますか?」
 
「わかりました、やらして頂きます」
 
と言う事で僕のマッハ、レストア計画がスタートしたのだ。
 
先ずはベース車探しから始まった。
 
どうせ全部やるつもりでいたので外見等は少々ボロでもいい、それより欠品部品の少ない物や基本になるフレームやエンジンが終わって無い物を探したのだ。
 
奴は名古屋にいた、笑
 
早川君に相談して相手業者と話をして貰った。
 
これなら良いであろうと言う事で早速広島に送って貰ったと言う事だ。
 
ここからが長い苦労の始まりと言う事になったのだ、笑
 
 
 
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時は08年の10月になったばかりと言う頃だったと思う。
 
始めて嫁いできた我が子を見た時、何とブサイクな子だと思った、笑
でも良い物を持っている、笑  磨けば光る素材だと確信した!
 
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その時は今からどんな苦労が待ち構えているのかと言う事も分からなかった。
ただただ仕上がったマッハを夢見て乗り味や容姿ををニヤニヤしながら想像する毎日が始まったのだ、笑
 
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こうしてマッハのレストアが始まった。
 
各所をチェックして分解に入ったのだ。
 
細かい部品に至る所まで全て分解。
 
ちなみに早川君には僕の集めた資料をごっそり預けた。
 
サービスマニュアルやパーツリストは勿論の事他にも3冊の分厚い本とDVDを2本。
 
それと心強かったのは早川君の知り合いで大阪マッハクラブの方がおられたと言う事だ。
 
蛇の道は蛇である、変態車両のマッハは変態に聞くのが確かなのだ、笑
 
わりと分解はスムーズに行ったと思う。
 
詳しくは僕には分からないが店に見に行くたびに細分化されていた。
 
何となく順調に見えていたのだ、、、そうエンジンをバラす前までは、、、笑
 
こうして始まったレストア日記ですが当然一度には書ききれませんので続きはまた今度書きます。
 
女性の方にはまったく意味が分からないでしょうね~、笑、ジャンジャン!!