36年振りの裸の付き合い | PRAINSのブログ

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昨日、故郷の秋祭りの為 長浜の実家に帰った事を書きました。
実は実家に帰ったのにはもう一つ目的があったんです。
 
僕が子供の時によく通った銭湯「胡子湯」がもうすぐ無くなると聞いて無くなる前にもう一度行っておきたいとずっと思っていたのです。
 
僕の故郷の長浜も当時からするとすっかり様変わりしています。
そんな中当時と変わらない姿を留めている数少ない場所が「胡子湯」なんですよ。
 
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祭りのお参りに行った時胡子湯の前を通って開いてるかどうか確認していたんです。
電気がついてたんでやってるなと、お参りを済ませて先に家族を実家に置いて一人で出かけました。
 
暖簾をくぐるとまさにそこには昭和の僕が子供だった時と変わらない世界がありました。
 
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置いてある物、飾ってある物、空間もホントに当時のままでした、あれから40年と言う歳月が流れたと言うのにまるでここだけ時代が止まっているような気がしました。
 
イメージ 4僕が子供の頃、長浜には3つの銭湯があったんですよ。
 
でも今残っているのはここだけなんです。
 
子供の頃よく友達と
「今日は○○湯に○○時じゃけんのー」
 
って待ち合わせて行った物です。
 
子供の頃夜家を出れるのは銭湯に行く時だけだったんですよ。
 
当時それだけでも刺激的だったんですよねー。
 
当時家に風呂はありましたが友達と合う為によく銭湯に行ったんですよね、銭湯に行くって言ったら不思議と親も家を出さしてくれましたからね。
 
風呂上りに友達と飲むコーヒー牛乳やヨーグルトは上手かった!!
 
他のお客さんも田舎ですから知ってる人ばかりなんですよね、、、
 
 
「らくだや」さんの看板住所と電話番号が現在の物とかなり違います。
いったい何時の物なんでしょうか、昭和20~30年代でしょうねー。
 
 
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そのうち僕も小学校5年生になって地域のスポーツ少年団に入ったんですよ、勿論長浜の子供だけのチームです。
 
そこで監督をされていたのがなんと、胡子湯の多賀谷のおじさんだったと言う訳です。
スポーツ少年団は長浜の小学校5・6年生でやっていました、最初はバレーボールをやっていたんですけど途中からソフトボールや軟式野球もやりましたね。
 
ちなみに今でもスポーツ少年団は「長浜ジュニア」って名前を変えて軟式野球をやっているそうです。
今は子供も長浜だけでは無く色んな地域から集まっているそうです。
結構有名で強いそうで全国大会とかにも出るそうです。
 
当時学年で15人位だったと思いますが背番号が背の高い順になるんです、僕は 6 番だったと記憶しています。
 
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暖簾をくぐると営業時間が書いてありました、夜8時までと書いてあったんですよ。
時計を見ると8時5分、、、駄目かなと思いながらドアを開けました。
 
「おじさん、もう駄目ですか~?」
 
「え~っと、、、、」 なんだかもう終わりだよって言いたそうないい訳
 
「監督!僕誰だか分かります?」 監督に会うのはいつ以来かも忘れた位で30年以上はまともには会っていませんでした。
 
まじまじと顔を見られ、そのうちパッと明るい表情になって
 
「わかるわい、山下じゃのー、お兄ちゃんの方か?」
 
僕には4つ下の弟がいてどちらかちょっと迷ったみたいですが覚えていてくれました。
 
「お久しぶりです、胡子湯がもうすぐ無くなるかも知れないって聞いてそれまでにどうしてももう一度来たくて来たんです、お元気そうですねー」
 
「ほうか!まあええわい入れや」
 
ってな感じの遣り取りで入れて貰ったと言う訳です。
 
イメージ 7当然お客さんは僕だけです、ちょうど最後のお客さんと入れ替わりでした。
 
僕が湯船に浸かっていると、何と監督さんが入って来られました。
 
「わるいのー入らして貰うで、、、」
 
何と監督さんと風呂に一緒に入るのは小学校6年生のスポーツ少年団の卒団旅行で大久野島に行った時以来36年ぶりです。
 
しかもその時僕は熱を出して夜中に海上タクシーの船で本土の病院に担ぎ込まれたんです。
 
旅行の前にカゼを引いて体調がよくなかったんですけど、どうしても行きたくて無理して来てたんですよ、そして昼間泳いで、遊んで、、、この有り様だったんですよ。
 
二人で湯船に浸かって色んな話をしました
「当時スポーツを通して子供達に色んな事を教えたかった、、、」
 
って言っておられました。
 
僕の頭の中に当時の映像が走馬灯のように蘇って来ました、こみ上げてくる物がありましたね、、、
 
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「監督、何歳になられたんですか?」
 
「わしも83歳になった、もうくたびれたで、、、」
 
当時僕達は11・12歳、監督は47歳、ちょうど今の僕位の歳だったと言う事ですよね。
 
「あの頃はよかったの~、わしらも楽しかったで、最近は町も寂れてしもーたし子供もおらん、、、わしも歳じゃしのー、、、」
 
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「お前も一時はどうなるんかと思ーたけど 立派になったのー、美容師になってよかったのー、、、」
 
スポーツ少年団を卒団して中学生から美容師になるまで僕は地元の方たちにも迷惑をかけてた時期がありましたからねー、笑
 
「いえいえ、ぜんぜん立派な事ないですよ、当時色んな人に迷惑かけたし色んな人に支えられて何とかここまで来れたってだけですよ、、、」
 
後から母から聞いたのだが僕が美容師になってコンテストで優勝してテレビや新聞に出た時
 
「お母さん、よかったの~、これで山下も安心じゃ、よかった、よかった、、、」
 
って監督に言って貰った事があったそうです。
 
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僕の知らない所で当時のやんちゃだった僕を心配してくれていた人がいたんですね。
本当に感謝ですよねー、、、
 
たった2年の師弟関係でしたが改めて思いなおす所がありました、83歳って言ったら結構お歳だと思いますがこれからも一日でも長く元気でいて下さいと心から思いました。
 
こうして身も心も洗われた僕は実家に帰ったのであった、笑、ジャンジャン!!