キャロル 夜明け前  ジョニー大倉 | PRAINSのブログ

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1975年4月13日ー
ぼくたちは日比谷野音をあとにした。
そして、春だと言うのに、まるで枝から枯葉が落ちるようにして
キャロル号の乗船員だった四人の仲間は、散り散りに去って行った。
 
2003年、2010年と続けて販売されたジョニー大倉がキャロル時代を綴った「キャロル 夜明け前」って言う2冊の本の帯に書かれている彼の言葉だ。
 
僕のブログの中には事あるごとにキャロルやクールス、エーちゃんや舘ひろし、岩城滉一等の70年代のロックシーンやバイクシーンを象徴する名前が出て来る。
それだけ彼らへの思い入れが強いし彼らを知った70年代から ある意味彼らと共に人生を歩んできたって位の思いがあるんです。
 
みなさんも良くご存じのようにバンド「キャロル」の二枚看板だった矢沢永吉とジョニー大倉。
キャロル解散後からのエーちゃんの活躍はよく知られていますが、かたやジョニー大倉の事はあまり知られていません。
 
キャロル時代、同じ位の才能を持ち ある部分の音楽的才能はエーちゃんをもしのいだジョニー、なぜ二人は解散後ある意味明暗を分けるようになったんでしょうか?
 
色んな書物や人から聞いたこと等から考えると そこには「男の生き方の違い」が感じ取れる訳です。
どちらが良い悪いでは無く 僕も男として人生の先輩でもある彼らの歩んできた道を考え、少しでも参考にできれば、、、って思う訳です。
 
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ここに書いた事はすべて僕の私見であります、当人たちは勿論 みんなそれぞれの思いや意見があってしかるべきと心得ておりますので 宜しくお願いします。
 
そんな中で僕的に「暗」の人生になったと思うジョニーの事を考えて見ようと思います。
 
あまり詳しくは書きませんが、ジョニーは貧しい少年時代を過ごしています。
自分がは日本人では無くコーりアンであるがために
イジメにあったりして物質的な貧しさより内面的な貧しさをず~っと感じていたようです。
 
それを紛らわしたり、生きて行く勇気を与えてくれたのが音楽だったそうです。
 
あくまで僕のイメージですがジョニー少年は いわゆる当時の不良では無く どちらかといえば内向的な「おたく」っていう感じじゃなかったのかと思います。
その少年がビートルズに出会って音楽に目覚め夢を持てるようになった、そしてのめり込んで行ったんだと思います。
いわゆる中毒だと思うんです、大袈裟に言うと音楽やってる時だけ生きてるって実感出来たんじゃないでしょうか、ギターやピアノ弾いて歌っている時だけ現実逃避出来たんだと思います、普段のジョニー少年は今で言う自閉症気味で子供の頃から大人になっても何度も自殺未遂を繰り返しています。
 
そんな中ジョニーは自分より厳しい環境に育ったのに自分のように内にこもるのではなく逆に外へと大きなパワーを出し続ける矢沢永吉と運命の出会いをしたんだと思います。
 
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エーちゃんに圧倒されながらも惹かれて行き 真逆な二人によってキャロルの暴力的だけど壊れそうな繊細さをも持つバンドが出来たんだと思います。
 
考えて見ると人の人生において「出会い」ってとても大事ですよね、出会いは「運」の要素もありますが、何かしら自分が求めないと通り過ぎて行く物だと思います。
 
僕にも宮西先生と城戸君と言う二人と、彼らに会っていなかったら今の自分は無いであろうと言う位の出会いがあった事は前にも書きましたが、それらの出会いも運だけではなく何かしら求めていた物があったのかも知れないと思う訳です。
 
キャロルがモンスターバンドになったのはある意味エーちゃんにとっては予想内、ジョニーにとっては予想外だったんじゃないでしょうか。
 
エーちゃんは現状でも満足せず もっともっとと高みを目指す、ジョニーは戸惑い悩み、やがて それらを紛らわすために薬物に依存するようになる、、、
その時点で二人はもう同じ方向を向いてないんですよ、違う生き方を望んだんでしょうねー。
 
人気絶頂だったキャロルの解散は 傍から見れば意外だったと言う事でしょうが、メンバーの中では必然だったんでしょうねー。
 
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永ちゃんほどブレずに自分の才能と人生を信じぬける人間はそうそういない。
永ちゃんはてっぺんに立つ事を全身全霊で望み、それを成し遂げることに人生のすべてをかけて邁進した。
ただひたすら頂点を目指し、一本道を突き進んだ。
ぼくとまるで正反対だ。
ぼくはそんな永ちゃんを、ずっと否定しようとしてきたんだ。
 
ジョニーが著書の中で語っている言葉である。
その後の二人の人生においてこの言葉こそが二人の明暗を分けた理由だったのであろう。
 
向かって行く者、逃げる者、、、
 
後日ジョニーはこうも語っている。
 
ある意味永ちゃんは望んだ人生を手に入れた、でも僕もある意味自分の望んだ人生を手に入れた、望んだ物が違うだけで
そう言う意味では僕はこれで良かったんだと思っている。
 
 
あくまで私見であるがジョニーは後悔してると思う、あの時逃げた自分に、、、
でも過ぎた時間は逆戻りできない、、、そして開き直ったんだと思う。
決して良い悪いではない、過去に戻れない以上現状に開き直る事もある意味大事な事だと思う。
 
大事なのは今でありこれからなのだ、今からどうあがいてもジョニーは永ちゃんにはなれないであろう、
それを踏まえた上でジョニー大倉はどう生きて行くかが大事なのだ、人の望む幸せはそれぞれ違う、何を望むかはジョニー次第なのである。
 
昨今ジョニーは音楽活動を再開させた、僕としては嬉しくもあるが人前で歌うには今のジョニーの風貌は僕には許せない、ハッキリ言おう、昔の輝きを取り戻し、今からジョニー大倉として光り輝こうと思うのなら「デブ」では駄目なのだ、晩年のエルビスがデブになってどんな最後を遂げたのか?ジョニーも良く分かっていると思う。
 
ジョニーほどロマンチックな詩を書く者は少ない、キャロル時代のリズムギターのカッティングも最高に上手い。
ハイトーンな甘い声で切なく歌う歌は決して永ちゃんには出せない味である。
でもデブで割れた声で歌うのは決して完全復活したジョニーだと僕は認めない。
 
 
僕のこれまでの人生も後悔は無いが反省は沢山ある、今からどう頑張っても宮西先生や城戸君の様にはなれないと思う、ってか僕は今それを目指していない。
僕には僕の思う幸せがある、それは他人に評価される物ではないが 自分に望む事は沢山ある。
 
それらを一つづつクリアしながら自分の理想に近づいて行けたらと思っている、そう!スケールは違うが永ちゃんのように、、、
 
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キャロルやクールス等僕の好きなアーティストについてはず~と書きたいと思っていたしこれからも書いて行こうと思う。
でもなかなかマニアックな話題になるんで次々とは行かないんですよねー(笑)
なにせ美容師が書くブログですからねー(笑)
僕のブログ読んでくださってるお客様には 良く分からんでしょうからねー(笑)
 
これからも色んな事柄をバランスよく書いて行こうと思いますので宜しくお願いしますね ジャンジャン!