玉城徹博物誌3・石榴(ザクロ) | 出ベンゾ記

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ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

毎年、梅雨入り前になると、石榴の花の鮮烈な朱が目に付くようになる。






私は近所の圓照寺という町蔭のお寺で、いつも写真を撮るが、頭の中では玉城徹先生の次の歌を繰り返し唱えている。









〈はるかよりかの張騫(ちやうけん)がもたらししざくろよ土に花朽ちにける〉


第4歌集『徒行』中の傑作だ。


静岡県立大学のHPから石榴に関する記述を引く。


〈ザクロは西南アジアや中東の原産といわれている。トルコあるいはイランから北インドのヒマラヤ山地にいたる西南アジアが原産地とする説、南ヨーロッパ原産とする説、およびカルタゴなど北アフリカ原産とする説がある。世界各地で栽培されており、トルコから中東にかけては特に知られている。新王国時代(紀元前1570年頃から紀元前1070年頃)のエジプトに伝わり、ギリシア時代にヨーロッパに広く伝わった。東方への伝来は、前漢の武帝の命を受けた張騫が西域から帰国した際に、パルティアからザクロを持ち帰ったとする記述がある。日本には923年(延長元年)に中国から渡来した〉


張騫は、匈奴の脅威に対抗すべく、西方の大月氏に協力を仰ぐため、パルティアに接する同地に遠征する。


このルート

が後のシルクロードの基になったといわれる。


ちなみにパルティアは、ペルシャ、すなわちイラン。イランにはザクロス山脈という山並があって、ここはザクロの原産地の一つとされている。


張騫がパルティアから持ち帰った石榴は、やがて朝鮮半島から日本に入り、遥かな日本の土の上に今も花を落としているのだ。