高田馬場→早稲田、昭和遺構1 | 出ベンゾ記

出ベンゾ記

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

3線乗り入れのターミナル駅・高田馬場から早稲田大学の手前まで歩いた。帰りも歩きである。


私は10代の最後の1年をこのあたりで暮らした。45年前の昔だ。なんだか哀愁めいた感覚をおぼえる(笑)。


行きはJR山手線、帰りは西武新宿線を使った。



写真はJR高田馬場駅改札外の時計だが、グッとアップしてみると馬がいる。


高田馬場から来ているに違いない。これは記憶になかったが、あるいは有名なのかもしれない。


西武新宿線の駅ビルBIGBOX。1974年(昭和49年)の竣工で、2007年のリニューアルまでは紅白の目出度いビルだった。黒川紀章意匠設計の複合レジャービルだ。

また、この写真を撮るまで、まったく存在に気づいていなかったが、こんなところに銅像があったのか。


山本豊市制作の平和の女神像。やはり昭和49年の建立というから、BIGBOXと同時期に建てられたのだろう。山本は日本人唯一のマイヨールの直弟子だそうだ。

さて、駅正面のF1ビルの左に、張り付くように建っているのは、地下鉄名店ビル。BIGBOXの隣に見えるが、ハス向かい。昭和44年竣工、設計者不明。



なんということもない雑居ビルだが、今回、中層階のバルコニーのような部分に、モザイクタイルの壁画が飾られているのに気づいた。しかしまあ、絵はつまらない。

名店ビルの前を早稲田通りに沿って上る。


都立戸塚第二小学校のかなり古い裏門。


フェンスの向こうになぜか埴輪が2体(笑)。

学校の手前の脇道を右へ。




建物全面に鎖を垂らしたモダニズム建築、日本点字図書館だ。開館は昭和15年と戦前だが、現在のビルは鈴木エドワード設計で平成8年竣工という。

さすがに中に踏み込むのは憚られ、今回は外観のみ。




早稲田通りに戻って、いまや数少ない名画座のひとつ早稲田松竹。いいセレクトだ。右下のおっさんはバロウズかな? 中年の頃、私をバロウズと呼んでいた人がいたなあ(笑)。昭和26年開館。

ところで、いまは一軒もないが、かつて高田馬場は中古レコード店の集積地で、私は月一くらいでエサ箱あさりをしたものだ。けしからん話だが、中古屋はレコードを詰めた箱をエサ箱と呼んでいたのだ(笑)。

いずれの店も資料がほとんどないが、何度も場所を変えたタイムとレコファンが軒を並べていた時代の写真を、Web上で見つけたのでお借りする。


レコードで思い出すのが五木寛之も通ったという名曲喫茶らんぶる。

最後は廃墟ファンの聖地のようになってしまったから、こちらはWebに外観がわんさかアップされている。

私が行ったのは昭和55年くらいだったと思うが、フルヴェンのブラ3がエンドレスでかかり、コーヒーには始めから砂糖が溶かしてある…まあ、終わった店だった。


名曲喫茶というともう一軒。銭形平次捕物控の作者・野村胡堂の、レコード蒐集家としての名前、野村あらえびすにちなむ、その名もあらえびすという店があった。しかし、これは写真資料が皆無だ。

ただ、あらえびすの備品の一部は、岩手の野村胡堂・あらえびす記念館に保存されていると聞く。



あらえびすは、写真の多摩旅館の近所にあったような記憶もあるがハッキリしない。多摩旅館は現役で営業中。

昔は、連れ込みとは違う、こうした旅館があちこちにあったものだ。

さて、そろそろくたびれた。続きは次回に(笑)。