『1964』 | 出ベンゾ記

出ベンゾ記

ベンゾジアゼピン離脱症候群からの生還をめざして苦闘中。日々の思いを綴ります。

『1964  前の東京オリンピックのころを回想してみた。』(泉麻人/三賢社/2019.2.5初版)



著者には悪いが、はっきり言って泉麻人なんて「オタクの親玉」というくらいの認識しかなかった。


しかし、最近の著書のテーマを眺めてみると、なにか「戦後学」「東京学」といった、私も興味を持つ分野の一権威といった趣がある。本書を手に取った所以である。


まず、書名だが、オリンピック延期が決まる以前に、開催を当て込んでのタイトルであるのが歴然としていて、これはなんとも知れない悲哀を誘う。


しかし、テーマはあくまで1964年当時の東京回顧であるから、内容にはなんの影響もないのが救いか。将来、コロナ禍が生んだ珍書ということになるかも知れない。


さて、1964年というと私は4歳。塵芥といった存在だが、泉は小学校2年生であったという。


〈1964年が始まる前日、63年の大晦日から記憶を辿っていこう。(略)この年の大晦日はどんな番組から観ていたのだろう。フジの朝8時5分、『テケテケ大行進』というのは、“テケテケおじさん”というチャップリンをマネたようなオッサンが出てくる海外モノの短尺コメディー(略)。10時5分頃からの『ブーフーウー』(NHK)、それから滝口順平が声を付けていた11時『ジャングルおじさん』(日本テレビ)、(略)昼下がりの3時、『年忘れ爆笑大会』(NET)に林家三平、獅子てんや、瀬戸わんやの名前があるが、三平は「おもちも入ってベタベタと~~」という渡辺製菓の即席しるこのCMが当たって子供たちにも人気になっていたはずだ〉



と、この調子で夜まで引っ張っていくのは、21時5分スタートの『紅白歌合戦』にまで話を持っていくためだ。


この視聴率81・4%に達したという63年の紅白の完全版を見に、泉は横浜の放送ライブラリーに足を運んだそうだ。


そしておもちも入らないのに、ベタベタと紅白の再現をして見せる。もちろん随所に泉らしい蘊蓄をちりばめてあるから退屈はしないのだが、しかしどうなのよ(笑)。


以下、目次から拾ってみると、クレージーと三人娘、八波むと志、チロリン村とひょうたん島、草加次郎、吉永小百合、舟木一夫、西郷輝彦、仁丹の野球ガム、薬屋でもらった「相撲手帳」、ワッペンから切手へ、忍者部隊と2B弾、西武デパートのピータン、イーデス・ハンソンなどなど。






この分野の第一人者ならではの手慣れた筆致で、次々に昭和風俗を回顧していくさまはお見事だ。


私がいちばん驚いたのは、何気なく書かれた次の一節。


〈当時のわが家には祖母を筆頭に父、母、叔父、弟、それからチヨくんていう愛称のお手伝いさんがいて、四畳半の茶の間に寄り集まっていたはずだ〉


私の4歳の時は、横浜で菓子屋を営む大伯母の家に同居していたが、小学2年の時は、父母と団地に3人で暮らしていた。団地のこととて、ほぼ同じ階級の世帯の集合で、周りを見回してみて、お手伝いさんがいた家庭というのを知らない。


いずれ泉によって、「チヨくん」の視線から書かれた「東京60年代史」といったものが書かれて欲しいと思った。