Okinawa
遠路はるばる沖縄に行ってきました。
広島を発って3時間。
肌を刺すような寒さは
温かい南国の風へと変わったのでした。
穏やかで清々しいまるで5月のような季節がそこにはありました。
時に陽射しは強く風は吹きますが
全てが透き通った感じ。
宿泊先は恩納村にあるカフーリゾート。
アジアンテイストでサービスも充実。女の子は特に好きだと思う。
4人部屋だからこその この広さ。
友達たちと相部屋で泊まるのも楽しくておすすめ。
夜飲んで帰って飲み直しだーってウノとかやったら楽しいよね。
テラスで海と空を眺めながらビールを飲めば(←こればっかり)
もうそれだけで来て良かったなぁ って思うよね。
綺麗な空と綺麗な海があればいいのさ。
夜は皆でどんちゃん騒ぎ。
カラオケはやっぱり沖縄の曲が多かったのは秘密ね
沖縄に来て本当に思ったのは 空が広い
雲が織りなす一瞬のアートが
もったいないくらいにあふれる。
綺麗な物を見ると心も綺麗になっていく気がする。
次の日は朝からダイビング。
なんか皆 悪さしてて捕まった人みたいでしょ
海の中でも写真を撮りたくて活発にやってたら
「モウ キミヒトリオッケーネ!!スキニシテ!!」
みたいなジェスチャーをされてサポートされなかった。
でも好き勝手出来て楽しかったんだ
海から上がったら潮風に吹かれながら
タコライス
ハイネケンはこういう時に飲むんだね。
昼からは北へドライブ。
山を登って登って登って
ついたのは古民家カフェ。
せっかくなので民家の中の席を希望したら
ISSA似のお兄さんが
「人が多くて暑苦しいですよ」(沖縄のイントネーションで)
…。
じゃあ縁側が気持ちよさそうだったので そっちを希望したら
「陽射しが強すぎて5分で気分が悪くなりますよ」(沖縄のイントネーションで)
なんなら !!(広島弁で)
通してもらったのは庭にある木製のテラス席で
その席の気持ちいいこと!
風吹くし日陰で最高やんけ! でも古民家に来たのに!!
まあ細かい事はどうでもいいかと だらだら楽しく過ごしました。
そんな夢のような時間は
瞬く間に終わり 寒い寒い広島へ帰ってきました。
今思うと本当に夢でも見ていたかのような
それでいて遠い昔の出来事ような
不思議で素敵な感覚。
夏の沖縄もいいけど暑い所から もっと暑い所にいってもね。
寒い季節に初夏のような沖縄に行くのが素敵でした。
今年の暮れにでも子供を連れてまたいこうかな。
その前にそろそろお花見の計画立てんといけんね☆
命 -inochi-
会社の非常階段で時たまハトを見かけることがありました。
かれこれ3週間も前からです。
何度もヒョコヒョコと歩くハトを見かけるので
もしや と思い探すと駐輪場の隅にうずくまる痩せたハトがいました。
コンビニからパンを買ってきてホイとあげると
とてつもない早さでハクッと食べたのでした。
腹へってたんだね
ハトは怪我でもしているのかどうも飛べないらしく
ただひたすらうずくまるのでした。
この2月。凍えるような気温の中
雪は冷たい雨へと変わり、風は身を切るよに吹きました。
ハトの様子が気になり餌をもって見に行くと
ずぶ濡れたハトはガタガタと震え
一人寒さに耐えていました。鳥も震えるんだ。
死ぬのを待つのも自然の摂理かもしれませんが
助ける事が出来るのも人間に生まれたが為。
なんとかしてあげたいとネットで調べると
各都道府県には "鳥獣保護窓口 " というものがあり
" きた !! "と思った私は 「 保護をお願いしたいのですが 」
と問い合わせると 「 ハトねぇ。ハトは対象外なんですよ 」と。
はい??
じゃぁ"鳥獣保護 "なんて看板抱えてんじゃねぇ!
"特定鳥獣保護 "に改名しろや !!
という思いを切に念じ、静かに電話を切りました。
期待した窓口は命を大切にしましょうの窓口ではなく
人間界に価値のある命だけは大切にしましょうの窓口でした。
まぁ人間の世界ですから全ての全ては無理な事情は分かりますが
つくづく人間は生き物の価値を自分たちの都合で決める生き物だなと思いました。
かく言う私もその人間の一人です。
生き物の価値 とは何か。
生き物の "価値" というものはそもそも存在しないと思います。
何が生きても何が死んでも同じ。ゆえに平等。
すなわち生き物の価値は人間が定めたものです。
人間が発展していく為に生き物の価値に順位をつけました。
自分達に必要性が高ければ高いほど価値を。
それゆえ今の社会が生まれました。
全ての命の価値を同じにしてしまうと現在の社会は成り立たず
人間がインターネットを使うなんて環境も実現しません。
夜温かい美味しい御飯が食べられるなんて事も
寒いから暖房をつけるなんて事も出来なくなるでしょう。
だからといって命に順位をつける事が良い事かといえばそうは思いません。
でも、そうせざるを得ない世の中に生きている事も理解しています。
命みな平等を実現することは難しいですが、その気持ちを持ち続けることはとても大切な事だと思います。
何に対しても思いやりをもって生きていく事が最低限出来ることではないでしょうか。
とぐだぐだと考え じゃぁこのハトを俺はどうするんだと
病院代もかかるし治るまで面倒見ないといけないし、
うんこも沢山するしばい菌いっぱい持ってるらしいし。
助けてあげたいけど子供もいるし大丈夫かな。
と妻に相談すると 「 どこおるん?助けにいこう! 」。
うんことかばい菌とかお金とか別にいいらしく
よしいこう!みたいな感じ。純誠の母親で良かったなと思う。
そういう事で鳥獣保護窓口がしてくれないから
我が家が保護し、本日病院へ。
脱臼と衰弱してて治るかどうかは分からないらしい。
抗生物質を貰って様子を見る事に。
一つ嬉しかったのは病院が お代はいいですよ と言ってくれたこと。
タダなのが嬉しかったんじゃないよ。
がんばれハト!今日は温かいとこで眠ろうね。
起きたらご飯もあるよ。
純誠には命の大切さは自分で感じて判断出来る人になってほしい。
高城剛 - takashiro tsuyoshi -
※ブログから引用
スティーブ・ジョブズについて
いまから二十年近く前、コンピュータの仕事をはじめたばかりの僕は、
カリフォルニアのハーフムーンベイでいつも瞑想をしている人と話す機会を得ました。
同行した友人が「いまの裸足の人が、アップルコンピュータを作った人だよ」と、僕に教えてくれ、少しばかり驚きましたが、
「あの人のメンターは、君と同じコーブン(弘文)という日本人なんだよ」と言われ二度驚いた事をよく覚えています。
互いの瞑想法や「空」について、その瞑想の人としばらく話していたのは、もう二十年近く前のことです。
1995年、全米計算機学会分科会SIGGRAPHで、
その瞑想の人は壇上にあがって、PIXARの新作映画の話して大きな話題となって、そのあと少しばり個人的な話しをしました。
この日のスピーチが、彼にとって運命の日になりました。
その直後、PIXARは映画「トイストーリー」をヒットさせ、株式公開を果たしました。
多くの人は、スティーブ・ジョブズのことをアップルの人=マックやiPhoneを作った人だと思っていますが、それは業績の一部分でしかありません。
スティーブ・ジョブズは、コンピュータによって、誰よりも社会をより楽しく、そして素晴らしくしようとした人に他なりません。
かつて、誰もが虜になっていたエクセルやパワーポイントは便利なだけで楽しいもんじゃない、社会は変わらないということを、直感でわかっていました。
だから、コンピュータによって便利さを追求するのではなく、コンピュータによって楽しさや素晴らしさを追求しつづけたのです。
その真髄は、アップルコンピュータを一度追い出されて、PIXARに自分の人生を集中する事によって、自他ともに明確になりました。
それは、瞑想によって導かれた「初心」の気持ちや死生観だと言われています。
その後、ハリウッドがいくらでもいいから欲しがったPIXARがあったからこそ、結果としてコンテンツ配信事業が前提なiPodの成功があり、
PIXARがなければ、コンテンツを握るハリウッドはさほど協力せず、iPhoneの成功はここまでなかったことでしょう。
また、スティーブ・ジョブズの有名な言葉に、Stay hungry,Stay foolishというのがあります。
これは、スティーブ・ジョブスの言葉ではなく、
カウンターカルチャー世代の雑誌「ホールアースカタログ」最終号の見出しです。
どこにでもある旅立ちの風景の写真とともに、その別れの言葉は書かれていました。
当時スティーブが出入りしていた「ホールアースカタログ」は、彼にとって永遠のアイコンです。
iPhoneの待ち受け画面が、「ホールアースカタログ」と同じだった地球の写真だったことは言うに及ばす、
iPhoneそのものを、現代の「ホールアースカタログ」として、スティーブは考えていました。
それは、「世の中を変える素晴らしい事を伝える術」を、どんな時も目指し、
便利さや欲望では、社会は大きく動かないことを、60-70年代のカウンターカルチャーを通じてよく知っていたのです。
だから、ニューヨークタイムズもBBCなどの世界中の報道機関がスティーブジョブズのことを「ビジョンを作る人」とするのに対し、
日本の多くの新聞社が、スティーブ・ジョブズを、「元アップルのCEO(最高経営責任者)」と書くのに僕は違和感を感じます。
スティーブ・ジョブズは、経営者でもアントレプレナーでもなく、常に、ビジョンを作る人を目指し、
どんな時も、コンピュータを通じて社会を素晴らしく変える事だけを目指していた人だと思います。
音楽で社会が変わる事を教えてくれたジョン・レノンがなくなった日、
もう音楽は、ただの産業になってしまうんじゃないか、と多くの人は感じたと思います。
コンピュータで社会が変わる事を教えてくれたスティーブ・ジョブズがなくなった日、
もうコンピュータは、ただの産業になってしまうんじゃないか、と僕は感じます。
スティーブ・ジョブズの死は、たぶんコンピュータが終わった日の知らせであり、
残った僕たちは、また次の地平を目指さなければなりません。
その道は、自分の心と直感によって導かれると、何度もスティーブ・ジョブズは言って、ありふれた光景から旅立ちました。
芸術 - geijutsu -
夏が去り
秋は色濃く訪れました
芸術の秋。
今日は岡本太郎先生の話を紹介します。
10年フランスで修業し
日本でも沖縄や東北の土器を再評価したりして 活躍し始めていた太郎が
一気に世に名を知らしめたのが 「大阪万博」。 (1970年/昭和45年)
世界へ日本の文明、芸術、最先端技術を知らしめる絶好のチャンス。
先日中国でも上海万博がありました。
その際シンボルタワーの作成の依頼を受けた太郎は
万博の目玉であった近未来的な建物を前にしてこう言いました
「 この大屋根に穴をあけろ 」
周囲の猛烈な反対を押し切り建築したのが
かの有名な 「太陽の塔」
高度成長期でお祭り騒ぎの日本の万博を
まるで見下ろし睨みつけるかのような
近代主義、先進国優位、国力、産業を知らしめる為に進められた万博
これに反対だった太郎は
わざと近代未来の建物の真ん中ににまるで土偶のようなタワーを建て
日本の歴史、文化を古代よりの形で表現した。
文明の進歩と反比例して人間の心が貧しくなっていないか?
忘れてはいないか?と。
また主催者側はタワーの内部に歴史上の偉人の写真を並べる予定だったが
太郎はこれを拒否して
「世界を支えているのは無名の人たちである」 とし
タワーの内部に無名の人々の写真や民具を並べた。
万博中止を訴え太陽の塔が占領された事件ではマスコミの取材に対し
「イカスねぇ ダンスでも踊ったらよかろうに。自分の作品がこういう形で汚されてもかまわない。聖なるものは、常に汚されるという前提をもっているからね」
と言った。
「牛乳瓶のお化け」 「日本の恥」
と痛烈に批判を受けた太郎であったが
万博後40年以上たった今
皮肉にも最先端であった建物は壊され
残っていたのは
40年たった今でも尚、千里の丘陵に一人で、大空に向かって堂々としている。
当時評論家やジャーナリストの批判の的になるのは分かり切っていた事。
それより何より、進歩主義に沸き上がる万国博に自分の哲学と思想の全てを賭けて
万国博に挑んだ。
この塔は、どんな状況下にあっても、敢えて自分を貫いた岡本太郎自身の塔。
芸術とは何か。美か。人か。思想か。歴史か。
「芸術は爆発だ!」 太郎は言った。
「用心深く、いや臆病に
今までの使い古されたパターンをなぞってなんになるか 」
「相手に伝わらなくても良いんだと思って純粋さを貫けば
逆にその純粋さは伝わる」
岡本 太郎
秋風 -shuhu-
涼しくなってきたなぁ。
去年は夏が去っていくのが切なかったが
今年は秋が来て少し嬉しい。
理由はわからないけどなんか落ち着く。
こんな季節は直島行きたいなぁ。
先日見つけた小さい頃の自分の写真
で4カ月になった最近のjunseiの写真
なんか似てる。
昨日 apple の創業者であるスティーブブ・ジョブズが亡くなった。
とてもショックだった。
これから先の沢山の楽しみが無くなった気分だ。
いつもカッコ良くて最先端で驚きに満ちたアイテムを発表してくれてきた
カリスマが亡くなってしまった。
スティーブが提案するアイテムはいつも本当に最高だった。
大人になってあんなにドキドキしたことはない。
子供が新しい最高にイケてるおもちゃを見つけたときの高揚感。
スティーブの経歴をまとめてみた
高校生の時に違法回線を使った電話を自主作成して
学校で100ドル程度で売りさばいて大儲けしていたらしい
大学では教授より自分の方が優秀なのに気付いて
1年で辞めてしまった
22歳でappleを共同設立。「apple 1」「apple 2」「Macintosh」
などのPCを自主開発で世に送り出し大ヒットを繰り出す。
29歳ではすでに2億ドルの資産を手にした。
一方30歳ではapple内での独断専行の姿勢から不信感を募り
役員一致でappleの職務を剥奪されてしまう。そしてapple退社。
31歳でルーカスフィルムのコンピューター部門を買収。社名を
「ピクサー」と名付けCGの技術をディズニーに売り込む。
のちにピクサーより史上初の完全3D映画「トイストーリー」
が発表され大ヒット。また巨額の富を得た。
41歳で経営不振に陥っていたappleからの要望で再度復帰。
ピクサーをディズニーに売る。
43歳で「i mac」を発表。斬新なコンセプトが人気を呼び
apple復活を世に知らしめた。
45歳でappleのCEOに就任。同年iTunesとipodによって
音楽事業にも参入。音楽事業をパソコン事業とならぶ
appleの事業の柱とした。
その後 「iphone」 「mac book」「i pad」と常に革新的で斬新なコンセプトの製品の発表を続け
全世界の支持を得た。2011年8月の時点でappleは時価総額で世界最大の企業となった。
スティーブは49歳で膵臓癌を患い闘病しながら事業をつづけたが2011年10月5日
56歳の若さで死去。
世界中のappleファンがその死を悼みアメリカ大統領も弔意を表明した。
softbank 孫正義
「本当に悲しい。
常に2世代先の製品を開発し、仕込んでいた。
彼が陣頭指揮した作品はこれからまだ出てくる
彼の場合は製品というより『作品』。
芸術とテクノロジーを両立させたまさに現代の天才だった。
数百年後の人々は、彼とレオナルド・ダビンチを並び称することであろう。
彼の偉業は永遠に輝き続ける。」
スティーブのセンスは常に驚きで未来的で
こんなことが実現してしまうのか といつも衝撃をもらった。
彼の発想、先見の明、プレゼンは最高で他には真似できない気がする
故にもうあのドキドキは帰ってこない





























