こんにちは、Dr.PZです。前回は弓矢の登場と骨角器についてでしたぁビックリマーク

この時代では、主に採取文化であった。木の実などを拾いたべていた。
また、前回の内容どおり中小動物や魚を取っていた。
つまり、現在のように、自分たちで何かを栽培していた訳ではありません。

自分たちで栽培を始めたのは、中期ごろからとされています。

旧石器から縄文にかわり、環境の変化は人々に多くの知識を授けました。
食糧の獲得方法がふえたことにより、今までのように捜し歩くようなことが必要なくなりました。つまり、定住を始めたのです。
それが、竪穴住居ですビックリマーク
住みやすいところには多くのひとが集まります。それが、集落です。
縄文時代のもっとも、有名な集落遺跡が青森県"三内丸山遺跡"です。

このように、街の原型となるものが、誕生しました。

すみません。キリがいいので終わりましょうあせる
お疲れさまでした。

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こんにちは、Dr.PZです。前回は、縄文土器についてやりました。

縄文というのは、土器の縄目から由来したものだということも豆知識として覚えておくとよいでしょう。
また、土器の形の変化によって6期に区分されています。声に出して2・3回読みましたかはてなマーク

ついで、石器は旧石器時代の打製石器と新たに登場した磨製石器の二つを用途に合わせて使い分けていました。
古い打製石器を使わなくなったわけではありませんので間違えないようにビックリマーク

では、今回の内容です。
今回は縄文時代の生活スタイルについてです。
まず、大型動物の絶滅のあとは中型動物の天下です。
縄文人は旧石器時代に続いて動物を狩り、生活していました。では、対大型動物用の武器(石器)で中型動物を狩りできるでしょうかはてなマーク

できたとしても効率が良くないですよねぇはてなマーク
だから、縄文人は新しい武器を開発しました。
それが弓矢です。
とくに、イノシシなどの狩りに使われていました。
また、完新世になったことで島国となった日本列島には入り江ができ、海や川での狩りも行われ、船や釣具も登場しました。
一体どんな船かというと、木を丸々使った丸木船です。
rakugaki:01


下手ですみません。笑
この船で海や川にでて、動物の骨で作った釣り針で魚をとっていました。
この動物の骨で作った道具を骨角器といいます。

今日の内容はこれくらいで終わりにしたいと思います…が…
ちょっと考えてみてください。
なんで、一万年もまえの事を我々はわかるのでしょうかはてなマーク

これは前の人骨化石のときにも言いましたが、発掘によるものです。
特に、縄文時代の発掘に関しては貝塚という遺跡が鍵を握っています。
次回はその貝塚や家について勉強して行きましょう。
それではお疲れさまでした。

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こんにちは、Dr.PZです。前回は、縄文文化についてを環境の変化をもとに話していきました。
更新世から完新世になったことで気温は温暖になりました。それによって…
1海面の上昇右矢印日本列島の形成。
2大型動物の絶滅右矢印中型動物の繁栄
3植物の変化右矢印針葉樹林から落葉広葉樹林

ここまではOKでしょうかはてなマーク

では、今回の内容です。
こう言った、変化にともない人類の生活スタイルが変化していきます。

なんと言っても外せないのが縄文土器の誕生です。
縄目模様の器です。縄目から縄文という呼び方が由来しでいます。
縄文人はこれを使い、煮たり保存したりしていたそうです。

縄文時代は1万6500年から3000年前を差しますが、土器の形状によって6期に区分されます。

草創期・早期・前期・中期・後期・晩期となります。

漢字は簡単ですので、2・3回声に出して必ず、覚えてください。

続いて、磨製石器についてです。
磨製石器は打製石器と違い、用途に合わせて自分達が手を加えたものです。
が、完璧なものではありません。なので縄文時代は磨製石器+打製石器を使っていましたので、混乱しないように‼

では、今回はこれくらいで終わりにしましょう。
お疲れさまでした。

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