こんにちは、Dr.PZです。前回は弓矢の登場と骨角器についてでしたぁビックリマーク

この時代では、主に採取文化であった。木の実などを拾いたべていた。
また、前回の内容どおり中小動物や魚を取っていた。
つまり、現在のように、自分たちで何かを栽培していた訳ではありません。

自分たちで栽培を始めたのは、中期ごろからとされています。

旧石器から縄文にかわり、環境の変化は人々に多くの知識を授けました。
食糧の獲得方法がふえたことにより、今までのように捜し歩くようなことが必要なくなりました。つまり、定住を始めたのです。
それが、竪穴住居ですビックリマーク
住みやすいところには多くのひとが集まります。それが、集落です。
縄文時代のもっとも、有名な集落遺跡が青森県"三内丸山遺跡"です。

このように、街の原型となるものが、誕生しました。

すみません。キリがいいので終わりましょうあせる
お疲れさまでした。

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