北九州で佃収さんの古代史講座(二回目)を受講してきました | トドお父さん通信

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前回1月21日に北九州 黒崎で開催された佃収さんの古代史講座、今回は第二回目が4月21日(日)に北九州 小倉の生涯学習総合センターでありましたので参加してきました。
今回も40人くらい集まって、机と椅子が足りなくなるくらいの盛況でした。
 
北九州の丁巳(ひのとみ)歴史塾と大宰府の大宰府地名研究会がコラボしてこの講演会を開いるそうです。(どちらも古田武彦さんをルーツとする九州王朝研究会)
佃収さんの著作は全て下記のリンクで公開されていますので、興味がある方はぜひ読んでみてください。
 
内容は前回の神武天皇の東遷からすこし時代が後の崇神天皇の話でした。
神武同様に朝鮮半島の白狼山の北西にあった衣羅国が「慕容廆」に滅ぼされて、王子の扶羅が部下数千人を連れて倭国に逃げ、倭人を定めて王になる。と韓国の国史「桓檀古記(かんだんこき)」に書かれている、と断ずる佃収先生の気迫に感ずるものがありました。
 
神武天皇も渡来人なら、崇神天皇も渡来人。
しかも、それぞれルーツが違うとの見立てです。
 
日本の歴史学者は、日本書紀と古事記のみが教科書で他の文献を偽書といい、調べることもしていない。
このような態度で本当の歴史が分かるわけはない。
そのとおりだと思います。
 
続けて「貴国」の樹立と、王仁(わに)の渡来の話も非常に興味深いものでした。
王仁さんは、四世紀~五世紀ごろに朝鮮半島の百済から倭国にやってきて、当時の儒教である論語と千字文を伝えたという伝説がある人です。
 
佐賀の吉野ケ里の西側に王仁博士顕彰公園があり、王仁さんの偉業を讃えているそうです。
とくにルーツが熊本玉名にあるものの一人として、王仁(和仁)さんは米焼酎のブランドになるくらいポピュラーな有名人?なのでメッチャ気になる人物です。
 
最後に仁徳天皇に関する衝撃的な話もありましたが、あまりにびっくりな話でしたので、ここでは触れません。興味がある方は、先のリンクを参照してくださいね。