さくらんぼの季節

★  1  ★

Quand nous chanterons le temps des cerises

Et gai rossignol et merle moqueur

Seront tous en fête !

(春になり)さくらんぼが実り、陽気なナイチンゲールや、からかいツグミと、ぼくらがこの歌を歌うと、みんな心うきうきしてくる。

Les belles auront la folie en tête

Et les amoureux, du soleil au cœur !

娘らは恋に酔いしれ

恋人たちは、その胸に太陽をいだき、

Quand nous chanterons le temps des cerises

Sifflera bien mieux le merle moqueur !

さくらんぼが実り、ぼくらがこの歌を歌うと、

からかいツグミももっと上手にさえずることでしょう。

★  2  ★

Mais il est bien court, le temps des cerises

Où l'on s'en va, deux, cueillir en rêvant

Des pendants d'oreilles...

それでも、耳飾りみたいなさくらんぼを、二人して摘みにいく、さくらんぼの季節はとても短く。

Cerises d'amour aux robes pareilles,

Tombant sous la feuille en gouttes de sang...

お揃いの愛のさくらんぼは、血の滴みたいに

葉っぱに滴る。

Mais il est bien court, le temps des cerises,

Pendants de corail qu'on cueille en rêvant !

夢見心地で摘み取る珊瑚のペンダントみたい、

さくらんぼの季節は、あまりにも短い。

★  3  ★   

Quand vous en serez au temps des cerises,

Si vous avez peur des chagrins d'amour,

Évitez les belles !

もしも、君が恋をして悲しくなるのが嫌だったら、

美しい娘らを避けたほうがいい!

Moi qui ne crains pas les peines cruelles,

Je ne vivrai point sans souffrir un jour...

ぼくは苦しみを恐れて、1日でも苦しまないようにしたいとは思わない・・・

Quand vous en serez au temps des cerises,

Vous aurez aussi des peines d'amour !

さくらんぼの頃になると、君も恋の苦しみを味わうことになるからね。

    

★  4  ★

J'aimerai toujours le temps des cerises :

C'est de ce temps-là que je garde au cœur

Une plaie ouverte !

ぼくは、今でもさくらんぼの季節が好き。

その季節には、開いている傷のある心を、づっと持ち続けているのです。

Et dame Fortune, en m'étant offerte,

Ne pourra jamais fermer ma douleur...

もしも、幸運の女神が僕の前に現れたとしても、

この苦しみが癒されることはありません。

J'aimerai toujours le temps des cerises

Et le souvenir que je garde au cœur !

さくらんぼの季節には、ぼくは今でも、思い出を大切にして行きたいと思っています。

「ガンになって良かった」と言いたい(山口達也さん)を読みながら、3時間かかる点滴を終了しました。血液検査の結果は、悪くなったところはなくて、白血球の減少なく、肝臓や腎機能も良好でした。このまま、続けば良いのですが、どうしても、全体的な体力の低下は否めません。

 

ガンも障害と一緒で、ガン患者の〇〇さんと思われがちですが、そうではありません。

人が先ですから。 〇〇さんがガン なのです。

ある日突然 ふとしたことから 「ガンです」と宣告されて 

 

え? ほんまですか? わたしがですか?

 

と何度も自問して、なんとか受け入れようとして、何冊か本を読んでいます。

  自省録       マルクスアウレリウス(ローマ皇帝16代)

  私は元気です  後藤巴子

  ぼくはあと何回、満月を見るだろう 坂本龍一

  老い方 死に方 養老孟司

  パンセ       ブレーズパスカル

   

 

 

 

人生のはかなさについて思うとき、ドナルドキーンさんが「多分日本人こそは移ろうものに特殊な歓びを発見した最初の民族であろう。(古典の愉しみ ドナルドキーン 大場みな子訳)」と言われたのを思い浮かべます。


徒然草七段に、人生の儚さは生きる上でとても重要だと取り上げられています。
「あだし野の露が消えることもなく、鳥部山に立つ烟り消えもせず、人の命の儚さも無いものなら、もののもあわれもないであろう。世はさだめもない無常なのがよいのである。」
命のなんと壊れやすい事でしょうか。

 

しかし、命はただ壊れやすくて儚いだけでは無いと思います。

そして、人生のどのような年代でもその人の生き方ができる様に。

大人よりも子供の方が価値がないとか でもなく

障害がある命に価値がないとか     でもなく

性別で価値がないとか           でもなく

そうやって はかなさを 生きていけば いいのだろうと

 

 

人は何のために生きる

  人は何のために生きる? そんな問いに答えのないまま過ごしてきた青春時代をすごしてきました。その答えを求めて、山に登ったことがあります。登山など一度も経験がありませんでした。重すぎるリュックを背負って、九州の久住山に向かいました。20歳代の半ばの頃でした。
  そして、その時に体験したことが後の人生を変えることになりました。

1日目はキャンプ場に泊まり、2日目の朝山頂に登りました。夏山の山頂は沢山の人がいました。ただ、そこに登って行きました。
 しばらくすると、山頂の天気が急変しました。始めに、山腹あたりから雷鳴がとどろき渡り、間もなく、酷い雨になりました。そこにいた人は、瞬く間に頂上からかき消えてしまいました。

 

 私は。まだ、人は何のために生きるか何も手がかりすらありませんでした。
雷鳴が近づき、沢山の金属類をまとっている自分には、危険に覆われていました。でも、避難しようとも思っていませんでした。

 恐怖感が高揚していました。いま、ここでとんでもないことが起こるかも知れない。どきどきと言う胸の高鳴りは、雷鳴よりも気になっていました。

恐ろしい。生きる意味があろうとなかろうと、恐ろしいと感じていました。
次には、恐ろしいって”いいな”と、とても嬉しく思いました。
 

意味よりも、生きている事の方がうんと大事。
それが、私の発見でした。


 山を下りた私は、意味よりも生きることを大切にできる仕事をさがし、
あの時から、もう、40年以上経ちました。
この経験はことある毎に、生きてゆく指針となって私を導いてくれました。

 

 今、ガンになって、今は化学療法中ですが、ガンが恐いのは当然として、現実を見ないのは

違う気がします。目を覆って暗闇に飛び込むのも違うと思っています。

 

 

この世のむなしさを悟らない人は、その人自身がまさにむなしいのだ。(パンセ断章164 中公文庫)

生きる意味がないというと、なんだか、絶望につながっているみたいな言葉に感じるけれど、
生きている事自体に意味以上の豊かさとか歓びを感じるということではないかと思います。
ここでパスカルが「この世のむなしさ」と言っているものは、この、「意味のない命」には、それ以上の尊さがあると言うことではないでしょうか。
ガンになって、病気になってその歓びを感じ取ることができた。そのように思われたのが、
山口雄也さんでは無いかと考えます。
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「人に生きる意味なんてものはない。「生きる意味」という空想概念を追い求めようとするからこそ、「生きる意味を見失う」なんてことがあっさりと言えてしまうのである。生きるということ、その行為には意味なんぞ付与することのできない尊さがある。」
(山口雄也; 木内岳志. 「がんになって良かった」と言いたい (p.44). 株式会社徳間書店. Kindle 版.)
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命がガンという一方ならない状況に置かれるときに、それを無視して考えないようにするか、それとも、命の尊さに気が付くのか。パスカルは、「この世のむなしさを悟らない人は、その人自身がまさにむなしいのだ。」と語りかけているのではないかと考えます。「死を考えないようにする」というのは、体よりも先に心が死ぬとゆうことかも知れません。