人は何のために生きる

  人は何のために生きる? そんな問いに答えのないまま過ごしてきた青春時代をすごしてきました。その答えを求めて、山に登ったことがあります。登山など一度も経験がありませんでした。重すぎるリュックを背負って、九州の久住山に向かいました。20歳代の半ばの頃でした。
  そして、その時に体験したことが後の人生を変えることになりました。

1日目はキャンプ場に泊まり、2日目の朝山頂に登りました。夏山の山頂は沢山の人がいました。ただ、そこに登って行きました。
 しばらくすると、山頂の天気が急変しました。始めに、山腹あたりから雷鳴がとどろき渡り、間もなく、酷い雨になりました。そこにいた人は、瞬く間に頂上からかき消えてしまいました。

 

 私は。まだ、人は何のために生きるか何も手がかりすらありませんでした。
雷鳴が近づき、沢山の金属類をまとっている自分には、危険に覆われていました。でも、避難しようとも思っていませんでした。

 恐怖感が高揚していました。いま、ここでとんでもないことが起こるかも知れない。どきどきと言う胸の高鳴りは、雷鳴よりも気になっていました。

恐ろしい。生きる意味があろうとなかろうと、恐ろしいと感じていました。
次には、恐ろしいって”いいな”と、とても嬉しく思いました。
 

意味よりも、生きている事の方がうんと大事。
それが、私の発見でした。


 山を下りた私は、意味よりも生きることを大切にできる仕事をさがし、
あの時から、もう、40年以上経ちました。
この経験はことある毎に、生きてゆく指針となって私を導いてくれました。

 

 今、ガンになって、今は化学療法中ですが、ガンが恐いのは当然として、現実を見ないのは

違う気がします。目を覆って暗闇に飛び込むのも違うと思っています。