現金を見ると情けなく思ってしまいますね。 | ともの闘病日記(うつ病)

ともの闘病日記(うつ病)

2017年11月6日に「うつ病」と診断され、回復までの「つぶやき」や「泣き言」を投稿してみます。
【注意事項】感情の起伏が激しい為、過激的な内容になっています。
読んでくださる前には過激な表現・内容になっていることにご注意ください。
※2020.07.03タイトルを変更

いつも闘病日記を読んでくださり、ありがとうございます。

今日は嫁・子供がお休みなので、遊園地にお出かけすることになりました。

連休とかじゃないからまだ人は少なめではありましたが、それなりに
人はいました。

今の精神状態では耐えれそうになかったので、アルコールの力を借りて
気を大きくしてなんとか耐えました。
こういう時ってアルコールって便利ですね。

薬と違って、すぐに反映されるから耐久性が高くなります。
人混みにいても少しはたえれています。

長女も手伝ってもらい、子供を遊ばせていました。

さすがに年齢・体型もあって子供についていくことができないので
長女に助けてもらいました。

なんとか長男が乗れる年齢・身長制限の乗り物は全て乗り切れました。

ですので、帰路につきました。

ちょっと期限が悪くなっていましたね。まだ遊びたかったのでしょうね。
まぁ気持ちはわかりますね。
ただ、自宅にも戻る時間もあるので、タイムアップでした。

しばらくするとアルコールが切れてきて一気にテンションが下がっています。
今がその状態です。
嫁が現金を支払っている姿を思い出し、とても寂しくなりました。
だって、その現金を稼いているのは嫁・次女ですもの。
私が力になれていないのですよ。

それって結構苦しいですよね。完全に嫁・次女におんぶされている状態なのです。

じゃぁ、今日自分は何をしたのだろうか。

ついて行って、タバコを吸って、お昼ご飯を一緒に食べて、それくらい。

入園料や昼食代は全て嫁が支払っています。

さて、これで自分の存在意義を感じることができるでしょうか。

まぁ、無理ですよね。

子供から見ても、父親は何をしてくれているのだろうかと思っているのかもしれない。

だって、保護者と一緒じゃないとのれないものは、全て長女が付き添ってくれている。

極端に見れて、お金は嫁が支払い、遊びは長女がついてくれているということに
なるのです。

そこに自分の居場所は見つからず、タバコやアルコールに逃げているのです。

療養ってとても難しい。
療養中に自分の居場所を探すことなんて困難なことなのです。

自分の居場所がほしい。

いや、それができない状態だから療養しているのであって、今自分の居場所を焦って
作っても、療養にならないのでしょうね。

何をすれば療養になるのでしょうか。

なにか目標がほしい。いや、目標は寛解か。

うーん、日々の生活をする上で、療養をしていく上で何か目的がほしい。

なんか、目的もなく生活をするのがつらい。

とりあえず、アムカをしないように生活はしていきたい。
これが治らないことには寛解はほど遠いし。

緊張の糸をきらないように、腕を切っていたら意味がないし。

いや、緊張自体をやめないと意味がないか。

何もしないことが療養なのかなぁ。

とりあえず、明日から地域の神社に毎日散歩がてらお参りしてみるかな。

県外や大手の神社にいっているけれど、地域の神社にはお参りしていないことに
気がついた。

まずは地域の神社にお参りした方がいいよね。