ゆっくりと過ごせれた日です。うつ安定期に近づきつつある? | ともの闘病日記(うつ病)

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2017年11月6日に「うつ病」と診断され、回復までの「つぶやき」や「泣き言」を投稿してみます。
【注意事項】感情の起伏が激しい為、過激的な内容になっています。
読んでくださる前には過激な表現・内容になっていることにご注意ください。
※2020.07.03タイトルを変更

今日はとてもおとなしい日でした。特に不安になったり、焦ったりすることもなく

大人しく1日を迎えています。

 

やっぱり、平穏無事が一番です。

平穏無事に過ごせることが一番楽ですよね。

 

イライラすることもないし、子供の声に敏感になることもない。

こんな日が続けばいいのですけれどね。

 

天気もいいし、機嫌もいい。

 

ご飯も食べれたし、ODもしない。アムカもしない。

 

これだけで今日は十分じゃないかな。

 

実はこれが幸せなのかもしれないな。最近幸せを感じたことがないのですが、

何もないことが一番の幸せなのかもしれないですね。

 

不幸がない普通こそが本当の幸せかもしれない。

 

どうしても収入面を考えてしまい焦るのですが、両親が健在し、配偶者がいて、

子供がいて、それだけで幸せなのじゃないのかな?

 

みんな健康で過ごせれれば、それ以上の幸せは無いのではないかな。

 

確かにお金は必要でどれだけあっても困るものでは無い。

ただ、幸せってお金があればえれるものなのかな?

家族の幸せのためにお金をがんばって稼いでいかないとと思っていたのですが、

裕福=幸せとは限らないのではないかな?

 

不幸がない平穏無事に過ごせることが幸せじゃ無いかな?

 

確かに障害者になってしまったことで不幸だと思っていたけれど、

以前に比べて子供や親、配偶者の顔を見る時間は増えた。

家族と一緒にいる時間は増えた。

 

家族と一緒にいることがつらいときもあるけれど、娘にお菓子を作って

もらったり、子供の相手をしたりすることって、病気になる前は無かったよな。

仕事人間だったから、お金を稼ぐことで家族が幸せになると思い込んでいた。

 

けれど、それって違っているんだよね。

 

障害者年金を微量なれどもらって生活の足しにでき、配偶者子供が

お金を稼いで生計を立ててくれていて、不幸だと思っていた。

子供も精神障害者になって不幸だと思っていた。

 

けれど、今は全員が生きて生活できている。

これって幸せなんじゃ無いかな。

最低限の生活かもしれないけれど不幸ではないよね。

 

お金が全てじゃない。

裕福だから幸せじゃない。

 

家族全員が健康に過ごせることが幸せなんだろうな。