2015年 7月 15日 ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所は第一歴代史24章とエペソ人への手紙1章です。共にデボーションしましょう。
☆今日のみことば☆
「どうか、主イエス・キリストの神様、すなわち栄光の父が、あなたがたに知恵を与えて、キリスト様がどのようなお方か、また何をしてくださったかを、正しく、はっきりと理解させてくださいますように。 また、心にあふれるほどの光が与えられて、神様が、あなたがたを召して与えようとされる将来を、はっきり見きわめることができますように。 そして、キリスト様のものとして、私たちが神様にささげられた結果、神様の豊かさがいっそう明らかになったことも、知ってほしいのです。 また、信じる者を助ける神様の力が、信じられないほど絶大であることを、理解してくれるようにと祈っています。」
エペソ人への手紙 1:17-19 JLB
http://bible.com/83/eph.1.17-19.jlb
☆コラム☆
大事な大事な力強いみことばです!
私達の牧師はこのみことばを1万回宣言しましょうと言って私達毎日100回宣言していた時がありました。それくらい重要です。
天の父の心を知るための知恵と啓示の御霊が与えられるように!激しく祈りましょう
心の目、つまり霊の目が開かれハッキリみえるようになりますように! (耳も!)
神の召しによって与えられる望みがどのようなものか⁉️
私達は召されています。それがどのようにすごい事かしることができますように
聖徒がどれほど栄光に富んだものを受け継ぐ事がてわきるのか…それを知ることができますように‼️
神の全能の力によって私達に働く神の優れた力…
それは原語Dynamisつまりダイナマイトの語源であるとんでもない破壊力のような力です。その力が私達にはたらくのです。
その神の偉大さを私達が知ることができますように‼️
ハレルヤ!偉大なる主の御名を褒め称えます!この祈り…自分のものとして受け取りましょう!
毎日、信仰もって宣言しましょう‼️アーメン
さて、主イエス・キリストの父なる神を、どのようにほめたたえたらよいでしょう。 神様は、天上のあらゆる祝福で、私たちを祝福してくださいました。 それは、私たちがキリスト様のものとなっているからです。 (エペソ人への手紙 1:3 JLB)
あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように ☆あきら☆
次回のハレルヤカフェ礼拝は
7/25 土曜日 PM5時~7時
松本千春姉の賛美と証しです。共に集まり礼拝捧げましょう!
■■ God Bless You !!! ■■
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。
2015年 7月 13日 ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所は第一歴代史20-21章です。共にデボーションしましょう。
☆今日のみことば☆
「「いや、十分な金額で買い取らせてほしい。 おまえのものを取って、それを神様にささげるわけにはいかん。 ふところを痛めずに、完全に焼き尽くすいけにえをささげることは、したくないのだ。」」
歴代志上 21:24 JLB
http://bible.com/83/1ch.21.24.jlb
☆コラム☆
ダビデはサタンにそそのかされ、神に対して罪を犯しました。
その罪の代償はとても大きいものでした。なんと国民が七万人も疫病に打たれ、なおも、みつかいが剣を抜きエルサレムの民を滅ぼそうとしていました。主はそこでようやく、災いを止められました。
ダビデは主に従いオルナンの打ち場に祭壇を築き礼拝を捧げなければなりませんでした。そこでオルナンに打ち場を十分な金額で分けてくれるように頼みます。しかし、オルナンは「王様どうぞ献上します。ご自由にお使いください。」と言いました。
しかし、ダビデは費用もかけずにいけにえを捧げたくないといって十分な費用を支払いました。
ここから学ぶ事は、『犠牲を支払う事が大切』という事です‼️
本来、私たちは罪の代価として、いけにえという犠牲を捧げなければなりません。罪のゆるしには命という大きな代償が必要だという事を学ぶために主は旧約の時代にいけにえを捧げる事を命じました。
今は、教会に牛やひつじを連れて行かなくても大丈夫です。それはイエス様自身が子羊となられ犠牲になられ命の代価を支払ってくださったからです。
しかし‼️
イエス様が十字架にかかってくださったから、もう罪はゆるされた…といって何もしないで良いのでしょうか?
そんな事はありません。
私達はイエス様に犠牲を支払うのです。
それは礼拝するという行為とか、教会へ通うとか、
祈りの時間を捧げるとか、聖書を毎日読むとか、
時間と心を捧げるのです。
本当の愛は犠牲を伴うのです。犠牲は追いたくないというのなら本当の愛ではありません。
私達は先に神様に愛されています。ひとり子を捧げるほどに。私達も犠牲を喜んで捧げましょう!神様はその心が見たいのです。天の父の心を震わせる事をしていきたいです。アーメン
『この神様の行為によって、私たちは、何がほんとうの愛か、知ることができました。 真の愛とは、神様に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する神様の愛なのです。 それは、私たちの罪を責める自らの怒りをなだめるために、神様がひとり息子を差し出された愛に尽きるのです。ヨハネの第一の手紙 4:10,JLB)』
『イエス様を神の子と信じ、それをはっきり告白する人のうちには、神様が生きておられます。 そして、その人も神様と共に歩んでいると言えるのです。 (ヨハネの第一の手紙 4:15 JLB)』
あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように ☆あきら☆
君さん版
Ⅰ歴代誌21章1節
『ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。』
サタンはなぜ、ダビデに人口を数えさせたのか、人口を数えることがなぜ悪いのか……。いや、人口を数えることが悪いのではなく、問題はその心です。この場合、人口を数えることがそのまま、戦いに出られる者の数を数えることであり、すなわち神様に信頼しないことなのです。
陥りやすいのは、窮したときよりも慢心のときです。このときのダビデは、まさに勝利続きであり、自分たちの力に酔いしれていたのでしょう。そのとき、サタンがダビデを誘い込んで人口を数えさせました。神様は、神様を求めないダビデの心をごらんになったのです。
『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』Ⅰペテロ5:7
いっさいとは、すべてであり、あのこともこのこともです。私たちが心配しようがしまいが、全能の神様が心配して助けてくださるのです。
『神が私たちに与えてくださっものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。』Ⅱテモテ1:7
おくびょうの霊は私たちにあれやこれやと手数口数を多くさせます。神様に信頼して平安でいましょう。アーメン!
君joy
■■ God Bless You !!! ■■
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所は第一歴代史20-21章です。共にデボーションしましょう。
☆今日のみことば☆
「「いや、十分な金額で買い取らせてほしい。 おまえのものを取って、それを神様にささげるわけにはいかん。 ふところを痛めずに、完全に焼き尽くすいけにえをささげることは、したくないのだ。」」
歴代志上 21:24 JLB
http://bible.com/83/1ch.21.24.jlb
☆コラム☆
ダビデはサタンにそそのかされ、神に対して罪を犯しました。
その罪の代償はとても大きいものでした。なんと国民が七万人も疫病に打たれ、なおも、みつかいが剣を抜きエルサレムの民を滅ぼそうとしていました。主はそこでようやく、災いを止められました。
ダビデは主に従いオルナンの打ち場に祭壇を築き礼拝を捧げなければなりませんでした。そこでオルナンに打ち場を十分な金額で分けてくれるように頼みます。しかし、オルナンは「王様どうぞ献上します。ご自由にお使いください。」と言いました。
しかし、ダビデは費用もかけずにいけにえを捧げたくないといって十分な費用を支払いました。
ここから学ぶ事は、『犠牲を支払う事が大切』という事です‼️
本来、私たちは罪の代価として、いけにえという犠牲を捧げなければなりません。罪のゆるしには命という大きな代償が必要だという事を学ぶために主は旧約の時代にいけにえを捧げる事を命じました。
今は、教会に牛やひつじを連れて行かなくても大丈夫です。それはイエス様自身が子羊となられ犠牲になられ命の代価を支払ってくださったからです。
しかし‼️
イエス様が十字架にかかってくださったから、もう罪はゆるされた…といって何もしないで良いのでしょうか?
そんな事はありません。
私達はイエス様に犠牲を支払うのです。
それは礼拝するという行為とか、教会へ通うとか、
祈りの時間を捧げるとか、聖書を毎日読むとか、
時間と心を捧げるのです。
本当の愛は犠牲を伴うのです。犠牲は追いたくないというのなら本当の愛ではありません。
私達は先に神様に愛されています。ひとり子を捧げるほどに。私達も犠牲を喜んで捧げましょう!神様はその心が見たいのです。天の父の心を震わせる事をしていきたいです。アーメン
『この神様の行為によって、私たちは、何がほんとうの愛か、知ることができました。 真の愛とは、神様に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する神様の愛なのです。 それは、私たちの罪を責める自らの怒りをなだめるために、神様がひとり息子を差し出された愛に尽きるのです。ヨハネの第一の手紙 4:10,JLB)』
『イエス様を神の子と信じ、それをはっきり告白する人のうちには、神様が生きておられます。 そして、その人も神様と共に歩んでいると言えるのです。 (ヨハネの第一の手紙 4:15 JLB)』
あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように ☆あきら☆
君さん版
Ⅰ歴代誌21章1節
『ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。』
サタンはなぜ、ダビデに人口を数えさせたのか、人口を数えることがなぜ悪いのか……。いや、人口を数えることが悪いのではなく、問題はその心です。この場合、人口を数えることがそのまま、戦いに出られる者の数を数えることであり、すなわち神様に信頼しないことなのです。
陥りやすいのは、窮したときよりも慢心のときです。このときのダビデは、まさに勝利続きであり、自分たちの力に酔いしれていたのでしょう。そのとき、サタンがダビデを誘い込んで人口を数えさせました。神様は、神様を求めないダビデの心をごらんになったのです。
『あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。』Ⅰペテロ5:7
いっさいとは、すべてであり、あのこともこのこともです。私たちが心配しようがしまいが、全能の神様が心配して助けてくださるのです。
『神が私たちに与えてくださっものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。』Ⅱテモテ1:7
おくびょうの霊は私たちにあれやこれやと手数口数を多くさせます。神様に信頼して平安でいましょう。アーメン!
君joy
■■ God Bless You !!! ■■
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。
2015年 7月 12日 ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所は第一歴代史18-19章です。共にデボーションしましょう。
☆今日のみことば☆
強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために全力を尽くそう。主はみこころにかなうことをされる。 歴代19:13
☆コラム☆
信仰生活は恵みと祝福だけではありません。
時には戦わなければならない事があります。
それは、人との戦いではなく、自分自身であったり、誘惑との戦いだったり、その敵である大元のサタンであったりです。
主の御心をバイブルを通して悟り、その聖なる戦いに勝利しましょう!主のために、地域のために、家族の為に勝利するのです。
『しかし、こうした中にあっても、私たちは、いのちを投げ出してまで愛してくださったキリスト様によって、圧倒的な勝利を得るのです。 (ローマ人への手紙 8:37 JLB)』
今日も主の栄光をあらわしてまいりましょう!アーメン
あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように ☆あきら☆
しんご牧師版
『ただ一つの願い』
■S:今日の聖書の言葉
第一歴代誌18章13節
★彼はエドムに守備隊を置いた。こうして、エドムの全部がダビデのしもべとなった。このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。
■O:今日のコラム
ダビデの幕屋が建てられた後、ダビデは行く先々で主にある勝利を得続け、イスラエルの王国を拡大し確立して行きました。
しかし最も大きなテストは問題がある時では無く、勝利や成功をした時にやって来ます。ダビデは荒野で逃亡生活をしていた時、膝をかがめて祈り、涙を流して主を褒め称える飢え渇いた一人の礼拝者でしたが、成功し彼の王国が安泰した時、彼は主に対する飢え渇きを失い後に大きな罪を犯す事となります。
私自身も教会にダビデの幕屋が回復し、絶え間ない祈りと礼拝が捧げられる様になって以来、行く先々で主の御業を見、癒しや救い、素晴らしい御霊の働きがなされる事を経験しています。
しかし、この様な時こそ大きなテストの中にある事を覚え、人目につく大きな働きや、有名になる事、人々から成功者だと思われる事を全て脇に置き、膝をかがめて主の前にただ一人の礼拝者として出る事を導かれています。
ダビデが願った、ただ一つの願いを私も人生をかけて追い求め続けます。
「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」(詩篇27:4)
■A:考えてみよう
今日、私の願いはどこに向かっているだろうか?今一度、心を吟味して、共に主イエスを追い求め続けようではありませんか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
■■ God Bless You !!! ■■
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所は第一歴代史18-19章です。共にデボーションしましょう。
☆今日のみことば☆
強くあれ。われわれの民のため、われわれの神の町々のために全力を尽くそう。主はみこころにかなうことをされる。 歴代19:13
☆コラム☆
信仰生活は恵みと祝福だけではありません。
時には戦わなければならない事があります。
それは、人との戦いではなく、自分自身であったり、誘惑との戦いだったり、その敵である大元のサタンであったりです。
主の御心をバイブルを通して悟り、その聖なる戦いに勝利しましょう!主のために、地域のために、家族の為に勝利するのです。
『しかし、こうした中にあっても、私たちは、いのちを投げ出してまで愛してくださったキリスト様によって、圧倒的な勝利を得るのです。 (ローマ人への手紙 8:37 JLB)』
今日も主の栄光をあらわしてまいりましょう!アーメン
あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように ☆あきら☆
しんご牧師版
『ただ一つの願い』
■S:今日の聖書の言葉
第一歴代誌18章13節
★彼はエドムに守備隊を置いた。こうして、エドムの全部がダビデのしもべとなった。このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。
■O:今日のコラム
ダビデの幕屋が建てられた後、ダビデは行く先々で主にある勝利を得続け、イスラエルの王国を拡大し確立して行きました。
しかし最も大きなテストは問題がある時では無く、勝利や成功をした時にやって来ます。ダビデは荒野で逃亡生活をしていた時、膝をかがめて祈り、涙を流して主を褒め称える飢え渇いた一人の礼拝者でしたが、成功し彼の王国が安泰した時、彼は主に対する飢え渇きを失い後に大きな罪を犯す事となります。
私自身も教会にダビデの幕屋が回復し、絶え間ない祈りと礼拝が捧げられる様になって以来、行く先々で主の御業を見、癒しや救い、素晴らしい御霊の働きがなされる事を経験しています。
しかし、この様な時こそ大きなテストの中にある事を覚え、人目につく大きな働きや、有名になる事、人々から成功者だと思われる事を全て脇に置き、膝をかがめて主の前にただ一人の礼拝者として出る事を導かれています。
ダビデが願った、ただ一つの願いを私も人生をかけて追い求め続けます。
「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」(詩篇27:4)
■A:考えてみよう
今日、私の願いはどこに向かっているだろうか?今一度、心を吟味して、共に主イエスを追い求め続けようではありませんか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
■■ God Bless You !!! ■■
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。
第一歴代史17-18
「彼らは、神様の命令どおり、毎朝毎夕、完全に焼き尽くすいけにえを、祭壇の上で神様にささげました。」
歴代志上 16:40 JLB
http://bible.com/83/1ch.16.40.jlb
ダビデは主の契約の箱を前に絶え間ない礼拝を捧げるさました。朝夕絶えずいけにえを捧げました。
神に従順する私達も毎日牛や羊などのいけにえを捧げなければならないのでしょうか?
それはもう、イエス様が十字架で購ってくださったのでその必要がなくなったのです。なんと感謝なのでしょうか。
しかしその代わり、現代のいけにえを捧げるのです。
それは祈りです。感謝のいけにえを捧げるのです。
賛美のいけにえを捧げるのです。
そして自分自身をいけにえとして主に捧げるのです。(霊的に)
『それから、弟子たちに言われました。 「だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしについて来なさい。 (マタイによる福音書 16:24 JLB)』
日々、自分自身の肉なる部分に死に十字架を背負ってイエス様についていきたいです!
アキラ
God bless You
まなくぼ版
「愛を持って語る」
■S:今日の聖書の言葉
1歴代誌17章15節
★ナタンはこれらすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げた。
■O:今日のコラム
シャローム!
16章でダビデの幕屋についての記述が書かれています。
17章の初めでナタンは主からダビデに言いなさいと語りかけを受けます。
バテシェバ事件の時もダビデを悔い改めに導いたのはナタンでした。
ダビデとナタンには信頼関係があったからこそ、ナタンは主からの語りかけをダビデに伝え、ダビデはナタンからの言葉を受け取ることが出来たのではないかと思います。
終わりの時代の栄光の教会は「互いに愛し合うこと」ですよ。とメッセージで語られています。
私たちが互いに愛し合うことの中には、言いにくい事でも愛を持って言うことが必要な時があるということも含まれているように感じます。
■A:考えてみよう
ナタンはすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げたとあるように、必要であるのであれば恐れずに愛を持って語ることが出来ますように。
ダビデとナタンのように、神の家族の信頼関係がますます深みに入って行き、何かを言って傷つけ合うのではなく、主からの語りかけを言って励まし、慰め、たて上がるそのような関係がますますたてあがり、それによって神の栄光が解き放たれますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まなくぼ 】
「彼らは、神様の命令どおり、毎朝毎夕、完全に焼き尽くすいけにえを、祭壇の上で神様にささげました。」
歴代志上 16:40 JLB
http://bible.com/83/1ch.16.40.jlb
ダビデは主の契約の箱を前に絶え間ない礼拝を捧げるさました。朝夕絶えずいけにえを捧げました。
神に従順する私達も毎日牛や羊などのいけにえを捧げなければならないのでしょうか?
それはもう、イエス様が十字架で購ってくださったのでその必要がなくなったのです。なんと感謝なのでしょうか。
しかしその代わり、現代のいけにえを捧げるのです。
それは祈りです。感謝のいけにえを捧げるのです。
賛美のいけにえを捧げるのです。
そして自分自身をいけにえとして主に捧げるのです。(霊的に)
『それから、弟子たちに言われました。 「だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしについて来なさい。 (マタイによる福音書 16:24 JLB)』
日々、自分自身の肉なる部分に死に十字架を背負ってイエス様についていきたいです!
アキラ
God bless You
まなくぼ版
「愛を持って語る」
■S:今日の聖書の言葉
1歴代誌17章15節
★ナタンはこれらすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げた。
■O:今日のコラム
シャローム!
16章でダビデの幕屋についての記述が書かれています。
17章の初めでナタンは主からダビデに言いなさいと語りかけを受けます。
バテシェバ事件の時もダビデを悔い改めに導いたのはナタンでした。
ダビデとナタンには信頼関係があったからこそ、ナタンは主からの語りかけをダビデに伝え、ダビデはナタンからの言葉を受け取ることが出来たのではないかと思います。
終わりの時代の栄光の教会は「互いに愛し合うこと」ですよ。とメッセージで語られています。
私たちが互いに愛し合うことの中には、言いにくい事でも愛を持って言うことが必要な時があるということも含まれているように感じます。
■A:考えてみよう
ナタンはすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げたとあるように、必要であるのであれば恐れずに愛を持って語ることが出来ますように。
ダビデとナタンのように、神の家族の信頼関係がますます深みに入って行き、何かを言って傷つけ合うのではなく、主からの語りかけを言って励まし、慰め、たて上がるそのような関係がますますたてあがり、それによって神の栄光が解き放たれますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まなくぼ 】
7/10 第一歴代史15-16
「ダビデ王は、レビ人の指導者たちに命じて、楽器の伴奏つきの合唱隊を組織させました。 十弦の琴、竪琴、シンバルを打ち鳴らし、喜びの声をあげて歌うのです。
こうしてイスラエルの指導者たちは、大歓声があがり、角笛とラッパが響き、シンバルが鳴り、琴や竪琴が高らかにかなでられる中で、神の箱をエルサレムへ運んだのです。」
歴代志上 15:16, 28 JLB
http://bible.com/83/1ch.15.16,28.jlb
ダビデ王は全身全霊を持って主を賛美し褒め称え、契約の箱を持ち帰りました。ダビデ自らも飛び跳ねて喜び踊り主を褒め称えました。
これが聖書的な信仰の実践です。(といっても聖霊様が静まるように導かれることもあります。礼拝は生き物です。主の喜ぶ礼拝を捧げたいです)
『タンバリンと踊りをもって、 神をほめたたえよ。 緒琴と笛とで、 神をほめたたえよ。音の高いシンバルで、 神をほめたたえよ。 鳴り響くシンバルで、 神をほめたたえよ。息のあるものはみな、 主をほめたたえよ。 ハレルヤ。 』詩篇150:4-6
反面、ダビデの妻、ミカルは窓から見下ろしダビデをさげすみました。
これは主に対して反する霊です。さげすみ見下すミカルの霊性に注意しましょう。
私も心の中でミカルのような人を見下してしまう声が聞こえることがあります。ハッとしてすぐに主に対して悔い改め、自分の魂に命じます。「人をさげすみ見下すミカルの霊をしばり信じる!私から出て行け!」と。 イエス様の愛が私を支配しますようにと願います。
『愛はきわめて忍耐強く、親切です。 愛は決してねたみません。 また、決して自慢せず、高慢になりません。 決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。 愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。 また、いらいらせず、腹を立てません。 人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても、気にしません。 決して不正を喜ばず、真理が勝つ時は、いつも喜びます。 だれかを愛する人は、どんな犠牲をはらっても、誠実であろうとするでしょう。 また、いつもその人を信じ、その人に最善を期待し、いのちがけで、その人を守り抜くでしょう。 (コリント人への第一の手紙 13:4-7 JLB)』
キリストの愛を実行できるように願い求め、歩みたいです。
しんご先生版
「ダビデの霊とミカルの霊」
■S:今日の聖書の言葉
1歴代誌15章28~29節
★全イスラエルは、歓声をあげ、角笛、ラッパ、シンバルを鳴らし、十弦の琴と立琴とを響かせて、主の契約の箱を運び上った。こうして、主の契約の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは、窓から見おろし、ダビデ王がとびはねて喜び踊っているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。
■O:今日のコラム
第一歴代誌15章からいよいよダビデの幕屋が建てられ、絶え間ない賛美と祈りが主の御前に立ち昇り、満ち満ちた礼拝がエルサレムの中心でスタートする事となります。
旧約聖書において主の臨在が最も顕著に現される契約の箱をエルサレムのダビデの家に携え上った時、ダビデは嬉しさのあまり喜び踊り、歓声を上げて主を褒め称え、主の臨在を自分の町へと歓迎しました。
しかしサウルの娘ミカルは、そのダビデの礼拝を見てさげすみました。
私達が力いっぱい主に礼拝を捧げる時、自分の心の中にあるミカルの性質に勝利しなければなりません。時に教会の賛美の時間も「なぜ皆は熱狂して主に叫び、踊り、喜び、声を張り上げて賛美しているのか?こんな騒がしい礼拝をしても意味がない。」と、私達の内から礼拝をさげすむ思いが湧き上がって来るかも知れません。
また時には、個人の時間においても「礼拝したり、祈りに時間を割いても無駄だ。もっと自分を楽しませる事をしたい。」と思う事もあるでしょう。
この様なミカルの心に打ち勝とうではありませんか。ミカルの心を持った結果、主の為に命ある働きは何一つ生み出せなくなります。聖書には「サウルの娘ミカルには死ぬまで子どもがなかった。」(2サムエル6:23)と書かれています。
ダビデが主に愛された理由は、ダビデ自身が何にも勝って主の臨在を慕い求め、自分の人生も命も全てをかけて主を礼拝した器だったからでした。以下の御言葉を共に心に留めましょう。
《申命記6:5》
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
《1サムエル記2:30》
それゆえ、・・イスラエルの神、主の御告げだ・・あなたの家と、あなたの父の家とは、永遠にわたしの前を歩む、と確かに言ったが、今や、・・主の御告げだ・・絶対にそんなことはない。わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。
《箴言8:17》わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。
《ヤコブ4:8》
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
■A:考えてみよう
今日、御言葉を心に留めダビデの様に主を慕い求めて生きましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
「ダビデ王は、レビ人の指導者たちに命じて、楽器の伴奏つきの合唱隊を組織させました。 十弦の琴、竪琴、シンバルを打ち鳴らし、喜びの声をあげて歌うのです。
こうしてイスラエルの指導者たちは、大歓声があがり、角笛とラッパが響き、シンバルが鳴り、琴や竪琴が高らかにかなでられる中で、神の箱をエルサレムへ運んだのです。」
歴代志上 15:16, 28 JLB
http://bible.com/83/1ch.15.16,28.jlb
ダビデ王は全身全霊を持って主を賛美し褒め称え、契約の箱を持ち帰りました。ダビデ自らも飛び跳ねて喜び踊り主を褒め称えました。
これが聖書的な信仰の実践です。(といっても聖霊様が静まるように導かれることもあります。礼拝は生き物です。主の喜ぶ礼拝を捧げたいです)
『タンバリンと踊りをもって、 神をほめたたえよ。 緒琴と笛とで、 神をほめたたえよ。音の高いシンバルで、 神をほめたたえよ。 鳴り響くシンバルで、 神をほめたたえよ。息のあるものはみな、 主をほめたたえよ。 ハレルヤ。 』詩篇150:4-6
反面、ダビデの妻、ミカルは窓から見下ろしダビデをさげすみました。
これは主に対して反する霊です。さげすみ見下すミカルの霊性に注意しましょう。
私も心の中でミカルのような人を見下してしまう声が聞こえることがあります。ハッとしてすぐに主に対して悔い改め、自分の魂に命じます。「人をさげすみ見下すミカルの霊をしばり信じる!私から出て行け!」と。 イエス様の愛が私を支配しますようにと願います。
『愛はきわめて忍耐強く、親切です。 愛は決してねたみません。 また、決して自慢せず、高慢になりません。 決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。 愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。 また、いらいらせず、腹を立てません。 人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても、気にしません。 決して不正を喜ばず、真理が勝つ時は、いつも喜びます。 だれかを愛する人は、どんな犠牲をはらっても、誠実であろうとするでしょう。 また、いつもその人を信じ、その人に最善を期待し、いのちがけで、その人を守り抜くでしょう。 (コリント人への第一の手紙 13:4-7 JLB)』
キリストの愛を実行できるように願い求め、歩みたいです。
しんご先生版
「ダビデの霊とミカルの霊」
■S:今日の聖書の言葉
1歴代誌15章28~29節
★全イスラエルは、歓声をあげ、角笛、ラッパ、シンバルを鳴らし、十弦の琴と立琴とを響かせて、主の契約の箱を運び上った。こうして、主の契約の箱はダビデの町にはいった。サウルの娘ミカルは、窓から見おろし、ダビデ王がとびはねて喜び踊っているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。
■O:今日のコラム
第一歴代誌15章からいよいよダビデの幕屋が建てられ、絶え間ない賛美と祈りが主の御前に立ち昇り、満ち満ちた礼拝がエルサレムの中心でスタートする事となります。
旧約聖書において主の臨在が最も顕著に現される契約の箱をエルサレムのダビデの家に携え上った時、ダビデは嬉しさのあまり喜び踊り、歓声を上げて主を褒め称え、主の臨在を自分の町へと歓迎しました。
しかしサウルの娘ミカルは、そのダビデの礼拝を見てさげすみました。
私達が力いっぱい主に礼拝を捧げる時、自分の心の中にあるミカルの性質に勝利しなければなりません。時に教会の賛美の時間も「なぜ皆は熱狂して主に叫び、踊り、喜び、声を張り上げて賛美しているのか?こんな騒がしい礼拝をしても意味がない。」と、私達の内から礼拝をさげすむ思いが湧き上がって来るかも知れません。
また時には、個人の時間においても「礼拝したり、祈りに時間を割いても無駄だ。もっと自分を楽しませる事をしたい。」と思う事もあるでしょう。
この様なミカルの心に打ち勝とうではありませんか。ミカルの心を持った結果、主の為に命ある働きは何一つ生み出せなくなります。聖書には「サウルの娘ミカルには死ぬまで子どもがなかった。」(2サムエル6:23)と書かれています。
ダビデが主に愛された理由は、ダビデ自身が何にも勝って主の臨在を慕い求め、自分の人生も命も全てをかけて主を礼拝した器だったからでした。以下の御言葉を共に心に留めましょう。
《申命記6:5》
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
《1サムエル記2:30》
それゆえ、・・イスラエルの神、主の御告げだ・・あなたの家と、あなたの父の家とは、永遠にわたしの前を歩む、と確かに言ったが、今や、・・主の御告げだ・・絶対にそんなことはない。わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。
《箴言8:17》わたしを愛する者を、わたしは愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。
《ヤコブ4:8》
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。
■A:考えてみよう
今日、御言葉を心に留めダビデの様に主を慕い求めて生きましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】