第一歴代史17-18
「彼らは、神様の命令どおり、毎朝毎夕、完全に焼き尽くすいけにえを、祭壇の上で神様にささげました。」
歴代志上 16:40 JLB
http://bible.com/83/1ch.16.40.jlb
ダビデは主の契約の箱を前に絶え間ない礼拝を捧げるさました。朝夕絶えずいけにえを捧げました。
神に従順する私達も毎日牛や羊などのいけにえを捧げなければならないのでしょうか?
それはもう、イエス様が十字架で購ってくださったのでその必要がなくなったのです。なんと感謝なのでしょうか。
しかしその代わり、現代のいけにえを捧げるのです。
それは祈りです。感謝のいけにえを捧げるのです。
賛美のいけにえを捧げるのです。
そして自分自身をいけにえとして主に捧げるのです。(霊的に)
『それから、弟子たちに言われました。 「だれでもわたしの弟子になりたければ、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしについて来なさい。 (マタイによる福音書 16:24 JLB)』
日々、自分自身の肉なる部分に死に十字架を背負ってイエス様についていきたいです!
アキラ
God bless You
まなくぼ版
「愛を持って語る」
■S:今日の聖書の言葉
1歴代誌17章15節
★ナタンはこれらすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げた。
■O:今日のコラム
シャローム!
16章でダビデの幕屋についての記述が書かれています。
17章の初めでナタンは主からダビデに言いなさいと語りかけを受けます。
バテシェバ事件の時もダビデを悔い改めに導いたのはナタンでした。
ダビデとナタンには信頼関係があったからこそ、ナタンは主からの語りかけをダビデに伝え、ダビデはナタンからの言葉を受け取ることが出来たのではないかと思います。
終わりの時代の栄光の教会は「互いに愛し合うこと」ですよ。とメッセージで語られています。
私たちが互いに愛し合うことの中には、言いにくい事でも愛を持って言うことが必要な時があるということも含まれているように感じます。
■A:考えてみよう
ナタンはすべてのことばと、これらすべての幻とを、そのままダビデに告げたとあるように、必要であるのであれば恐れずに愛を持って語ることが出来ますように。
ダビデとナタンのように、神の家族の信頼関係がますます深みに入って行き、何かを言って傷つけ合うのではなく、主からの語りかけを言って励まし、慰め、たて上がるそのような関係がますますたてあがり、それによって神の栄光が解き放たれますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まなくぼ 】