2015年 8月 6 日ハレルヤ!
愛するあなたへ! 今日も命が与えられ、一日が与えられました。全てを私たちの神である主に感謝して、いつも喜んで、絶えず祈り、主と共に歩みましょう!
今日の聖書箇所は第二歴代33~34章とヤコブの手紙4章です。共にデボーションしましょう。
☆今日のみことば☆
「彼は、父ヒゼキヤ王が取りこわした異教の神バアルの祭壇を築き直し、いまわしい偶像を作り、日や月や星を拝みました。 事もあろうに、神様を永久にあがめるはずの神殿の庭にまで、異教の祭壇を築き、日や月や星を礼拝したのです。
また、ベン・ヒノムの谷で、わが子をいけにえとしてささげました。 さらに、霊媒や占い師や魔術師にうかがいを立て、ありとあらゆる悪を行なって、神様の激しい怒りを引き起こしました。」
歴代志下 33:3-6 JLB
http://bible.com/83/2ch.33.3-6.jlb
☆コラム☆
主に忠実だったヒゼキア王の次はマナセが王になりました。この王がまた、悪い王でした。
神が忌み嫌う偶像礼拝をしました。
太陽や月や星を拝み、霊媒や占い師や、魔術師に伺いを立てて神の怒りを引き起こしたのです。
神様以外のもの…つまりイエス・キリスト以外のものを礼拝することは罪と定められ神に忌み嫌われます!
主はマナセとその民に警告しますが彼らは聞こうとしませんでした。
どうなったのでしょうか❓
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『そこで神様は、アッシリヤ軍を出動させ、ユダに攻め込ませました。 アッシリヤ軍はマナセ王を鉤で捕らえ、青銅の足かせにつないで車に乗せ、バビロンへ引いて行きました。 その時になって、王はようやく本心に立ち返り、謙そんに助けを求めました。 神様は切なる願いに答えて、エルサレムの彼の王国に王を連れ戻してくださいました。 こうして、ついにマナセ王も、主こそ神であることを知ったのです。 (歴代志下 33:11-13 JLB)』
ようやくマナセ王は気付き悔い改めました。あわれみ深い神はマナセをドン底から回復させます。
主の御名はほむべきかなハレルヤ‼️
34章はヨシア王の時代です。ヨシアも良い王でした。偶像の祭壇や像を壊していきました。そこで主の律法の書を発見します。そこに重要な事が書いてありました。
それは『先祖の行った偶像礼拝の為にこの場所とその住民に災いをもたらす。書物に書かれている全ての呪いをもたらす。彼らは私を捨て他の神々を拝み私の怒りを引き起こした。私の憤りはこの場所に注がれ消える事がない!』というものでした。
偶像礼拝は自分が神の怒りを受けるだけではありません。代々、呪われるのです。本当に注意しましょう!悔い改め主に立ち返りましょう。
心から、家庭、身の回りから一切の偶像を取り除きましょう
『おまえが、この町と住民へのわたしのことばを聞いた時、心から悲しみ、神の前に謙そんになり、絶望のあまり衣を引き裂き、わたしの前でさめざめと泣いたので、おまえの祈りを聞き届けよう。
それから一同の前で、心を尽くし、精神を尽くして神様の命令に従い、巻物に記されていることを行なう、という誓いを立てました。 (歴代志下 34:27, 31 JLB)』
本当の平和は神からきます。イエス・キリストからきます。悔い改め主に立ち返りましょう。主がこの地を治めてくださるように祈りましょう!アーメン
あなたの上に主の豊かな恵みと平安が今日もありますように ☆あきら☆
日曜日の朝、ハレルヤカフェで小さな集まりを持っています。賛美し祈り、聖書の初歩的な学びをいたします。8時から二時間ほど。ぜひご参加ください。
(来られる方はご一報ください)
8月のカフェ礼拝は29土曜日 PM5からです。
どなたでも大歓迎!ぜひともに礼拝捧げましょう!
食事される方は予約ください!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆8/16日曜日、新宿アルタ前にてフィリップ師のいやしの集会があります。奇跡を体験してください
参考動画↓↓↓ すごいです‼️
http://youtu.be/CZhe0nUy9Cg
■■ God Bless You !!! ■■
今日も皆様の祝福を心からお祈りしています。
しゅんさんのデボガイ
ねたむほどの愛(2歴33,34, ヤコブ4)
記事の投稿日 8月 - 6 - 2015
■S:今日の聖書の言葉
ヤコブの手紙 4章5節(歴代誌 第二33章、34章)
★それとも、 「神は、 私たちのうちに住まわせた御霊を、 ねたむほどに慕っておられる」という聖書のことばが、 無意味だと思うのですか。
■O:今日のコラム
言葉には様々な表現があります。英語では「I love you」という言葉を、夏目漱石は「今夜は月が綺麗ですね」、二葉亭四迷は「君のためなら死んでもいい」と訳したそうです。日本語の豊かな表現は素晴らしいですね。
さて、今日のみことばは「神が私たちのうちに住まわせた御霊をねたむほどに慕っておられる」と書かれています。この愛はどれほどのものでしょうか。この一文を言語本来の意味から言うと、「神は、その御霊があなた方の中で歓迎されることを、ねたむほどの愛を持って望まれる」と書かれています。「ねたむ」とは本来否定的な意味で使われる言葉ですが、ねたむほどの愛とは、どれほど強いものでしょうか。また、これほどの愛を持って望まれるとは、どれほどのものでしょう。
この、ねたむほどの愛を持って、主が望まれることは、「御霊が私たちの中で歓迎されること」なのです。聖霊様を歓迎するとは、どのようなことでしょうか。私はこの箇所を読んだ時、雅歌の2章14節が思い起こさせられました。
岩の裂け目、 がけの隠れ場にいる私の鳩よ。
私に、 顔を見せておくれ。
あなたの声を聞かせておくれ。
あなたの声は愛らしく、 あなたの顔は美しい。
聖書には御霊、つまり聖霊様は様々な表現で書かれています。
・柔和さの「鳩」(マルコ1:9~11)
・神との生きたかかわりをもたらす「息または風」(エゼ37:1~10)
・渇きをいやす生ける「水」(ヨハネ7:37~39)
・豊かな収穫をもたらす初めと後の「雨」(ヨエル2:23~31)
・結実の「露」(詩篇133:3)
・喜びをの「ぶどう酒」(ヨハネ2:1~11)
・力をもたらす「油」(使徒の働き1:8)
・純粋さと熱意の「火」(マタイ3:11~12)
ここから分かる通り、聖霊様は「鳩」と表現されています。雅歌の2章14節の「鳩」に「聖霊様」を当てはめて見るなら、下記のようになります。
岩の裂け目、 がけの隠れ場にいる私の「聖霊」よ。
私に、 顔を見せておくれ。
あなたの声を聞かせておくれ。
あなたの声は愛らしく、 あなたの顔は美しい。
聖霊様をねたむほどに愛しておられる天のお父さんは、イエス様を通して聖霊様を私たちに送って下さり、主を信じる私たちの内に住まわせて下さいました。この、私たちの内に住まわれる聖霊様を、天の父はねたむほどに愛しておられるのです。
しかし、私たちはこの聖霊様を岩の裂け目、がけの隠れ場に隠していないでしょうか。つまり、聖霊様を尊ぶことをせず、自分のしたいこと、目の欲、肉の欲、暮らし向きの自慢という岩の裂け目、がけの隠れ場に隠してしまっていないでしょうか。
そのように、私たちが聖霊様を何かの岩の裂け目、がけの隠れ場にかくしてしまうなら、天のお父さんは隠されてしまっている聖霊様に「顔を見せておくれ。声を聞かせておくれ」と願われるのではないでしょうか。
エペソ人への手紙4章30節には下記のように書かれています。
「神の聖霊を悲しませてはいけません。 あなたがたは、 贖いの日のために、 聖霊によって証印を押されているのです。」
では、聖霊様を私たちのうちに歓迎し、尊ぶにはどのようにすればいいのでしょうか。それは、今日の聖書の箇所に続くところに書かれています。
<ヤコブの手紙4章6-10節>
しかし、 神は、 さらに豊かな恵みを与えてくださいます。 ですから、 こう言われています。 「神は、 高ぶる者を退け、 へりくだる者に恵みをお授けになる。 」
ですから、 神に従いなさい。 そして、 悪魔に立ち向かいなさい。 そうすれば、 悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
神に近づきなさい。 そうすれば、 神はあなたがたに近づいてくださいます。 罪ある人たち。 手を洗いきよめなさい。 二心の人たち。 心を清くしなさい。
あなたがたは、 苦しみなさい。 悲しみなさい。 泣きなさい。 あなたがたの笑いを悲しみに、 喜びを憂いに変えなさい。
主の御前でへりくだりなさい。 そうすれば、 主があなたがたを高くしてくださいます。
私たちが苦しむのは、本来私たちが置かれるべき場所に私たちが置かれていないからです。そのためには自分探しの旅に出ても、どうしようもありません。本当の自分らしさは、礼拝の中で現され、形作られていきます。私たちの本来計画を持って作られた形を一番ご存知なのは私たちの内に住んでくださっている聖霊様です。その内なる形が外に現れていくのです。
主の前でへりくだり、悔い改めを持って神に従うことです。今の一時的な苦しみ、悲しみ、涙はあるでしょう。しかし、
「神のみこころに添った悲しみは、 悔いのない、 救いに至る悔い改めを生じさせますが、 世の悲しみは死をもたらします。」
(2コリント7:10)と書かれています。
荒野と思える中で、苦しみの中で、悲しみの中で、涙の中でこそ、聖霊様を慕い求め、歓迎していきましょう。
「御霊も同じようにして、 弱い私たちを助けてくださいます。 私たちは、 どのように祈ったらよいかわからないのですが、 御霊ご自身が、 言いようもない深いうめきによって、 私たちのためにとりなしてくださいます。」
(ローマ8:26)
■A:考えてみよう
自分の中にある聖霊様を隠してしまっている岩は何だろう?それを主にみことばを通して教えられたなら、イエス様のお名前によってその岩を打ち砕きましょう。そして、私たちの内に住まわれる聖霊様を私たちの中心に歓迎しましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しゅん 】
カテゴリー: マナメール