思考実験#3

テーマ:

 何故保育園は足りなくなるのだろうか。何が問題かについて考えてみよう。

 

 考えられる価値判断はいくつかあるが、共通するのは次のようなことである。人間が行う行動にはお金を理由に諦めていい問題と諦めさせてはいけない問題がある。例えば、お金がないなら思想の自由なくても仕方ありません、あるいは例えば、お金がないなら呼吸が出来なくても仕方がありませんということにはならない。子供を産むという活動はこれと同様の問題だという考え方がありうる。音楽を嗜むや、運動を楽しむとは考慮すべき事情が根本的に異なるという話である。子供を産むことがお金を理由に諦めていい問題ではないとすると、子供を育てられない人はどうすればよいということになるのか。国は助けなければいけない、より具体的には、お金がある人、みんなで援助しなければいけない、と考えることになる。

 このように国が、また直接子供を産むわけではない他人が援助をしなければならない理由は何なのか。子供を産むことがお金で諦めてはいけない問題だと考える理由は何なのか。考えられる一つの価値判断は、人間に根源的に保障される権利である、といったものである。漠然として何を言っているか伝わりづらい。簡単に言うと、そういう行為を認めようとするのが日本あるいは人類の文化、道徳、多数派大衆の共通見解だ、ということである。人間として当然でしょう、それを保障しないでどうする、といった話である。これは結局、当然の自由としてどれくらい国民が他人に協力的であることができるか、日本の国民はどれくらい心が広い人々かという話である。文化的水準の高さと言ったような話になる。心が広い文化ほど水準が高いと評価されやすい。

 もう一つ、子供を産む人を援助する理由として考えられるのは、国家、あるいは共に生きることを求める共同体としては、将来活きていくために子供が必要だということである。つまりは、現在生存している最も若い者が生きるためには、その者が老いたときに生活を支えてくれる存在、すなわち子供が必要となる。ここから、国家の目的から子供を産むことを推進する必要があるという考え方につながる。これは窮極的には、子供を産むことを義務化してもよいという考え方にはつながる。これは子供を産むことを推進あるいは強制する必要性がどれくらいあるのかという計算をすることになろう。

 

 以上の価値判断は、前回までの検討で基礎としていた、自由であればなんでもよいという価値判断とは異なる。これに伴って、実は保育園の存在理由も異なっている。前回までで検討していた保育園は保育をすることで利益が上がることを念頭に置いていた。つまり商売の一態様として考えていたものである。そして、その利用者は、子供を預ける料金より多額の収入を少なくとも得ることが出来るという、中級階級の層を対象としてた。

 しかし、国が援助すべきという価値判断から産まれる保育園はこれとは異なる。まず、利益を上げる目的で存在する施設ではない。子供を産み育てる国民の活動を援助するために国から与えられる施設である。またその利用者も中級階級に限られてはならない。階級関係なく下から上まで利用できるものでなければならないのである。

 そうすると、保育園を利用したいと望む者らから利用料金をあまりとれない、ということになる。また極端に言えば利用料金はとるべきではないということにもなる。これが保育園の無償化である。

 この保育園の存在意義から生まれる弊害が、保育士の給料の向上が需要の量に沿わないということである。給料が上がらないのであれば保育士になる者が減り、保育園が減る。これが保育園が足りないとされる理由である。

 

 では、保育士の給料を向上させればいいのではないか。そもそも無償化した場合、保育士の給料はどこから出るのか考えれば、それは国家あるいは街全体であるという話に他ならない。しかし、国や町は多様な事項にお金を使う必要がある。子供を産み育てることを促進するより優先課題が存在しているとすれば、給料の向上もままならないということになるだろう。

 

 保育園の増えない理由を説明するならば以上のようなことになる。国家の間の政策として何が優先されているかをここで議論するのはやめておこう。

 

 

 最後に、ここまでの検討にあげられていない価値判断があるやもしれぬし、時の魔術師自身がいずれかの価値判断を支持するものではないことを付言しておく。

思考実験#2

テーマ:

 何故保育園は足りなくなるのだろうか。親と保育園のバランスについて考えてみよう。

 

 保育園ビジネスはどう成り立つか。

 単純に言えば、子供を持つ親が日中働いて稼ぐお金より少ないお金で子供を預けることが出来れば、親としては預ける利益があるとともに、子供を預かる側にとっても金銭面での利益がある。これで契約が成立する。ここで考えておくべき点は、子供を預かる側は、自分が請求する金額より高額の収入を得ている人しか客にできないということである。もっとも、高額の収入を得ている者であれば、収入を得ながら自由な時間を採れる者、あるいは子育てのために十分な資金がある者の割合も増えてくる。そう考えると、保育園の収入源は収入全体のうちの中級層を想定したものであると思われる。

 

 保育園が足りなくなるということは、保育を望む親が多くなるか、子供を預かる保育園が少なくなっているか、あるいは両方かである。

 保育を望む親が多くなったということについて考えてみる。例えば、ある物を売りたい人に比べてそれを買いたい人が多かった場合、起こる現象は売りたい人、あるいは売られる数が増えるというものである。増やしても売れるのであるからどんどん売ってしまおうということである。では売れる数が限界値に達したらどうなるのか。これは部分的にでも買う方が諦めるしかないという結論にならざるを得ない。これらのことを、踏まえるとどうなるか。保育を望む親が保育園に比べて多くなった場合、まず保育園が増えるはずである。子供を預かる仕事が儲かるためである。しかし保育の場合、人手が必要であり、資格も要る。そこでおよそないと思われるが、保育園の増加が限界が達しているとしよう。親が子供を産むが預けずに生活することは難しい。たどりつく先は、子供を産むことを諦める、である。育てられないなら、子供を産むことを諦める。多くが諦める結果、子供は減り、保育園が足りないという状況は解消される。これが行きつくはずの結論である。

 

 机上の議論は以上である。しかし、現実はそうはなっていない。もちろん現在子供を産むことを諦める親が増加しているという状況にあるということも考えられる。しかし、それで済む問題と考えられていない。自然に保育園が減ってそれで解決でいいではないか、とは考えられていない。保育園が少ないという問題提起はされているのである。

 ではこの問題提起、何が問題だと言っているのか。

 次回、話すことにしよう。

 

思考実験#1

テーマ:

 何故保育園は足りなくなるのだろうか。ふと疑問に思った。

 

 保育園を求めるのは誰か。

 子育てをしたい人がいたとする。

 その人が働いていた場合に、子育てに集中したい場合、会社を辞めるのが基本であろう。これは例えば、音楽活動に集中したいから行っとき働きたくないと言っている会社員が、音楽活動をしている間も会社に籍を置いていることが想定されないのと同じ話だ。働いていないのに会社がいつでも戻ってこられる地位を与えるメリットは基本的にはない。もちろん、特別な能力や約束がある場合は別だ。そうすると、会社を辞めて子育てに集中するのであれば保育園は必要ない。

 保育園を必要とするのは、子供を育てたいが、日中は自分で子供を育てたくない人だ。何故日中は子供を育てたくないのか。仕事をしたいという理由もあろうが、多くは生活費を稼ぎたいという理由であろう。そういう考えがありうるとして、しかしここまでの検討ではまだ保育園は登場しない。今の段階では、子供を日中に育てずに放置して、働けばいい、で終わるからだ。もちろん、そんなことをしては最終的に子供は育つことなく、命を絶つことになる。命を絶つことになるから、本来、そのような選択肢はないのである。日中は働きながら、子供を育てるなんてことは出来ないのである。この結論については、働く必要のない人しか子供を産めない、育てられないことになってしまう、という結果が導かれる。これは特に間違った、あるいは悪い結論ではない。子供を育てることにそれだけの資金が必要なのであれば、資金を持たない人がそれをできないというのは当然である。先の音楽活動を例に出すと、楽器を買う資金を持たない人は、音楽をやりたければ、まず楽器を買う資金を集めるところから努力をすべきであり、その努力なしに楽器を手にすることは出来ないという話と同じである。具体的な話をしていけば、血筋や家系のような注力しなくても得られる資金源もあろうが、これらも親や家族との関係を築いたという努力をした結果とみなせば、法定相続を除いては、おおよそ話は同じである。十分な準備をしなければ好きなことは出来ない。同じ話である。準備をしなければ子育ては出来ない。

 保育園を行う利益を考えた場合、売っているのは、働きながら子供を育てる、この選択肢である。ここで初めて保育園が登場する。生活費は足りないけれど、子供を育てたい、だから日中は働きながら子供を育てたい、この願望をかなえるのが保育園という存在である。

 

 さて以上のように、保育園の需要と供給は成立するとして、では何故足りないなどという状況になるのか。また以上の話では絶対に登場しない保育園無償化はどこから生じるのか。

 次回に話そう。