★米澤玩具1958年スバル360 最初のマイカー ~ ブリキ自動車コレクションから 004 | ポルシェ356Aカレラ

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今週は東京でも木枯らし1号が吹き、急に寒くなりました。コートなどの冬物を引っ張り出した人も多いことと思います。でも、この週末はまた少し暖かくなるようです。寒暖の変化で風邪などひかないようにしたいですね。

1945年生まれのエリック・クラプトンより1歳年下、1946年6月生まれの何と古希にして第45代アメリカ合衆国大統領当選者と決まったドナルド・ジョン・トランプ(Donald John Trump)は身長190cm、トランプの3人目の妻で1970年4月生まれ、トランプより24歳(二回り)年下の雑誌VOGUEの表紙を飾った経歴もある元スーパーモデル・メラニア・トランプ(Melania Trump)は何と身長180cmだという。
トランプ当選の要因は歯に衣着せぬ発言でアメリカ大衆の本音や鬱屈した気持ちを地滑り的に上手く掬い取ったことにあると言われるが、実際のところ、政治経験皆無の新大統領の舵取りには、前例に縛られない思い切った改革をしてくれるだろうという期待半分、暴走するのではという不安半分という向きも多いようだ。トランプの「アメリカは世界の警察をやめる」との発言は、超大国アメリカの過介入によって世界を混乱させてきたことの多い過去を振り返れば、良いことのようにも思える。


新海誠監督の長編アニメーション映画「君の名は。」の興行収入が、200億円を超える勢いで、国産アニメーション映画としては308億円を記録した「千と千尋の神隠し」に次ぐ大記録を打ち立てそうだとのことです。周りで見ていない人は少ないといったレベルのメガヒットともなると、誰しも未見のままではいられないという心持ちにもなりますよね。ところで、あなたはもう観ましたか?えっ、観たって?ねえねえ、どうでした?私は実はまだ観てないんですよ(>_<)
この映画、実際のところ、3回、4回と繰り返し映画館に足を運んだ向きも多いとのことで、人の心をグイグイと惹きつける非常に魅力的な作品であることは確かのようです。映画は他人と一緒でなく一人でじっくり観る方が落ち着くという人もいるでしょうけれども、次のデートには是非この映画をと考えている向きもきっと多いことでしょうね。


閑話休題
さて、ついつい前置きが長くなりましたが、ライブもありとにかく時間がなくてアメブロの記事を書いている場合でもないのですが(大汗)、今日は「ブリキ自動車コレクションから」の第4回として米澤玩具(ヨネザワ)のスバル360と併せて最初のマイカーのお話を極々簡単にアップしますね☆☆
 



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★まずは、いつも読んでくださっている方への質問です。

あなたが幼い頃、家には自動車がありましたか?

最初にあなたの家に来たマイカーは何でしたか?



★現在20代など若い世代の方なら生まれた時には家には既に何台も乗り継いできたマイカーが当然のことのようにあったという人が多いのかもしれません。私のように1960年代に幼少期を過ごした世代ならば、最初のマイカーは初代マツダキャロルの後期型だったとか、初代パブリカのバンだったとか、初代ブルーバードだったとか、初代カローラだったとかといった、胸がキュンとなるような懐かしさを覚える想い出のクルマが存在する人は多いだろうと思います。1960年代、もし親が自営業だったならば生まれた時から家には配達用の初代スバルサンバーがあったとか、三輪のダイハツミゼットMPがあったとか、もし親がちょっとした会社を経営していたといったお金持ちの家ならクラウンやセドリックやグロリアあたりがガレーヂにあったよという人もおられるかもしれません。


★私が幼い頃に初めて家にやって来た自動車=初めてのマイカーは1960年後期型のデメキン時代のスバル360でした。
私の家の近所の住宅街で1960年(昭和35年)にマイカーがやってきたのは割合早い方で、しかし、数年を経た1964年(昭和39年)の東京オリンピックの頃にはかなりの家にマイカーがガレーヂに収まっていました。1964年、私はまだ幼稚園児でしたが、近所の家にあったマイカー達のことは今でも鮮やかに覚えています。隣の家はヘッドライトのデザインが一新された新しいスバル360、2軒隣は日野ルノー4CV、5軒隣は日野コンテッサ900といったように。
・・・という訳で、私の家に初めてやって来たスバル360(特にデメキンタイプ)というクルマに私は幼少時の思い出も重なり強烈なノスタルジーを感じるのです。1960年(昭和35年)から1967年(昭和42年)の初めまで-私が0歳~7歳まで-、当時としては驚異的とも言える7年の歳月を家族と共に日曜ごとにドライブに出かけ、幼い私はいつも家のガレーヂにいるブルーグレイのスバル360に家族の一員であるかのような深い愛着を感じていたのです。7年乗ってついにフロアには穴が開いてしまい、走りながら地面が見えるというボロボロの状態になっていたのですが、それでも、どうしても欲しいという人が現われて、ある日、ガレーヂから愛しのスバルは消えてしまったのでした。


●私の実家の最初のマイカー「1960年後期型 スバル360」
1962年(昭和37年)8月26日(日)、丹沢にて。当時は週休2日ではなくサラリーマンの休みは日曜祝日だけだったから家族でドライブに行ったのは日曜日(または祝日)。現在のデジカメでは撮影日時が自動的に記録されるがフィルムカメラの時代はマメに記録をしておかないと何時撮影したものか判らなくなるケースも多かった。この写真を撮影した1928年(昭和3年)生まれの父(2016年現在88歳で存命、何と藤原紀香ファン)は幸いマメに記録を残しており、撮影日と撮影場所が特定できる写真が多い。
丹沢



★名車スバル360が1958年(昭和33年)に発売された当初の価格 は42万5000円で大卒初任給1万3000円という時代に月収約33ヵ月分と高価であった。
僅か360ccの質素な軽自動車が現在の貨幣価値に換算すれば600~700万円というプライスであり、まだまだ庶民には高嶺の花であった。スバル360が爆発的に売れたのは、1960年代、高度経済成長期に入り日本人の所得が飛躍的に増えてからのことである。そのため、ヘッドライトの形状から所謂、デメキンと言われるスバル360の発売開始から2~3年までの初期の車両は生産台数は少ない。そのデメキンの中でもフロントバンパーが左右2分割の最初の1年半の期間にだけ生産販売された車両は特に稀少である。


★国産車史上に永遠に残るであろう名車「スバル360」を富士重工業が発表したのは、1958年(昭和33年)3月3日のことであった。
その日、正午過ぎに東京・丸の内にあった当時の富士重工業本社で記者発表会(プレス発表)が行われた。空冷2気筒2ストローク360㏄エンジンをリアにマウントしたRRで大人4人がゆったり乗れ、16馬力の出力で車重385kgを時速83km/hまで引っ張った。車体サイズは全長3m/全幅1.3mの当時の軽規格にきっちり収まっていた。エクステリア・デザインはインダストリアル・デザイナー佐々木達三氏(1906-1998)によるものであった。スバル360が名車たる所以 については、自動車専門誌CGの初代編集長 故・小林彰太郎氏が次の通り簡潔かつ的確に記されている。
1950年代に登場した日本車の中で世界に誇れる車が1車のみ存在する。軽自動車のスバル360である。それは元中島航空機の技術者たちが航空機設計とまったく同水準の、重量/スペースに関する細心の神経をもって設計したもので、これほど小さく軽量なボディに、大人4人が楽に乗れ、快適でソフトな乗り心地を実現できたクルマは、自動車史上空前にして絶後だろう。一切の無駄を省いた合理的なスタイルも魅力的であり、時代を超えて世界に誇れる数少ない日本車である。


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★米澤玩具(ヨネザワ)の歴史は戦前1932年(昭和7年)4月に初代社長米沢喜孝氏が台東区浅草2-19にて米沢商店を開業して玩具の卸し業を始めたことに遡る。
終戦後、1948年(昭和23年)1月に個人商店から法人組織となり、1956年(昭和31年)6月には北米の玩具買主(バイヤー)の依頼により北米輸出の専門会社として株式会社トーキョー・セントラル・トイズを設立すると共に国内向け販売及び北米向けを除く輸出業務を行う米澤玩具株式会社が設立された。1950年代から1960年代のブリキ玩具黄金時代には米澤玩具は幾多の名作を世に送り出した。
1965年(昭和40年)8月9日には、大盛屋酒井通玩具の業務停止に伴い大盛屋のアンチモニー製ミニカー「チェリカ フェニックス シリーズ」の全ての残存金型を引き継ぎ、ダイヤペット・ブランドとしてミニカーの製造販売を開始した。1994年(平成6年)5月、セガトイズに買収され株式会社セガ・ヨネザワとなった後、2000年(平成12年)3月にはダイキャストミニカーの商標をアガツマに譲渡し、ヨネザワは創業68年目にして玩具製造販売事業に終止符を打った。


●米澤玩具1/17スケール 1958年スバル360
全長17.5cm。ブリキ製。米澤玩具のブリキ黄金時代の製品。ディテールの再現度では萬代屋(現バンダイ)のスバル360には遠く及ばないながらも、その独特のデフォルメされた造形が深い味わいと抜群に良い雰囲気を醸し出している。ボディカラーは実車通りの肌色と青灰色。フロントカウル・ベンチレーターが付いていないことから1958年型に見える。初期のデメキン・スバル360の当時物ブリキ玩具は米澤(ヨネザワ)・萬代屋(現バンダイ)・寺井商店(ダイヤ)・旭玩具製作所(アサヒ)の4社が競作しているが、現存する個体は米澤製が最も少ないことから、恐らく販売期間が短かったものと思われる。この米澤製スバルは、箱付・箱なし・ジャンクといった状態の如何を問わずアンティーク玩具市場に現れることは稀で、玩具本来の天寿を全うしかけたような箱なしズタボロ・ジャンクの状態であっても殆ど見かけない。

【2016年 評価額】 箱付ミント45~60万円程度。箱なし美品18~25万円程度。
米澤(1)

米澤(2)

米澤(3)

米澤(4)

フロント
米澤(5)正面

テールライトも省略されたリア周り
米澤(6)リア

室内プリント
米澤(7)室内プリント

リアトレイにプリントされた桜に「Y」の米澤マーク。
米澤(8)米澤ロゴ

米澤(9)箱

米澤(10)

トミカ(小さい青色ツートン)との大きさ比較。
米澤(11)トミカと






★オマケ(その1): 隔週刊スペシャルスケール1/24国産名車コレクション第5巻 1958年スバル360
アシェット・コレクションズ・ジャパン、2016年10月25日発売。税込定価3999円。全長12.5cm。ダイキャスト製。1958年の表記があるのは誤りで、フロントウインド手前にカウルベンチレーターが付いていることから1959年型をモデル化しているようだ。デメキンのモデル化ということで発売前から期待されたが、ヘッドライトが大き過ぎてフロントの印象が別のクルマのように見えるのが残念。黒ルーフに白のカラーリングも実車とは異なる。ドア開閉のギミックが付くのは嬉しい♪
国産名車(1)

国産名車(2)

国産名車(3)

2000年発売1/43スケール・メイクアップ製との並び
国産名車(4)メイクアップ1

メイクアップ製のフロント周り
国産名車(5)メイクアップ2

メイクアップ製のリア周り
国産名車(6)メイクアップ3



★オマケ(その2): 1967年スバル360 テレビCM
アニメーションにスバルの唄のCMが懐かしい。




★オマケ(その3): 1968年スバルヤングSS/S テレビCM
スバル360のモデル末期に発売されたスポーツバージョンのCM。