ポルシェ356Aカレラ

★20世紀の自動車カタログ、鉄道車輛カタログ、玩具・模型カタログ、ビートルズ、ショパン、ヴィンテージ・ポルシェ、草軽電鉄 etc


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今日の東京は冷たい雨の1日でした。この雨は明日まで続くようです。
一昨日、11月23日(日)に船の科学館前特設会場で開催されたイベント「第2回お台場旧車天国」の会場で非常に珍しい黎明期の軽自動車「NJ号」の実車を見ることが出来ました。そこで、今回の「自動車カタログ棚から」は急遽、珍車NJ号の記事をアップすることにします。
(昨夜アップする予定がバンドの練習などでどうにも時間が取れず1日遅くなりました) 



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★日本の法律に軽自動車の概念が登場するのは、戦後1948年(昭和23年)1月施行の運輸省令第36号においてであった。「全長2.8m、全幅0.9m、全高2m、4サイクルエンジン150cc以下、2サイクルエンジン100cc以下」とされたものである。この数字は二輪車には適用出来ても四輪として製作するには、特に1mにも満たない全幅制限では現実的ではなかった。
現実的な最初の軽自動車(軽三輪自動車および軽四輪自動車)の規格が定められたのは1950年(昭和25年)7月26日発効の運輸省令第56号においてであった。「全長3m、全幅1.3m、全高2m、4サイクルエンジン300cc以下、2サイクルエンジン200cc以下とする」とされた。4サイクルより2サイクルのエンジン容積制限が小さいのは、2サイクルエンジンでは4サイクルの2倍の出力が得られると考えられていたためである。
翌1951年(昭和26年)8月16日発効の運輸省令第74号にてエンジン容積が4サイクル360cc以下、2サイクル240cc以下に変更され、1955年(昭和35年)4月1日発効の運輸省令第50号にて4サイクル・2サイクル共に360cc以下(軽二輪は250cc以下)と定められた。この軽自動車360cc時代は四半世紀以上に亘り続き、日本のモーターリゼーションの発展に大きく貢献した。1976年(昭和51年)1月に至り550cc以下、1990年(平成2年)に660cc以下となり1998年(平成10年)には車体寸法制限が全長3.4m、全幅1.48mに変更されて現在に至っている。


★1958年(昭和33年)5月に発売された富士重工業のスバル360がヒットする以前に発表・発売された軽自動車達は、歴史的には黎明期の軽自動車ということができる。
それらは町工場の手造り作品的な稚拙な車種も多く、1955年(昭和30年)10月に鈴木自動車が発売したスズライトSF、住江製作所のフライング・フェザー(本シリーズ第25回記事参照)といった歴史的に見て優れた車種を含めても何れも生産台数は少なかった。月収7000円~1万円程度の時代に30~40万円といった価格帯では一般の日本人にはとても手が届かず、逆に事業経営等で成功しお金を持っていた裕福な日本人は米軍人流れの外国車や国産ならトヨペットやプリンスを買い求めるのが普通であったに違いない。幾らお金があっても遊園地の遊戯用自動車をちょっと大きくしたような誰の目にも稚拙な軽自動車を買わないのが普通の判断であったことだろう。
黎明期の軽四輪自動車としては、名古屋・オートサンダル自動車のオートサンダル、横浜・日本自動車工業のNJ号(エヌジェイ)、品川・三光製作所のテルヤン、芝浦・シバウラMR-1、品川・オオタスポードショップのオーミック、長崎・井坂自動車研究所のベビーコンドル、芝浦・梁瀬自動車のヤナセYX-360等、試作のみに終わったと思われるものを含め雨後の筍のように多数が誕生した。



NJ号
試作程度で消えたものも多い黎明期の軽四輪自動車の中で日本自動車工業のNJ号は比較的長期に亘り生産された。車名の「NJ」は、日本自動車の英文「Nippon Jidousha」のイニシャルである。日本自動車工業は横浜市南区井土ヶ谷仲町158番地に本社を置いていた会社でボルボおよびサーブの日本輸入総代理店でもあった(工場は横浜市南区南太田4-430)。
最初のNJ号は「NJ53」の名称で1953年型として発売されており、正確な発売時期に関する資料は見当たらないのだが、日本自動車工業の1953年暑中見舞い葉書に「NJ号の製造発売を開始致しました。」の印字があることからすると1953年(昭和28年)春あたりの発売だったのではないだろうか。セミモノコックボディに4輪独立懸架という先進的な機構に日本内燃機のくろがねを範とした強制空冷4サイクルV型OHVエンジンをリアに積んだRR、幌付きの2座オープンカーとして発売された。オープンカーと言っても決して運転を楽しむスポーツカーを目指したものではなく、簡便なミニマム・トランスポーターとしてボディの製作も楽なオープンボディとしたもので、フロント・トランク及びリアエンジン上にはパイプで仕切った荷物棚を設け、カタログでは「画期的 乗貨車」と謳われていた。
1954年型の「NJ号54」では全長が80mm延び(2910mm)、リアサイドにメッキのルーバーが追加された。NJ号の生産数は1955年までの足かけ3年に約80台。そのうち3台が現存すると言われ、2桁台後半という総生産台数からすると現存率は意外に高い。
日本自動車で製造開始されたこのNJ号、エンジンは基本的に同じままで、その後、製造元会社を2度も変え以下のような数奇な運命を辿っている。


ニッケイタロー
1955年(昭和30年)、日本自動車工業の倒産により生産設備や保管部品を債権者が買い取り、日本自動車の社員等製造関係者を引き抜いて、埼玉県川口市本町1丁目185番地に本社を置く日本軽自動車株式会社がNJ号の生産を継続した。翌1956年(昭和31年)には根本的に設計が変更され、RRからFR、セミモノコックからパイプフレームとなり、2座(+ランブルシート2座)のロードスター「RA-1型」と同シャシーに2座+200kg積みピックアップ・ボディを載せたトラック「TA-1型」の生産が開始された。この時、車名が日本軽金属の略であるニッケイに太郎を併せた「ニッケイタロー」に変更された。翌1957年(昭和32年)にはライトバン「LA-1型」が追加された。1956年108台、1957年に49台を生産し合計157台とNJ号の約2倍の生産数ながら現存車両は確認されていないようだ。


コンスタック
1957年(昭和32年)、ニッケイタローを生産していた川口市の日本軽自動車も経営破綻し、エンジンを生産していた東京都大田区入新井5丁目263番地の日建機械工業株式会社が生産を引き継ぎ、ニッケイタローのトラックおよびライトバンが「コンスタック」の名称で販売された。車名はコンスタントメッシュのミッションを採用していたことからの命名だろうか。
日建製コンスタックではトラックがCT型、ライトバンがCL型と呼ばれ、ニッケイタローでは2枚だったフロントウインドが1枚となり、ボディ前半にサイドモールが付き、トラックはキャビンと荷台が分割式のスタイルとなった。1959年(昭和34年)以降のライトバンでは最後部のサイドウインドがメクラではなくガラス入りとなったようだ。コンスタックは1961年(昭和36年)まで計145台が受注生産された。コンスタックも現存車は確認されていない(?)。なお、コンスタックを製造した日建機械工業という企業は工作機械器具のメーカーとして現在も存続しているようだ。



【主要スペック】 1953年 日本自動車工業 NJ号53 
全長2,830mm・全幅1,200mm・全高1,200mm・ホイールベース1,650mm・車重450kg・RR・VA-1型空冷4サイクルV型2気筒OHV358cc・最高出力12HP/4000rpm・最大トルク2.0 kgm/2600rpm・圧縮比7.0。変速機3速コラムMT・乗車定員2名・電装系6V・最小回転半径4m・燃料消費量23km/L・最高速度60km/h・販売価格38万円



●1953年7月 日本自動車工業 NJ-53 暑中見舞い葉書 (縦9×横13.9cm)
横浜港の初期のNJ号。ナンバーは日本自動車工業の地元・神奈川を示す「神16」となっている。
絵葉書(表)

裏面には以下の印字がされている。「暑中御伺い申上げます。今般、軽自動車『エヌジェー號』の製造発売並びに瑞典(スウェーデン)製乗用車『ボルボ』及び『サーブ』の輸入販売を開始致しましたので何卒御愛顧の榮を賜り度、切にお願ひ申上げます。昭和28年盛夏 日本自動車工業株式会社」
日本自動車工業は1955年には倒産しているので、この葉書の文面からするとNJ号の製造販売だけでなくボルボとサーブを輸入していたのも2年程度の僅かな期間だったようだ。
絵葉書(裏面)


●1953年10月 日本自動車工業の広告
三栄書房モーターファン臨時増刊「自動車ダイジェスト1953年版」に掲載された日本自動車工業の1頁広告。ボルボPV444、サーブ92と共にNJ53が掲載されている。
53広告


●1953年 NJ号 カタログ (B5判・2つ折4面)
恐らくNJ号の最初のカタログ。翌1954年にはウインドフレーム横に取付けられた腕木式方向指示器(ウインカー)がドア前方のパネルに埋め込まれている。ホイルキャップはなし。
53表紙

【中面から】
「国情に最も適応した画期的乗貨車」のコピー。ナンバーは神奈川を示す「神18」。
53(1)画期的乗貨車

「スクーターの免許で乗れるNJ53」
53(2)スクーターの免許で乗れる

コラムシフトの運転席とパイプで囲った荷物棚を設けたリア周り
53(3)運転席&リア周り

フロント・トランクとコイル・スプリングの四輪独立サスペンション
53(4)フロントトランク&四独サス

裏面: スペック&図面
53(5)スペック&図面

図面: サイド
53(6)図面サイド

図面: フロント
53(7)図面フロント

図面: リア
53(8)図面リア



●1954年 NJ号 カタログ (縦13×横17.5cm・3つ折6面)
全長が80mm伸び、リアサイドにメッキのルーバーを追加、腕木式方向指示器(ウインカー)が窓枠に移り、メッキのホイルキャップが付いた。
54表紙

【中面から】
四輪独立サスとVA型エンヂン
54(1)四独サスとVAエンヂン

フロント・トランク
54(2)フロントトランク

運転席: 左右座席の間がパイプで仕切られている。
54(3)左右座席間パイプ

スペック&図面
54(4)図面&スペック


●1955年 NJ号 カタログ (縦13×横18.2cm・2つ折4面)
製造元が横浜の日本自動車工業から埼玉県川口市の日本軽自動車に替わった後のカタログ。
55表紙

【中面から】
「NJ号は世界で最も小さい軽自動四輪車です。欧米のスポーツカーにもまさる美しいボディスタイル、強力なエンジンを誇る二人乗りでビジネスに、ドライブに、素晴らしい性能を発揮します。快適な乗心地で、コンバチブル(幌型)ですから、雨の日にも濡れる心配がありません。しかも、免許、税金はスクーターやオートバイと同じです。」
NJ号の前に立っている女性はミスユニバース第5位 高橋敬緯子さんと印字がある。約60年の時を経ているので、当時20歳としても現在は80歳前後になられているはず。
55(1)ミスユニバース

珍しい幌を被せた姿。東京渡し正価30万円の印字。発売時の38万円より大幅値下げ。
55(2)幌を被った姿と30万円

裏面: 製造元が埼玉県川口市の日本軽自動車に変更された。
55(3)日本軽自動車に変更



●1956年10月 ニッケイタロー RA-1型ロードスター 広報写真
三栄書房モーターファン臨時増刊「自動車図鑑1956年版」より。ドアは後ろヒンジの前開き。
ロードスター広報写真



●1956年? ニッケイタロー 簡易カタログ (B5判・片面刷り)
簡易カタログというより単なるチラシ。製造は大きく印字のされた日本軽自動車株式会社だが、総発売元は港区赤坂溜池30番地の「日本自動車株式会社」となっている。ロードスター「ニッケイタローRA-1型」とピックアップトラック「ニッケイタローTA-1型」のみの掲載。「出た!理想的な國民車 ニッケイタロー」のコピーが現代の目では笑いを誘う。
2台シラシ・ニッケイタロー



●1956年? ニッケイタロー カタログ (縦18×横18.5cm・2つ折り4面)
表紙の絵は赤いロードスターを運転している女の子?が異様に小さく、フロントタイヤが大き過ぎるなどバランスは悪いが妙に味わい深い。表紙上部には「ビジネスに!健全リクレーションの家族ドライブに!」のコピー。このカタログもロードスター「ニッケイタローRA-1型」とピックアップトラック「ニッケイタローTA-1型」のみの掲載でまだライトバンの掲載はなし。
56表紙

表紙には「NIKKEI TaRO」(ニッケイタロー)のロゴマーク
56(1)表紙ロゴアップ

【中面から】
ロードスターRA-1型
56(2)ロードスター


ロードスターRA-1型では「フロントシートのボルトを外して即席のキャンプシートに変ります」と記され、家族で原っぱにてフロントシートを外してピクニックしている写真。
56(3)シート外してピクニック

トラックTA-1型
56(4)トラック

図面: ロードスターRA-1型・・・リアシートは開閉式のランブルシート
56(5)ロードスター図面

図面: トラックTA-1型
56(6)トラック図面

NJ号ではVA-1型だったエンジンがこのカタログでは同排気量・同出力ながらVA-5型に進化している。変速機はNJ号のコラムシフトから一般的なフロアシフトに変わった。
56(7)エンジン

軽量なパイプフレーム
56(8)パイプフレーム

裏面: スペック
56(9)裏スペック



●1957年 ニッケイタロー 簡易カタログ (A4判・片面刷り)
簡易カタログというより単なるチラシ。「国民のみんなが待っていた国民車」のコピーがあるものライトバン(ライトバーンと印字)が395000円、ピックアップが355000円、ロードスターが395000円という価格は庶民には高価過ぎた。
57チラシ3台

ロードスター39万5000円
57チラシ39万5000円ロードスター



●1957年 ニッケイタロー ライトバンLA-1型 専用カタログ(縦14.3×横20.8cm・3つ折6面)
ライトバン表紙

【中面から】
ライトバンのみはウインドピラーに腕木式方向指示が付かず、同時期のダットサンのようにフェンダー左右上部にウインカーが付けられていた。
ライトバン(1)サイド

荷室
ライトバン(2)荷室

フロアシフトの運転席
ライトバン(3)運転席

軽量なパイプフレーム・シャシー
ライトバン(4)パイプフレーム・シャシー

裏面: スペック&図面
ライトバン(5)スペック&図面



●1958年? コンスタック カタログ (縦16.8×横20cm・2つ折4面)
川口の日本軽自動車から大田区の日建機械工業に製造元を変えた後の「コンスタック」のカタログ。表紙は羽田空港で撮影された写真のようだ。ロードスターは生産が打ち切られ、トラック・コンスタックCT型とライトバン・コンスタックCL型の商用2種のみが生き残った。トラックはニッケイタロー時代のワンピースボディがキャブ・荷台分割となった。更に末期にはライトバンの最後部サイドウインドがメクラからガラス入りに変わった。
コンスタック表紙

【中面から】
トラックCT型
コンスタック(1)トラックCT型

ライトバンCL型
コンスタック(2)ライトバンCL型

裏面:スペック・・・エンジンはVA-6型に進化している。
コンスタック(3)裏スペックVA6型エンジン





★オマケ: 1955年 NJ号 実車画像
NJ号はミニカー等の立体造形物は現在に至るまで全くなく(スクラッチビルド作品を除く)、マイナー過ぎて子供向け絵本に描かれるようなこともなかったようだ。今回のオマケは2014年11月23日(日)お台場・特設会場でのイベント「第2回お台場旧車天国」で撮影した実車画像。福岡県久留米市荒木町の自動車博物館「セピアコレクション」(日曜・祝日のみ公開)の保存・展示車両。フロント周りなど欠品パーツもあるようだが、存在自体が貴重なクルマだけに贅沢は言えない。リアナンバーは「長」で長野県内にて登録されていた車両とのこと。九州からフェリーで運び港からは元気に自走してきたとの由。オーナーの方は不動産賃貸業で生計を立て、旧車販売店と120台を展示した430坪の旧車博物館を趣味で運営しているというので驚いた。ミニカー120台でなく、本物の貴重な車を120台趣味で集められているのだから。NJ号だけでなく同じく黎明期の軽自動車であるオートサンダルの最初期型も保存されている。ニューイヤーミーティングが富士開催となった後の首都圏の旧車イベントとして、このお台場旧車天国は定着していきそうだ。
実車(1)斜め前

リアサイドにメッキのルーバー付
実車(2)サイドルーバー付

リア周り
実車(3)リア

リア正面アップ
実車(4)リアアップ

リアに積まれたVA型空冷358ccエンジン
実車(5)エンジン

運転席廻り
運転席廻り

ワイパーはウインド枠に付いたハンドルを手で回して動かす原始的なもの。運転しながらワイパー・ハンドルを回すのは至難の技だろう。
実車(6)手動ワイパー

本来はスペアが入るが、スバル360より広そうなトランク
実車(7)意外に広いトランク
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