★1961年 いすゞヒルマン・ミンクス 2代目おてんば娘~ 自動車カタログ棚から 156 | ポルシェ356Aカレラ

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★前項でご紹介した初代いすゞヒルマン・ミンクスは、英国でのフルモデルチェンジに伴い1956年(昭和31年)9月19日2代目ニュー・ヒルマン・ミンクス(Ser.Ⅰ:PH100型)と交代した。ニュー・ヒルマンは旧型に比べて遥かにスポーティーかつスタイリッシュとなり操縦性や性能も向上し、欧州市場では当初から好評で迎えられた。エクステリア・デザインは、日本では煙草ピースや不二家のルックチョコレートのパッケージデザインでも知られる20世紀を代表するインダストリアル・デザイナー レイモンド・ローウィ(Raymond Loewy;1893年11月5日-1986年7月14日)によるもので、その柔らかな曲線美は同じローウィ作の1950年代前半のアメ車スチュードベーカーとも相通じるものがあった。
ニュー・ヒルマンのボディの外寸は旧型より若干小さくされたがホイールベースは逆に76㎜延長されてリア・アクスルを後ろに下げた結果、後席がホイールベース内に位置することとなり後席の乗心地は格段によくなった。当初のエンジンは初代最終型MK.Ⅷ‐A型と同じ1390ccだが標準型で3馬力アップの46ps/4600rpmに上げられた他、オプションで圧縮比を7.0から8.0に高めた51.5psエンジンも選択出来た。コンプリート・ノックダウン(CKD)から始められたヒルマンの組立も着々と部品の国産化が進められ、日野ルノーの国産化達成とほぼ同時期の1957年(昭和32年)10月28日、ボルト1本に至るまでの完全国産化を果たした。

★完全国産化後のいすゞ製ヒルマンには独自の改良が加えられていった。その主なものはエンジンのパワーアップと足回りの強化であり、日本国内での使用により適したクルマに仕立てられていった。1958年(昭和33年)1月には55psのスーパーデラックスがデビュー、同1958年6月にはヒルマンの英国でのデビュー50周年を記念したヒルマン・ミンクス・ジュビリー(Ser.Ⅱ:PH200型)にマイナーチェンジ、フロントグリルの意匠が変わると共に乗車定員が6名となった。翌1959年(昭和34年)10月には英本国より1年遅れてエンジンを1500ccのGH150型に換装し(SerⅢ:PH300型)、デラックス62ps、スタンダード60psとなった。同時にフロントグリルの意匠も変えられた。1960年(昭和35年)10月には英本国よりまた1年遅れて当時のアメ車に流行していたテールフィンを思わせる派手なリアデザインのヒルマン・ミンクス・ハイスタイル(SerⅢA:PH400型)となり、翌1961年(昭和36年)10月にはフロントグリルを英本国の1960年式と同じ2分割デザインとした(SerⅢB:PH400型)。1963年(昭和38年)1月30日にいすゞヒルマンの生産累計5万台を達成した後、同1963年2月に最後のマイナーチェンジでエンジン出力がデラックス70ps、スタンダード68psにアップされた。この出力は英本国のヒルマンを凌ぐものであった。そして、東京オリンピックの開催された1964年(昭和39年)の6月に生産を終了した。いすゞヒルマンは、1953年(昭和28年)10月のノックダウン開始からの11年弱の期間に累計6万7729台が生産された。そのうち6万台以上はこの2代目ヒルマンであった。
なお、1958年(昭和33年)からは4ナンバー・バンタイプのヒルマン・エキスプレスも製造された。

★ヒルマンは柔らかなスタイリングとツートンカラーの美しさ、柔らかな乗心地から女性向きのクルマとも言われたが、操縦性と性能の良さは同時代の国産他車を凌ぐものであった。中低速でトルクの強いエンジンは軽量なボディとよくバランスが取れフレキシブルな4段ギアボックスと相まって初代クラウンなど国産他車のドライバーから「ヒルマンには勝てない、ヒルマンに挑戦するな」と言わせたほどの加速性能や操縦性の良さを持っていた。初めて乗っても扱いやすいコントロール類のレイアウトなど当時の国産車より確実に進んだ設計のヒルマンの製造がその後のいすゞの乗用車製造技術に与えた影響は大きかった。
2代目いすゞヒルマンのデビューした1956年(昭和31年)から製造中止の1964年(昭和39年)までの日本はマイカー時代前夜の一般庶民にとってクルマを持つことがまだ夢の時代であり、当時約100万円したヒルマンの新車オーナーは裕福な人々に限られていたと言える。
ヒルマンと言うと、私の小中学校の通学路にいすゞのディーラー兼整備工場があって、1970年代前半まで2代目ヒルマンが整備に入っているのを見かけたことをよく覚えている。当時はいすゞの主力車種はベレットの時代だったので、随分古いクルマがいるなあと子供心に思ったものだった。

【主要スペック】 1961年いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル・スーパーデラックス(SerⅢA:PH400型) Hillman Minx Hi Style
全長4140mm・全幅1543mm・全高1510mm・ホイールベース2438mm・車重1065kg・FR・GH150型水冷4サイクル直列4気筒OHV1494cc・最高出力62ps/4600rpm・最大トルク11.2kgm/2600rpm・変速機4速コラムMT(2速以上シンクロ)・電装系12V・乗車定員6名・燃費16km/L・最高速128km・ボディカラー8色(草色・朱赤・空色・黒・白・灰色・茶色・ココア)・国内販売価格:99万8000円


●1956年9月 いすゞニューヒルマン 本カタログ(縦22×横29cm・6つ折・12面)
発行はいすゞ自動車/やまと自動車だが、英本国版の言語替えカタログでいすゞでは製造しなかったコンバーチブルも掲載されている。
$1959PORSCHE356Aのブログ-56本表紙
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-56本中頁
裏面スペック
$1959PORSCHE356Aのブログ-56本スペック


●1956年9月~1957年 いすゞニューヒルマン 簡易カタログ1(A4判・2つ折)
2代目ヒルマン初期型の簡易カタログは手元にあるだけでも4種類もあり、何れにも発行年月の印字がないため正確な発行時期や発行順序は不明。全て表紙は英本国版カタログの絵と思われる。旅客機をバックにしたこのカタログの表紙画は魅力的。このカタログのみ中面には日本国内で撮られた写真が使われている。
$1959PORSCHE356Aのブログ-56簡易(1)飛行機


●1956年9月~1957年 いすゞニューヒルマン 簡易カタログ2(A4判・2つ折)
後ろの1台はいすゞでは製造していないコンバーチブルが描かれている
$1959PORSCHE356Aのブログ-56簡易(2)家


●1956年9月~1957年 いすゞニューヒルマン 簡易カタログ3(縦10×横25.5cm・3つ折)
$1959PORSCHE356Aのブログ-56簡易(3)オレンジ


●1956年9月~1957年 いすゞニューヒルマン 簡易カタログ4(縦13×横26cm・3つ折)
$1959PORSCHE356Aのブログ-56簡易(4)白黒


●1957年7月 いすゞニューヒルマン 懸賞記念カタログ(縦8.5×横18cm・16頁)
1957年7月25日~10月31日に実施された完全国産化記念懸賞付き販売時のカタログ。いすゞで製作されたオリジナルカタログでミニサイズながら頁数が多く内容は詳しい。200台販売につき1台、1000台販売でヒルマンが5台当たる懸賞販売と書かれているので、ヒルマンを購入した1000人中5人までは購入代金が無償になったという意味だろうか。
$1959PORSCHE356Aのブログ-57懸賞(1)
$1959PORSCHE356Aのブログ-57懸賞(2)


●1958年1月 いすゞヒルマン・スーパーデラックス 本カタログ(縦18×横31cm・8頁+)
55psにアップ。これ以降のカタログは全て英国版の言語替えではない いすゞオリジナルのカタログ。この表紙の絵の雰囲気は同年のクラウンのカタログと似ており、もしかすると同じ画家の筆によるものかもしれない。
$1959PORSCHE356Aのブログ-581SDX本表紙


●1958年1月 いすゞヒルマン・スーパーデラックス 簡易カタログ(A4判・2つ折)
2代目ヒルマンのダッシュパネルはセンターメーター
$1959PORSCHE356Aのブログ-581S簡易表紙


●1958年6月 いすゞヒルマン・ミンクス・ジュビリー 本カタログ(A4判・16頁)
フロントグリル変更
$1959PORSCHE356Aのブログ-586本表紙ジュビリー


●1958年6月 いすゞヒルマン・ミンクス・ジュビリー 簡易カタログ(A4判・2つ折)
中面は本カタログの抜粋
$1959PORSCHE356Aのブログ-586簡易表紙ジュビリー


●1958年~1959年 いすゞヒルマン エキスプレス専用カタログ(縦22.5×横26cm・2つ折)
4ナンバーのバンデビュー時の専用カタログ。いすゞではエキスプレスの名称を後のベレル・ベレットのバンでも使用している。
$1959PORSCHE356Aのブログ-58エキスプレス専用


●1959年 いすゞヒルマン 女性と自動車
カタログではないが、いすゞ自動車発行の珍しいパンフレット。表紙に洋裁学校課外教室と印字。内容はヒルマン・オーナーのデザイナー中林洋子さんやファッションモデル山田輝子さんの記事、当時毎年開催されていた女性による箱根越えヒルマンエコノミーランの結果、自動車運転免許の取り方など。
$1959PORSCHE356Aのブログ-59女表紙
中頁から
デザイナー中林洋子さん
$1959PORSCHE356Aのブログ-59女1中
ファッションモデル山田輝子さん
$1959PORSCHE356Aのブログ-59女2中
裏表紙は絵画館前撮影の写真下にいすゞ自動車の印字
$1959PORSCHE356Aのブログ-59女3裏表紙


●1959年10月 いすゞヒルマン・ミンクス60 本カタログ(A4判・16頁)
フロントグリル変更、デラックス62ps・スタンダード60psに出力アップ。出力は同時期の初代クラウンRS20系と並んだ。
$1959PORSCHE356Aのブログ-59本表紙


●1959年10月 いすゞヒルマン・ミンクス60 カード式カタログ(A4判・4枚)
簡易カタログ?紙ケースに総合・スーパーデラックス・スタンダード・エキスプレスの4枚のリーフレット入り。
$1959PORSCHE356Aのブログ-59カード式


●1960年10月 いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル 本カタログ(縦25.5×横30.5cm・16頁)
リアスタイル変更
$1959PORSCHE356Aのブログ-60本表紙
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-60本中頁


●1960年10月 いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル 簡易カタログ(縦13.5×横29cm・8頁)
中面は本カタログの抜粋
$1959PORSCHE356Aのブログ-60年簡易表紙


●1961年10月 いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル62 本カタログ(A4判・26頁+)
フロントグリルを英本国より2年遅れて2分割デザインに変更。外観上はこれが最後の変更となった。
$1959PORSCHE356Aのブログ-61年白表紙
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-61年白2分割グリル中頁


●1962年10月 いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル63 本カタログ(縦25.5×横23.5cm・22頁+)
Ser.ⅢC、型式名をPH50に変更
$1959PORSCHE356Aのブログ-62年表紙正方形本
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-62年中頁正方形本


●1962年10月 いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル63 簡易カタログ(縦17.5×横26cm・8頁)
写真で構成された本カタログと異なり、全頁イラストで構成されたカタログ
$1959PORSCHE356Aのブログ-62年簡易表紙


●1963年2月 いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル63 本カタログ(A4判・20頁)
出力をデラックス70ps、スタンダード68psにアップ
$1959PORSCHE356Aのブログ-632本黒表紙
中頁から
50年前の家族写真。私はこの時3歳だったので左側の男の子は私より少し年上だろうか。
$1959PORSCHE356Aのブログ-632本黒中頁・家族写真


●1963年10月? いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル64 本カタログ(A4判・20頁)
一見上の1963年2月版の色違いカタログのようだが、表紙や中頁の印字が63から64に替えられ若干構成も異なるカタログ
$1959PORSCHE356Aのブログ-6310赤表紙


●1964年2月? いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル 本カタログ(縦25.5×横26cm・24頁)
いすゞヒルマン最後のカタログ。ヒルマンの後継車種として既にデビューしたベレットの同時期のカタログと判型が統一され、2代目ヒルマン初期のカタログと比べると写真も文章も格段に近代的な内容となっている。
$1959PORSCHE356Aのブログ-64最終表紙
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-64最終中頁



★オマケ(その1): 広報誌いすゞニュース1959年1月号表紙の謎のミニチュア・ヒルマン
この表紙に写された恐ろしく出来の良い1959年ヒルマンの模型はいすゞが天賞堂などの博物館模型製作メーカーに特注した一点物?大きさやスケールはどの位の模型なのでしょう。
$1959PORSCHE356Aのブログ-59いすゞニュース謎のモデル


★オマケ(その2): 萬代屋(現バンダイ) 1/15スケール 1961年いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル
1961年6月発売。萬代屋がバンダイに社名変更したのが1961年7月1日なので、その直前の発売。当時定価:地方最低売価350円。全長27.5cm。いすゞヒルマン・ミニカタログ付。この時期のバンダイ製品は実車メーカーとタイアップした実車のミニ・カタログが箱の中によく同封されていた。
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★オマケ(その3): モデルペット9番 1/42スケール 1961年いすゞヒルマン・ミンクス・ハイスタイル
1961年7月発売。旭玩具製作所製。当時定価170円。ダイキャスト製。当時物ミニカーとしては他にアンチモニー製の大盛屋フリクションシリーズから1/47スケールの1961年式とマイチェンした2分割グリルの1962年式が発売されている。
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★オマケ(その4): マルサン商店 1/40スケール 1959年いすゞヒルマン・ミンクス・ジュビリー プラモデル
マルサン品番7033。当時定価100円。日本のプラモデル黎明期の製品。組立説明書に1/40スケールの記載があるものの全長は9cm程しかなく、実際には1/45スケール以下の大盛屋のミニカーに近いサイズ。接着剤はチューブ入りではなく瓶入り。
$1959PORSCHE356Aのブログ-マルサンヒルマン


★オマケ(その5): 1961年?雨の降るある日の富士駅前 自動車動画
動画に昭和32年(1957年)頃と字幕が出ていますが、1960年春発売の2代目コロナ、縦目の初代セドリック、三菱500、リア周りを変更した1960年10月マイチェン後の1961年式いすゞヒルマン・エキスプレスが登場するので撮影は1961年(昭和36年)頃と思われます。白黒ツートンの初代310ブルーバードの駅前タクシーがウジャウジャ出てきます。同じ白黒ツートン初代縦目のセドリックもタクシーのようです。富士急のバスも魅力的な車両ばかりで、この時代の日本車の映像は個人的には感涙ものです。映像中に2代目ヒルマンを3台は確認することが出来ます。半世紀前の日本は国鉄の大きな駅前でさえ未舗装で雨が降ればぬかるみの極悪非道だったことが解ります。丹頂鶴型の電話ボックスも懐かしいです。