★1955年 いすゞヒルマン・ミンクス 初代おてんば娘 ~ 自動車カタログ棚から 155 | ポルシェ356Aカレラ

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★20世紀初頭からの長い歴史を持つ西欧の自動車メーカーに比べて歴史の浅い日本の自動車メーカーは既に戦前から世界の技術レベルには立ち遅れていた。それが第二次世界大戦による長いブランクによって戦後は欧米の先進メーカーには遠く及ばないレベルとなっていた。国の幹部が日本に自動車産業はいらない、輸入すればよいと公然と発言していたような時代であり、外車という言葉がステイタス・シンボルとなって外国のクルマであれば何でもかんでも良いものとされた時代だった。戦前からダットサンの製造で経験を積んでいた日産でさえも戦中戦後の技術的空白を埋めるために1952年(昭和27年)12月4日に英国のオースチンと技術提携契約を結びノックダウンを開始した(本シリーズ103および104参照)。
そのような時代、戦前よりトラック・バスメーカーとしての道を歩み続け乗用車製造の経験が殆どなかったいすゞ自動車が西欧の先進メーカーから技術導入を図ることにしたのは自然の流れでもあった。いすゞは英国ルーツ社を提携先に選び、1953年(昭和28年)2月13日にヒルマン・ミンクスのノックダウン製造に関する技術援助契約の署名捺印を行なった。いすゞ同様にトラック・メーカーであった日野自動車(当時は日野ヂーゼル工業)も同時期にがフランスのルノーと技術提携契約を結び(本シリーズ153参照)、当時の有力国産メーカーはトヨタを除き全て外国から技術を学ぶこととなった。

★いすゞでは戦後休止していた大森工場(約5000坪)をヒルマンの製作工場とし、1953年(昭和28年)10月26日にノックダウン第1号車がラインオフした。タイヤとバッテリー以外は全て英国ルーツ社から送られてきた部品を使用して組み立てたコンプリート・ノックダウン(CKD)であった。この最初のいすゞ組立のヒルマン・ミンクスMK.Ⅵ(PH10型)は4人乗りの小型セダンでエンジンはGH10型直列4気筒SV1265ccで最高出力37.5ps/4200rpm・最大トルク8.0kgm/2200rpm・最高速104km/hであった。低回転で最大トルクを発生するのはルーツ系エンジンの特徴であり、後年のベレットに至るまでの長期間、低回転型エンジンはいすゞ車の良き伝統となった。
1954年(昭和29年)7月10日、リアウインドを22%拡大、トランク容量を10%広げたヒルマン・ミンクスMK.Ⅶ(PH11型)にマイナーチェンジ、この時点でヒルマンの生産累計は1000台を突破した。
トヨタがクラウンをデビューさせた翌1955年(昭和30年)の2月24日には、エンジンをGH12型OHV1390ccs最高出力43psに換装しヒルマン・ミンクスMK.Ⅷ(PH12型)となり最高速は123km/hにアップした。この時、外観上はフロントグリルが横縞から縦縞となり上下中央に太い横バーが入れられ、乗車定員は5名に増やされた。
更に、翌1956年(昭和31年)1月30日にいすゞヒルマン初代最終型のヒルマン・ミンクスMK.Ⅷ-A型にマイナーチェンジした。この最終型ではテールまで延ばされたサイドモールを境にボディがツートンカラーとなった。同年6月7日には、いすゞヒルマン生産累計5000台を達した後、1956年9月19日に2代目いすゞヒルマン・ミンクス(PH100型)にフルモデルチェンジして初代いすゞヒルマンは約3年の短い生涯を終えた。
生産期間が短く生産台数も累計5000台強と多くはない上に、1950年代の国産乗用車は非常に短いサイクルで乗り潰されるのが通常であったので現存する初代いすゞヒルマンは非常に少ないようだ。製造から約60年の時を経ており、この初代ヒルマンについてリアルタイムの記憶がある方は現在ではかなりの年配になっておられると思われます(私は残念ながらリアルタイムにこの初代を見たことはなく、レイモンド・ローウィの2代目いすゞヒルマンの記憶しかありません)。
なお、ミンクス(おてんば娘)の車名は1970年代の初代いすゞジェミニで復活している。


【主要スペック】 1955年いすゞヒルマン・ミンクス MK.Ⅷ (Hillman Minx)
全長4112mm・全幅1613mm・全高1549mm・ホイールベース2362mm・車重953kg・FR・直列4気筒OHV1390cc・最高出力43ps/4400rpm・最大トルク9.2kgm/2200rpm・変速機4速コラムMT(2速以上シンクロ)・電装系12V・乗車定員5名・燃費14km/L・最高速123km・ボディカラー5色(黒・緑・青・赤・黄)・国内販売価格:100万円


●1953年 いすゞヒルマン・ミンクス 広報写真(縦11.3×横11.3cm)
$1959PORSCHE356Aのブログ-1953年写真
1952年 ヒルマン・ダブルピックアップ 広報写真(縦11.3×横11.3cm)
いすゞがサンプルとして輸入したのだろうか?何れにしてもこの時代のダブルピックアップは稀少。いすゞがノックダウンする直前の1952年式。
$1959PORSCHE356Aのブログ-1952年ピックアップ写真


●1953年10月 いすゞヒルマン・ミンクス 本カタログ(縦42.5×横28cm:A3近似サイズ・8頁)
A3近似の超大判の本カタログとA4近似サイズの2つ折簡易カタログの表紙のイラストはサイズが異なるだけで同じものが使われている。英国本国版の言語替えカタログで、いすゞでノックダウンされたのはサルーンのみにも係らず、カリフォルニアン・ハードトップ、コンバーチブルクーペ、エステートワゴンも掲載されている。裏面にはいすゞが立ち上げた販売会社やまと自動車が総販売元として記載されている。
$1959PORSCHE356Aのブログ-53本と簡易表紙
超大判の本カタログ表紙
$1959PORSCHE356Aのブログ-53本表紙
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-53本1中
$1959PORSCHE356Aのブログ-53本2中
$1959PORSCHE356Aのブログ-53本3中
裏面スペック
$1959PORSCHE356Aのブログ-53本4中スペック


●1953年10月 いすゞヒルマン・ミンクス 簡易カタログ(縦28×横21cm:A4近似サイズ・2つ折)
$1959PORSCHE356Aのブログ-53簡易表紙
中頁は本カタログの抜粋
$1959PORSCHE356Aのブログ-53簡易中頁
裏面スペック
$1959PORSCHE356Aのブログ-53簡易スペック


●1954年7月 いすゞヒルマン・ミンクス 本カタログ? (A4近似サイズ・4つ折)
カラー版はこれだけなので、これが本カタログだろうか。これも英国版の言語替えカタログ。
$1959PORSCHE356Aのブログ-54カラー表紙
中頁から
トランク容量が増えたことがアピールされている
$1959PORSCHE356Aのブログ-54カラートランク増量


●1954年7月 いすゞヒルマン・ミンクス 簡易カタログ(A4近似サイズ・2つ折)
カラー版と同じ金髪女性の絵が表紙
$1959PORSCHE356Aのブログ-54簡2折表紙
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-54簡2折中頁


●1954年7月 いすゞヒルマン・ミンクス 簡易カタログ(A4近似サイズ・3つ折)
白黒印刷だがカラー版より頁数が多い謎のカタログ
$1959PORSCHE356Aのブログ-54簡3折表紙
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-54簡3折中頁


●1954年7月 伊藤忠発行 ヒルマン・ハンバー・サンビーム 総合カタログ(A4サイズ・10頁)
いすゞヒルマンの販売店であった伊藤忠の発行。いすゞが立ち上げた販売会社やまと自動車以外に都内では伊藤忠、メトロポリタンエージェンシーズ、東京いすゞ自動車の3社でもヒルマンの販売を行っていた。カタログ発行から丸59年が経っているので、表紙の日本女性も現在は80歳を超えているはず。
$1959PORSCHE356Aのブログ-54伊藤忠表紙
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-54伊藤忠中頁


●1955年2月 いすゞヒルマン・ミンクス 本カタログ(A4近似サイズ・6つ折12面)
フロントグリルが横縞から縦縞に上下中央に太い横バーが入るタイプに変更されOHVエンジンとなって出力が43psに上がった。これも英本国版の言語替えカタログで、いすゞでは製造していないセダン以外のバリエーションも掲載。
$1959PORSCHE356Aのブログ-55本表紙
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-55本1中
$1959PORSCHE356Aのブログ-55本2中
裏面スペック
$1959PORSCHE356Aのブログ-55本3スペック


●1955年2月 いすゞヒルマン・ミンクス 簡易カタログ(A4近似サイズ・2つ折)
本カタログの表紙を白黒印刷にして中味を抜粋したもの
$1959PORSCHE356Aのブログ-55年簡易表紙
$1959PORSCHE356Aのブログ-55年簡易中頁


●1955年2月 いすゞヒルマン・ミンクス リーフレット(B5サイズ・両面1枚)
販売会社やまと自動車発行。写真は国内で撮られたもののようだ。
$1959PORSCHE356Aのブログ-55年リーフ表
裏面
$1959PORSCHE356Aのブログ-55年リーフ裏


●1956年2月 いすゞヒルマン・ミンクス 簡易カタログ? (A4近似サイズ・2つ折)
ボディがツートンカラーとなった最終のヒルマン・ミンクスMK.Ⅷ-A型カタログ。1956年はこれ以外は手元になく、あるいはカラー版の本カタログが別に出ているかもしれない。
$1959PORSCHE356Aのブログ-56年表紙ツートン
中頁から
$1959PORSCHE356Aのブログ-56年中頁ツートン

●1956年いすゞ総合カタログ 「いすゞ自動車のしおり」 (縦10.5×横30cm・20頁)
工場見学の際に配布されたパンフレットの表紙はツートンカラーとなった最終の1956年型MK.Ⅷ-A。
$1959PORSCHE356Aのブログ-1956表紙(1)
$1959PORSCHE356Aのブログ-1956表紙(2)



★オマケ(その1): 米澤玩具 1/24スケール 1955年・1956年いすゞヒルマン・ミンクス
山崎玩具製造、米澤玩具発売。全長17.5cm。当時定価:不明。米澤玩具が1965年にダイヤペットを出すより丸10年前の製品。出来は甘いが味わいがあり、米澤がミニチュアとして残してくれたことを感謝したい。フロントグリルが縦縞に太い横水平バーが付いた1955年型とツートンカラーとなった1956年型のMK.Ⅷ-Aが製品化された。同じ1955年型でも水色はホイールがメッキ、赤のホイールには「HILLMAN」のロゴがプリントされている。どちらが初版かは不明。ツートンの1956年型モデルでは室内に比較的実車に忠実なダッシュボードやシートのプリントが追加されている。ツートンのボディカラーは上に掲載した総合カタログ表紙の実車と同じだ。
$1959PORSCHE356Aのブログ-米澤(1)
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製造から40年を経た1990年代半ばに仙台の玩具店で発掘した箱付未使用品
$1959PORSCHE356Aのブログ-米澤(3)
$1959PORSCHE356Aのブログ-米澤(4)
ツートンカラーとなった1956年最終型MK.Ⅷ-A
$1959PORSCHE356Aのブログ-米澤(5)ツートン56年


★オマケ(その2): 英国ビクトリー 1/18スケール 1955年ヒルマン・ミンクス オフィシャルモデル
メーカーの販促用オフィシャル・モデルを多数出していた英国VICTORYモデルスの製品。全長23cm。プラスチック製。電動走行。前輪ステアアクション付。縦縞に太い横水平バーの1955年型。本来出来の良いモデルが経年によりボンネットやルーフが波打つように変形してきているのが残念。プラ系素材の製品は保存が難しい。
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$1959PORSCHE356Aのブログ-ビクトリー(3)


★オマケ(その3): 英国BROOKLIN(LANSDOWNE)製 1/43スケール 1956年ヒルマン・ミンクス
1990年代の製品。ダイキャストがズッシリと重く出来も良い魅力的なミニカー。ツートンカラーとなった最終の1956年MK.Ⅷ-A型のモデル。
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★オマケ(その4): 1952年ヒルマン・ミンクス MK.Ⅴ 実車映像
いすゞがノックダウンしたヒルマンより1年古くフロント周辺の造形が違いますが、実車の佇まいや雰囲気が判ります。2分10秒あたりのピョコンと飛び出る腕木式方向指示器に注意。ヒルマンは平凡なファミリーカーでありコレクターズ・アイテムとなるようなクルマではないので生産台数の割には英本国でさえ現存車両は少ないようだ。