★1964年 ポルシェ904カレラGTS ついに100回目! ~ 自動車カタログ棚から 100 | ポルシェ356Aカレラ

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☆★☆「自動車カタログ棚から」も今回でついに100回目ラグタイム番長さんのブログ、「レコード棚からひと掴み」から思いついたタイトルで今年2012年6月に始めて、漸く辿りついた記念すべき?100回目。年内100記事を目標に頑張ってきたのですが、ここまで辿りつけたのは、いつも読んでくださっている方、特にコメントをくださる方々のおかげです。本当にありがとうございます。
このシリーズはその時々に思い浮かんだ車種をアトランダムにピックアップしています。100回目だけはさすがに何にしようかと考えました。最終選考に残ったのはトヨタ2000GTとポルシェ904だったのですが、一番好きなメーカーのポルシェを100回目とすることにしました。

●この「自動車カタログ棚から」の記事ではカタログ画像の紹介がメインとなるため、どうしても掲載写真の数が多くなりがちで一つの記事をUPするまでには実はかなりの時間と労力がかかっています。編集者の味わう楽しみと苦しみの両方があるという感じです。1記事の掲載写真が50枚を超える場合など苦しみの方が勝ることもあります。
現在、仕事や睡眠時間確保などとの兼ね合いが難しくなってきているので、今後は細く長く続けるために「自動車カタログ棚から」については週末1記事以下にペースダウンしようと思います。その他のちょっと緩い記事は気が向いた時にUPしたいと思います。それから、ペタが10人もらえたらどんなにいいだろうなと思っていたアメブロを始めた頃を思い出すと贅沢な悩みなのかもしれないのですが、1年中24時間ペタに追われている気分とペタ返しに要する時間的な負担がかなりしんどくなってきていて今後は全部は返せなくなりそうです。どうしてもペタ返しが必要な場合にはコメントを戴ければ優先的に返します。
・・・・・ということで、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。☆★☆


1963年11月にデビューしたポルシェ904カレラGTSは、スポーツカーとレーシングカーの棲み分けが明確でなかった旧き良き時代の最後のポルシェである。ポルシェ自身が904発表に当って、自宅からドライブして行きレースやラリーにも即出場できるクルマとアナウンスした。904の後継車である906以降の歴代レーシングポルシェはレース専用車両となり、基本的には公道を走ることは想定されなくなった。

★ポルシェ904は、それまでの550スパイダーに代表される356ベースのレーシングポルシェとは全く異なる次元のクルマとしてデビューした。ミドシップレイアウト、梯子型の堅牢な鋼製フレームに載せられたポルシェ初の軽量FRPボディを持った904は、1964年のモータースポーツシーンに間に合わすべくGT2クラス出場に定められていた最低生産台数100台を発表から半年足らずでクリアした(生産台数104台)。エンジンは当初は911用の6気筒を載せる計画だったのを主に信頼性を考慮して実績のある356カレラ2用のフラット4をチューンしたものが載せられてデビューした(後にポルシェワークスでは6気筒・8気筒も搭載)。美しいボディ・デザインは911同様にフェルディナント・ポルシェの孫フェルディナント・アレクサンダー・ポルシェ(Ferdinand Alexander Porsche:1935年12月11日-2012年4月5日)によるもの。
904は実戦では1964年タルガ・フローリオ1・2フィニッシュ、1965年ル・マン4位、1965年モンテカルロ・ラリー2位、1964年日本グランプリ優勝等の輝かしい成績を残して906にレーシングポルシェのバトンを渡した。モンテカルロを始めとするラリーでの活躍は公道を走ることが出来たポルシェ904の性格をよく物語っている。

★ポルシェ904というと国内では1964年5月の第2回日本グランプリでのプリンス・スカイライン2000GT(S54)とのデッドヒートの末の優勝があまりにも有名。式場壮吉氏(1939年2月9日-)操るポルシェ904を生沢徹氏(1942年8月21日-)のスカイラインが一時抜いたものの、レーシングポルシェに敵う訳はなく翌年プリンスは打倒ポルシェを目標にR380という純レーシングカーを登場させた。日本グランプリの904登場はプリンス(1966年に日産と合併)の優勝を阻止するためにトヨタが密かに手配し式場氏の個人出場という形を取ったのではないかとの説があるものの、式場氏は、「個人的に日本グランプリに904で出場したいと思って早い時期に注文したものの注文が殺到してポルシェから一度断られました。ところが、ポルシェのレーシングマネージャーで1963年の第1回日本グランプリに356カレラ2で出場したハンシュタイン氏から自分の904を特別に私に振り向けるとの話になり、日本グランプリに間に合うよう急遽日本に空輸されてきました」という趣旨の発言をされている。
$1959PORSCHE356Aのブログ-第2回日本グランプリ904

★ベースボール・マガジン社が発行していた月刊誌カー・マガジンの1965年2月号に式場壮吉氏・杉江博愛(徳大寺有恒)氏の連名でポルシェ904のテストリポート記事が掲載されている。興味深い内容なので要旨を以下に一部抜粋。
スターターを入れると、ブッブッブッと唸り始め、突然グォーという辺りを圧するような大音響と共にDOHC 180psパワーユニットが目を覚ました。油温が適当に上がったところで強力なクラッチを踏み込みギアをローに入れる。有名なポルシェシンクロの5速ミッションは911と同じもので、7000rpmまで踏み込めば、ローで80km、セコンド125km、サード175km、フォース223km、トップで260km以上という途方もないスピードが得られる。レーシングエンジンはパワーバンドが狭く街中などでは乗りにくいものだと思いがちだが、904は低速トルクが強く意外にフレキシブルだ。いったん踏み込めば強力なハンマーでひっぱたかれたかのような加速でローで7000rpmに上がるのは殆ど瞬間的である。100kmまで6秒という加速データは乗ってみなければ分からない。パワーウェイトレシオ3.6kgではフェラーリ330やジャガーEタイプより速いのは当然と言える。サスペンションは路面のコンクリートの継ぎ目などを確実に拾ってドライバーに伝える。ところが、不思議なことにそのための疲れはない。ポルシェが904を発表した時にドライバーがサーキットまでドライブして行きレースにも出場できる車と言っていたことを思い出した。
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●1964年6月発行 ポルシェ904 本カタログ(A4判・独語8頁)
20歳ほど私より年長のクルマ趣味の先輩から、そんなにポルシェがお好きならと譲って戴いた904のオフィシャルカタログ
$1959PORSCHE356Aのブログ-ポルシェ904表紙

※中頁から
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※スペック掲載頁
$1959PORSCHE356Aのブログ-904中(8)スペック

【主要スペック】 1964年ポルシェ904カレラGTS
全長4090mm・全幅1540mm・全高1065㎜・ホイールベース2300mm・車重650kg(乾燥重量575kg)・587/3型 空冷水平対向4気筒4カムDOHCエンジン1966cc・最高出力180ps/7200rpm・最大トルク20kgm/5000rpm・乗車定員2名・最高速263km/h・西独本国販売価格DM29700(当時のレートでの円換算約267万円)



★オマケ(その1): ポリトーイ+エブロ 1/43スケール ポルシェ904
当時物の伊ポリトーイはフル開閉ギミックが嬉しい。エブロは1964年日本グランプリ仕様。
$1959PORSCHE356Aのブログ-ポリトーイ(1)
$1959PORSCHE356Aのブログ-ポリトーイ(2)
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★オマケ(その2): 今井科学 1/32スケール ポルシェ904 プラモデル
当時定価150円。モーターライズ。
$1959PORSCHE356Aのブログ-今井科学


★オマケ(その3): 童友社 1/24スケール ポルシェ904警視庁パトカー プラモデル
当時定価300円。マジックモーター付。実車ではあり得ない警視庁仕様が泣かせる。
$1959PORSCHE356Aのブログ-童友社プラモデル


★オマケ(その4): 仏自動車専門誌MOTEURS 1964年1・2月合併号(B4判・80頁)
「LA NOUVELLE PORSCHE904」ポルシェ904特集
$1959PORSCHE356Aのブログ-フランス誌(1)表紙
$1959PORSCHE356Aのブログ-フランス誌(2)中頁


★オマケ(その5): 1964年第2回日本グランプリについて語る、式場壮吉氏・生沢徹氏、杉江博愛(徳大寺有恒)氏の映像
ポルシェ904とスカイラインGTの名勝負の内幕話。30年位前の映像?私が子供の頃、ポール・マッカートニーと同年生まれの生沢氏は憧れのスターレーシングドライバーだった。