私の母方の祖母(私から見ての祖母)は実に『強烈』な人でした
負けじと、私の父も強烈なのです(追々書きますので、乞うご期待)
私が小学生の頃、インベーダーゲームが流行り過ぎて
学校から『寄り道禁止令』が発布
通学路上に祖母の家があり、ゲームとは関係ないから良いか・・・
と安易に規則を犯す私
友達と一緒に祖母の居るリビング(座敷)へ
少しして祖母が立ち上げり、キッチンへ
むむこれは、おやつを出してくれるのかも
何が出てくるのか知りたくて、友達残し祖母の跡を追いかけキッチンへ
そして私は『寄り道禁止』が正しかったと知る事となる
祖母・・・
『はい、あなただけ食べなさい』
えええええええ
祖母に見つからないようにキッチンを出て、友達と半分こしたものの
何を食べたか記憶に有りません(友達はキッチンにいなくてホント良かった)
私が大人になって、母にその事を話すと
『そうなのよ、そう言うところあるのよ、びっくりするよねぇ』
と母と祖母の昔話を聞かせてくれたのですが、これもまた強烈な内容でした
私の母が子供の頃(7歳)、とある家の塀の中へ、理由も教えられず
石を一緒に投げ込むよう言われたらしく
その家は、祖母の夫(私の母から見て父)の浮気相手の家だったらしい
大正生まれの祖父母は『許嫁』
『甲斐性』と言う言葉が罷り通る時代だと思って居ましたが
『浮気』に対する感情は、時代関係ないなぁと、祖母の焼き餅は可愛くは見えましたが
やってる事は、今の時代じゃ事件よ
『許嫁』自体が『虐待』に値しそうなのに、時代背景も強烈
母曰く『あれじゃぁ父も浮気したくなるわよ』でした
そんな祖母なので、私の父とも折り合い悪かったのでしょう
父から祖母の悪口を聞かされる羽目になっていた私
当時、父の経験談を聞くのは好きだったけれど
最後にいつも不快感が残ったのは・・・
祖母の人格を全否定する言い方で締められたからでしょうか
ましてや、洗脳され易い時期の子供には、持っての他ですよね
母と私は
『荒い気性が似た者同士なのかしらねどっちもどっちって事で』
と笑って話を締め括りました
私の記憶にある祖母は60歳以降の祖母ですが
祖母は『ハイカラさん』だったらしい・・・今でいう『オシャレさん』だったらしいです
祖母が自分で言って居ただけです
昭和29年頃。母と祖母
皆様、ご自分のハイカラな1日を、お過ごしください