私の母方の祖母(私から見ての祖母)は実に『強烈』な人でした笑い

負けじと、私の父も強烈なのです笑い笑い(追々書きますので、乞うご期待爆笑

 

私が小学生の頃、インベーダーゲームが流行り過ぎて

学校から『寄り道禁止令』パーが発布びっくり

通学路上に祖母の家があり、ゲームとは関係ないから良いか・・・

と安易に規則を犯す私ニコニコ

 

友達と一緒に祖母の居るリビング(座敷)へ

少しして祖母が立ち上げり、キッチンへスイーツ

むむニヤリこれは、おやつを出してくれるのかも照れ

何が出てくるのか知りたくて、友達残し祖母の跡を追いかけキッチンへ馬

 

そして私は『寄り道禁止』が正しかったと知る事となる凝視

 

祖母・・・

『はい、あなただけ食べなさい』

 

えええええええ宇宙人くん

祖母に見つからないようにキッチンを出て、友達と半分こしたものの

何を食べたか記憶に有りません笑い泣き(友達はキッチンにいなくてホント良かったタラー

 

私が大人になって、母にその事を話すと

『そうなのよ、そう言うところあるのよ、びっくりするよねぇ』

と母と祖母の昔話を聞かせてくれたのですが、これもまた強烈な内容でした爆笑

私の母が子供の頃(7歳)、とある家の塀の中へ、理由も教えられず

石を一緒に投げ込むよう言われたらしく

その家は、祖母の夫(私の母から見て父)の浮気相手の家だったらしい凝視

 

大正生まれの祖父母は『許嫁』

『甲斐性』と言う言葉が罷り通る時代だと思って居ましたが

『浮気』に対する感情は、時代関係ないなぁと、祖母の焼き餅は可愛くは見えましたが

やってる事は、今の時代じゃ事件よガーン

『許嫁』自体が『虐待』に値しそうなのに、時代背景も強烈アセアセ

 

母曰く『あれじゃぁ父も浮気したくなるわよ』でした笑い

 

そんな祖母なので、私の父とも折り合い悪かったのでしょうアセアセ

父から祖母の悪口を聞かされる羽目になっていた私泣くうさぎ

 

当時、父の経験談を聞くのは好きだったけれど

最後にいつも不快感が残ったのは・・・

祖母の人格を全否定する言い方で締められたからでしょうか凝視

ましてや、洗脳され易い時期の子供には、持っての他ですよねアセアセ

 

母と私は

『荒い気性が似た者同士なのかしらね爆笑どっちもどっちって事で拍手

と笑って話を締め括りました爆  笑

 

私の記憶にある祖母は60歳以降の祖母ですが

祖母は『ハイカラさん』だったらしい・・・今でいう『オシャレさん』だったらしいですドレス

          祖母が自分で言って居ただけです笑い泣き

         

         昭和29年頃。母と祖母ニコニコ

       

 

       

        皆様、ご自分のハイカラな1日を、お過ごしください飛び出すハート

 

 

子供達が小・中学生の頃って、PTAの役員決めは、親にとって地味に大変な事柄真顔

 

出来れば避けたいし・・・

子供の様子を見るなら授業参観で足りるかなやらキョロキョロ

 

我が家は年子だったので、それぞれのクラスで

『年子なので、今回は下の子の方で、今回は上の子の方で引き受けようと思いますので』

と言い、引き受けた翌年は

『昨年やったので、今年は休ませて下さい』と堂々と言えましたウインク

7年小学校に通う内、3回でも引き受ければ、自分的には上出来OK

 

年子はバタバタ子育てで忙しかったけれど、PTAに関わる回数が少なくて済みました笑ううさぎ

 

くじ引きになって、役員という重い役に当たるより、お手伝い感覚で出来る事を狙って

ベルマーク係(今もあるのかなキョロキョロ)書紀、会計に立候補したりして居ました口笛

PTAの内に入らないような係ばかりグラサン

 

お局さん的な方が居るのかなぁ汗うさぎと不安なPTAだったので

仲良しのママさんと(クラスが違っても)二人で、『今年何か一緒にやろうよ』

と小学校の間、申し合わせて3年に1回、何か参加していました爆笑

長男(当時長女)はランドセルが『黒か赤』しか無かった時代に

黒いランドセルを背負って居たので、イジられたり・からかわれたりが有ったので

大役でなければ引き受けて、子供の様子を見る口実でも有りましたランドセル

 

学校へ行きPTAの用事を済ませ

長男(当時長女)のクラスへ顔を出すと、イジられている様子も見せず

仲良しの子と一緒に居るからもあれど、毎回、笑顔で手を振って来るバイバイ

この子なりに、自分自身を鼓舞している姿を目の当たりにすると

外(学校)で気を張って頑張っているんだもの

内(家)は『気を緩められる場所』OK

 

          家の中では、ビヨ〜〜ン音符

       

 

           だら〜〜んニコニコ

       

 

話が逸れてしまいましたアセアセ

 

長男の学級で、役員決めをしている時の事、或るママさんの断りたい理由が

 

            『妊娠する予定ですニコニコ

 

周りの反応とは裏腹に、斬新な理由は私にはツボで、笑いを堪えるの必死でした笑い泣き

 

 

 

          今日という日を楽しみましょ飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長男はLGBTQ +のFTM(女性から男性)です。

 

カミングアウトをしてくれてから、そろそろ11年目になります。

 

カミングアウトをしてくれてからと言うもの(大学在学中でした)

長男を見ていると、気持ちが少し楽になったように見えました。

(カミングアウトしないと選択する方もいらっしゃいますので、息子の場合の話です)

 

アウト後の現実は、親も子も手探り状態で

当時はまだLGBTQ +に対し、今程、門戸は開かれておらず

『日本で生きるのは窮屈なのではないか』

『仕事は、どうなるのだろうか』等々、気になる点は山積みでしたパー

(追々、書いていこうと思います)

 

でも、まずは一歩一歩、足元を探りながらの毎日歩く

 

カミングアウトしてくれたとはいえ、親は何もしてあげられる事はなく煽り

先駆者の方々が、息子の力となって下さいましたおねがい

親の私は、安心して戻って来られる家であるように、しか出来ませんパー

 

しかもストレート(性自認は女性(男性)で、恋愛対象が異性)

の親の私では、気持ちを理解したとしても

LGBTQ +特有の悩みの細かい部分までは到底理解が及びませんガーン

 

親へのカミングアウトが一つ目のハードルだとすると

さぁ次は社会へのカミングアウト

(順番逆の方もいらっしゃいますし、しない方もいらっしゃいます、我が家の場合ですパー

 

家族へのカミングアウトから、一年後の大学4年生の頃学校

 

       長男の最初の社会へのカミングアウトは言葉ではなく写真で下差し

                第4回 out  in  japan       

 

       

 

長男が、カミングアウトしてくれる迄、私はこう言う取り組みさえ知りませんでしたアセアセ

後に知った・・・カメラマンさんがレスリーキーさんだったとびっくり

 

これを機に長男は、親へのカミングアウトとはまた違い

気持ちが一気に『水を得た魚』ように変化した気がしますイルカ

揺るぎなく自分はFTMとして生きていく、と改めて決意出来たように感じました義理チョコ

(飽くまでも、親の私から見た息子の様子の話です)

 

*『社会』の何処かに自分の居場所があると言うのは

LGBTQ +に限らず、誰しもが、自分が存在する意義を見出せるのでは無いでしょうかにっこり

 

*『社会』・・・は、赤ちゃん、学生、老人、身体が不自由な方、等々

年齢、立場、環境によって『社会』のニュアンスは変わりますが、今日のブログでは

深掘りせず、大学生活が終わる長男の立ち位置での

『社会』の意味で使わせて頂きます。

 

ある意味守られてきた、学生時代のようには社会は行きません。

カミングアウトする事によって、もっときつい事も

もっと理不尽な事も沢山待ち受けている場合だって有りますガーン

 

それでも長男にとって、同じ痛みを知る方々との出会いは

親では出来ない、背中を押して頂ける大切な1ページになったに違いありません義理チョコ

 

 

追記

飽くまで、我が家の場合の話であり

当事者の方々に、カミングアウトを推奨している訳では有りません。

LGBTQ +の万人に当て嵌まるというものではありませんので

親御さんも、参考程度にお読み下さいお願い

 

 

                           背中押して、押されて今日も自分の1日を飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供達が小学校へ入学してから

ご近所で遊ぶ子供達だけで、駄菓子屋さんへ行ったりして居たのですが

持たせるお金は、親のお財布に切り良く有った銀色コインで、50円か100円歩く

(25年前相場です笑い

 

近所のA君が『沢山持ってるなら、奢ってよ』と

毎回、一緒に行った皆んなに言い始めました汗うさぎ

 

『奢ってよ』話は、A君ママには伏せて『皆んな幾ら持たせてる〜?』と

A君ママも交えて、保護者で持たせる金額を軽く相談し合い

100円ずつ持たせる事にしました。

 

そうこうしている内に

『足りないから、奢ってよ』にエスカレートしたA君アセアセ

 

A君は一寸、やんちゃ君だったので逆らうと、凄まれて

言われるが儘に、奢ってしまう子が続出アセアセ

我が家の次男は泣き虫君笑い泣き勿論、次男も漏れなくですぐすん

 

A君のママは、直ぐに子供を目の前で怒鳴るので

この話をA君ママへ伝えようとは、皆さん誰もしませんパー

叱られているのを見るのは辛いし、10円、20円で騒ぐのもだし

駄菓子屋さんの店内ではなく、大人の居ない外で、お金をねだられるのを

保護者が見た訳でもない真顔

 

これはこれで良く無いんだろうなぁ・・・と知りつつも

『足踏み合わせる大人の対応』なのか『見て見ぬ振りする大人』なのか

子育てをしていると、その場で判断するのは難しい事だらけでした歩く

 

A君と一緒に駄菓子屋さんへ行かなくても、たまたまA君がお店に居れば

凄まれて、お金を出してしまい、次男は半泣きで帰って来るんです爆  笑

 

その度、次男には

『あなたが、お金を出したからA君も、凄めばくれるんだ、ってなっちゃうよコインたち

自分の口で『奢りたく無い』と言う勇気を出してグッ』と言って居ました。

 

次男『うん・・・でも、怖い』と言って、悔しさも混って泣き出すぐすん

 

A君に『嫌だパー』と言えた日も、感情混じりで、また泣いて居ましたけれどね笑ううさぎ

 

金額は小さいけれど、『嫌だパー』と言えた『勇気』は次男には大きな収穫でしたグッ

まだ幼い頃に経験出来て良かったと思えた出来事でした財布

 

我が家は、毎週土曜日に

小学1・2年生は、600円。3・4年生で800円。5・6年生で1000円

を子供のお財布に入れて、予算内で一週間分のおやつを

子供自身で計算しながら買う事にして居ました立ち上がる

 

        このお財布に、おやつ資金が入って居ます財布スイーツ

       

高いお菓子を買えば、おやつの無い日が出来てしまうしタラー・・・と

あれこれ工夫して、子供なりに選んでいました笑ううさぎ

消費税は5%(当時)と、他所へお邪魔する時のお菓子は私が出すのですが爆笑

 

        お買い物の後は公園で遊ぶ、お決まりコース飛び出すハート

       

おやつは、もう家にあるので駄菓子屋さんへ行く必要はないのですが

駄菓子屋さんって子供にはワンダーランドプリン

 

私は、駄菓子屋さんの『UFOチョコ』が好きでしたドーナツ

 

 

 

         ワンダーランドのような1日になりますように飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          夫『唐揚げってどうやって作るか知ってる?』

 

                子供達『ううん』

 

 

           鶏の絞め方だけ教えて終わる夫えー昇天

 

      

          

      夫に食育講師の依頼、お考えの方おられますか〜笑ううさぎ鍋

 

 

                良い1日を飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           

 

 

通学路(1)の続きになりますうさぎのぬいぐるみ

       

 

先回りして帰宅して、いつもの様に『おかえり〜ルンルン』と声をかけにっこり

 

我が子は少し罰が悪そうというかキョロキョロ

でも我が子の出来事を目の当たりにして、その事に触れない事は出来ませんパー

 

  私『あの後大丈夫だった??

 

我が子『うん』

 

  私『ランドセルの色言われてたねランドセル

 

我が子『うん』

 

  私『色々言われて嫌なら、赤いランドセルに変えても良いよって話したの覚えてる?』

 

我が子『うん』

 

子供が約束を覚えてくれて居ただけでグッ

 

『うん』しか言葉が出ない我が子だけれど

やはり言葉の引き出しと気持ちのバランスが合わず、何も言葉に出来ないですよねアセアセ

 

  私『赤に変えたいなら、買いに行けるからねウインク

 

我が子『う〜ん』

 

暫く時間が過ぎて、ランドセルを見つめた後、私の顔を見て

我が子『やっぱり、これ(黒)がいい』

 

  私『うん』

 

イジられているのは毎日の事で、きついだろうに

『これ(黒)がいい』と我が子が出した結論に、私は頷きました。

 

私『じゃ気分転換に美味しい物でも食べよっかショートケーキ』とキッチンへ行ったものの

お買い物が出来て居なくて何も無い驚き

子供達が他所のお宅へお邪魔する時用のクッキークッキーのプレゼントを二人で食べました笑い泣き

 

我が子がイジられているな、とは入学当初から感じて居ました。

どうして『子供がイジられているのを感じながら、毎日声を掛けてあげなかったか』

と聞かれる事があります。

低学年の頃は、様子を聞いたりして居ましたが、この時はもう、10歳に近い歳。

 

私も此の歳の頃『口裂け女』と私の口の大きさを揶揄されて居ましたが

(私が子供の頃、都市伝説のような噂話で、口が裂けた女が出没するというもの)

親には、そういう部分は知られたくない、触れないで欲しいという感覚を覚えていますキョロキョロ

 

親自身が安心したいが為に、子供の心情を考慮せず、話させようとするのは

如何な物か・・・と言う持論です驚き

 

私は、子供の意志で出した結論が、余程、間違えて居ない限りは口出しせず

『こういう方法もあるよ』という選択肢か

『その場合、こうなる結果も考えられるよ』という補助しか言いませんにっこり

 

『やはり黒いランドセルで通学する』と決めた我が子を、単に応援したかった私爆笑

ご近所での私の子育て評価は最悪でしたけれど昇天

 

長男(当時長女)自身は、ランドセル以外で

私の知る以上に学校で我慢の日々を過ごして来たんだと思います泣くうさぎ

 

今思えば・・・赤も黒も両方ランドセル用意して

交互に背負ってみたら??と我が子に提案してあげられていたら

いじられ無かったのかなぁキョロキョロ

起点が効かなかった自分が、ちょっと歯痒いダッシュ

 

       6年間、貫いて背負い続けたランドセル拍手

       

 

       終業式から帰宅した、その日のまま残してありますニコニコ

       

 

 

            皆様、良い1日を飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家の長男はLGBTQ +のFTM(女性から男性)

今日は、小学生の時ランドセルの色で経験した出来事をランドセル(9歳後半頃)

 

黒いランドセルを選んだ経緯は下差し

 

通学路と、私のお買い物のルートが同じでした。

下校時間と重なり、10メートル先に我が子の姿を発見にっこり

 

いつもは仲良しの子と一緒なのに、見慣れない子供達と一緒に居ましたが

でも、少し様子が変ですキョロキョロ

電信柱に背を向けて、男の子が三人居て、三人の男の子と向かい合うように我が子が一人。

 

       この電信柱でしたカギ

      

我が子の表情にいつものような笑顔が無く、楽しく話して居る様子でも無いキョロキョロ

 

いつもなら我が子を見つけると、手を振るか名前を呼んでしまうんだけれど

(近付くにつれ、我が子の表情も複雑になって居たので)

その時は、通りすがりのおばちゃんと言う感じで、自転車から降りもせず

我が子と他人の振りで

『君達どうかしたの?』と三人組の方へ顔を向けて、声を掛けてみましたウインク

 

すると三人組の男の子の一人が

男の子『この子、女の子なのに黒いランドセルなんだよランドセル

 

  私『そうだねぇルンルン似合っててカッコいいよね乙女のトキメキ

 

男の子『でも女の子だよえー

 

  私『黒は男の子の色なの!?

 

男の子『そうだよグッ

 

  私『そうなんだ、じゃぁ赤は!?

 

男の子『赤は女の子の色だよ!!

 

  私『そっかぁ、じゃぁ君は女の子なんだね??

 

男の子『え!?違うよ、僕は男のだよ!?

 

  私『でも君、赤のTシャツ着てるよ!?

 

男の子は自分のお腹をみて『あ、そうだったセーター』という表情

そうなんです、この男の子赤いTシャツを着て居たんですニコニコ

 

私は『じゃ〜ね〜パー』と行って、その場を去りました自転車

 

赤いTシャツだったから、このような会話が成り立ったけれど、グリーンとかだったら

私は、どう切り返して居ただろうキョロキョロ

万が一、この男の子が暴力を振るって居たのなら『いけない子』かもしれませんが

この男の子は決して悪く有りませんパー

 

子供って素直なだけに、疑問に思った事は口にしてしまいます爆笑

素直なだけに『気が付く』経験をすると、思考が柔軟になるんじゃ無いかとグッ

 

反面、我が子が受けた心傷は心配だったので、お買い物どころでは無くなり

その場を去ったはいいけれど、お買い物へは行かず、我が子より先回りして

違う道で家へ帰り、我が子の帰りを待ちました時計

 

その日の夕食は、お茶漬けお茶

 

このブログを書いているのは能登震災後・・・

温かいお茶漬け食べられただけでも貴重

過去の経験談・・・と言い聞かせてUPさせて頂きますお願い

 

 

       通学風景学校 長男(当時長女)写真左にっこり

      

 

 

         

 

我が家の長男はLGBTQ +のFTM(女性から男性)です。

 

『ホルモン注射』『ホルモン剤』は使用せず

『胸オペ』(胸除去手術)済みです。

 

カミングアウトをしてくれた時の年齢は二十歳か21歳でした。

 

二次成長期の時期に私は気が付いてあげられず

長男(当時長女)を独りで、悩ませ、苦しめる結果となりましたが

或る意味『安全』も保てました。

 

子供達が『性別違和』を言える風潮には成りつつあるとは言え

二次成長期は『思春期』とも重なりますので

流行に敏感で、感化されやすく、心変わりも早い時期でも有ります。

 

思春期は『地に脚着いて居ない』それが『青春』でも有ります。

『当時流行りだった』『当時の自分にはカッコよく見えた』

誰しもそんな、ほろ苦い青春の1ページはお持ちではないでしょうか。

 

FTMは『女性として生まれて、男性になりたい』

『性別違和』を流行と捉えてしまい兼ねない『感化』の場合の『胸オペ』

は、ほろ苦い青春の1ページでは済みません。

『胸オペ』は基本18歳未満は出来ませんが、診断書が無くても(現在)出来ます。

18歳未満は親の同意が必要です。

 

万が一、お子さんが『FTM』と二次成長期に伝えてくれた場合

お子さんを頭から反対し『気の迷いだ』と一蹴するのでは無く

『FTMでも貴方は自分の可愛い子に違わない』こと

しかし

『胸オペには一抹の不安があるので、手術はもう少し待って欲しい』という親の

懸念点・要望も伝える話し合いを持って頂けたらと思います。

 

感覚・感情って見えないだけに、親子、夫婦、友達であっても

互いを安全へ導きたくても指針としては不安定です。

 

直ぐに手術出来ない事は、思春期の当事者さんにとって、

特に胸の成長著しい程、キツイ時期かもしれません。

ですが『胸オペに反対している訳では無い』『FTMの自分を親が理解してくれている』

事が当事者に伝わらなければ、

 

焦ったら焦っただけ、怒りに任せれば任せただけ、の結果しか出ないのは世の常。

 

時代の流れの差異は大昔からあれど、どの時代の思春期の『揺らぎ』は

『タイミングを待つ』余裕がなければ、後悔する事もまた世の常なのかもしれません。

 

子供達の多感な青春の1ページを

親御さんの冷静さで『安全』へ導いてあげて欲しいと願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長男(当時長女)は公立で私服だったのですが

6年間、ずっとジーンズ、またはショートパンツだったのですデニム

 

制服では無いので、着替える事もなく、そのまま遊びに出かける子供達。

 

幼稚園の年中の頃から、近所で『幼児連れ去り未遂』などが起こって居た事

連日ニュースで『小児愛者』による事件等あった為

私は長男(当時長女)がパンツ姿だと安心して居ました。

 

スカートだけ、という女の子も少なかった記憶スカート

 

周りのママさん達も『子供の安全第一』という感覚で

逆に、当時は短いスカートだけを履いている女の子を見かけると

親達は、心配するような空気感でしたバレエ

 

       長男(当時長女)右てんとうむし

       

 

       小学生になっても、やはりジーンズデニム

       

 

私は小学生の頃は、制服だったのでスカートでしたが

自転車で塾へ通ったり、遊んだりだったので、パンツに履き替えて居ました自転車

 

連れ去り未遂事件や小児愛者事件などが無かったとしたら

当時の女の子は皆んなスカートを履いて居るのだろうか・・・

もし皆んながスカートなのに、長男(当時長女)はスカートを履かない事を

私は気が付いただろうか?・・・と考えましたが

 

       何せ・・・写真の通りガーン私もいつもパンツ姿ガーン

          

     昭和のパンツは本当に短い笑い泣き体育の時なんて『ブルーマー』でしたよ爆笑 

                  (ブルーマー・・・もうこの世に存在しません笑い

 

長男(当時長女)からすれば、スカートを押し付けられなくて

良かったのかもしれません笑ううさぎ

 

今の時代は昔より『小児愛者ニュース』が多くなり、安全に気を配らなければなので

『スカート』『パンツ』で小学生の頃に『性別違和』を見抜いて上げるのは

益々難しいかもしれませんショボーン

 

ですが、私の長男(当時長女)はスカートに一歳興味を示さなかったので

洋服を一緒に買いに行き、長男(当時長女)が選ぶのはパンツばかりでしたパー

 

私が小学生の頃パンツばかりだった事と

子供が事件に巻き込まれない様に、安全ばかり考えて

パンツしか選ばない長男(当時長女)に疑問を持たなかった私の落ち度おいで

FTM(男性から女性)の方が子供の頃、全員パンツを選ぶとは限りませんので

我が子の場合のお話ですパー

 

      皆様は安全と服装、バランス良くお進み下さいね飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供達が小学生の頃、非常時に備えた『引き渡し訓練』が有りました。

学校へ子供を迎えに行き、一緒に帰るというものです。

 

我が家は子供二人なのですが、下の子の教室での出来事です。

 

Aさん(女の子)

Bさん(親御さんが迎えに来られない女の子

Cさん(Aさんの保護者)

 

A『ママ、Bちゃんのママ、来られないらしいから一緒に帰るけど、良い?』

 

C『うん良いよグッBくん、家は同じ方向かな?』

 

B『うん』

 

A『ママアセアセ女の子』と言いながら、母親を肘でツンツン

 

B『・・・』

 

C『あ、ごめんごめんアセアセ女の子なんだアセアセだって青いTシャツだし

  髪も短いから男の子かと思っちゃった』

 

Cさんは『フォローしている』のでしょうが

私には、Cさんが言ってしまった事の『言い訳』と『男の子に見える理由』を

細部に渡りBさんに説明している様に聞こえましたびっくり

 

妊婦さんでは無い方に『妊娠何ヶ月?』と聞いてしまっても

『あ、済みません』で済ませる大人は多いのに

相手が子供だと詳しく説明してしまうのは奇妙な光景に映りました。

 

当時は、LGBTQ +・FTMという言葉もなく『FTMかもしれないのに』とも考えて居ません。

我が子の長男(当時長女)も、似た様な出来事を経験して居たにも関わらず

『男の子』に見えるだけで、我が子は『女の子』と思い込んで居るので

私の意識の向き方も考えものですがアセアセ

『傷に塩を塗り込む』様な『謝り方』『フォロー』はしないよう、意識しなきゃ

とばかり思って居ました汗うさぎ

私、夫には時々『塩、てんこ盛りで塗りたくって』口笛

 

『謝り』『フォロー』が『言い訳』になってしまっては、いつの時代も

人間関係に於いて『互いに後味が悪い』事の一つ、になってしまうものだな

と思い直すやら、言葉遣いの塩梅って難しいですねキョロキョロ

 

子供達が小学生の頃の思い出話でしたランドセル