通学路(1)の続きになります
先回りして帰宅して、いつもの様に『おかえり〜』と声をかけ
我が子は少し罰が悪そうというか
でも我が子の出来事を目の当たりにして、その事に触れない事は出来ません
私『あの後大丈夫だった』
我が子『うん』
私『ランドセルの色言われてたね』
我が子『うん』
私『色々言われて嫌なら、赤いランドセルに変えても良いよって話したの覚えてる?』
我が子『うん』
子供が約束を覚えてくれて居ただけで
『うん』しか言葉が出ない我が子だけれど
やはり言葉の引き出しと気持ちのバランスが合わず、何も言葉に出来ないですよね
私『赤に変えたいなら、買いに行けるからね』
我が子『う〜ん』
暫く時間が過ぎて、ランドセルを見つめた後、私の顔を見て
我が子『やっぱり、これ(黒)がいい』
私『うん』
イジられているのは毎日の事で、きついだろうに
『これ(黒)がいい』と我が子が出した結論に、私は頷きました。
私『じゃ気分転換に美味しい物でも食べよっか』とキッチンへ行ったものの
お買い物が出来て居なくて何も無い
子供達が他所のお宅へお邪魔する時用のクッキーを二人で食べました
我が子がイジられているな、とは入学当初から感じて居ました。
どうして『子供がイジられているのを感じながら、毎日声を掛けてあげなかったか』
と聞かれる事があります。
低学年の頃は、様子を聞いたりして居ましたが、この時はもう、10歳に近い歳。
私も此の歳の頃『口裂け女』と私の口の大きさを揶揄されて居ましたが
(私が子供の頃、都市伝説のような噂話で、口が裂けた女が出没するというもの)
親には、そういう部分は知られたくない、触れないで欲しいという感覚を覚えています
親自身が安心したいが為に、子供の心情を考慮せず、話させようとするのは
如何な物か・・・と言う持論です
私は、子供の意志で出した結論が、余程、間違えて居ない限りは口出しせず
『こういう方法もあるよ』という選択肢か
『その場合、こうなる結果も考えられるよ』という補助しか言いません
『やはり黒いランドセルで通学する』と決めた我が子を、単に応援したかった私
ご近所での私の子育て評価は最悪でしたけれど
長男(当時長女)自身は、ランドセル以外で
私の知る以上に学校で我慢の日々を過ごして来たんだと思います
今思えば・・・赤も黒も両方ランドセル用意して
交互に背負ってみたらと我が子に提案してあげられていたら
いじられ無かったのかなぁ
起点が効かなかった自分が、ちょっと歯痒い
6年間、貫いて背負い続けたランドセル
終業式から帰宅した、その日のまま残してあります
皆様、良い1日を