息子と話していると、しょっちゅう禅問答ならぬなぞかけのようになってしまう。
先ほども、なにか話していてある作家さんの名前を思い出せなくて、アレコレ言ったのだが…。
「あ、思い出した。小山登美夫ギャラリー所属のアーティストよ。ウェブサイトのアーティストってところをクリックしてみて。」
ここにたどり着くのが大変。 まず、小山さんの名前がちゃんとでてこない。「えー、こ、こ、コミヤじゃなくて...、コヤマ、コヤマトミオさん....!」としばらく考えて、やっとでてくる。
で、ギャラリーのホームページの女性の作家さんの名前を片っ端からクリックして作品を見ながら「この人じゃない」「この人かなあ、作風が変わったかなあ」などといいつつ、30分ぐらいアレコレやって、やっと「おそらくこの人」というのが見つかった。
で、作家さんの写真があって、顔に見覚えがあったので、あ、この人だ、とやっと確定した。ロンドンの個展で小山さんに紹介してもらって、お会いしたことがあったのである。当時はまだ若い新進作家さんだった。
息子、「会ってまでいるのに、どうして名前を覚えてないの!」と呆れるが、仕事を辞めて4年。かなりの名前がもう忘却の彼方である。
今度は、テレビの番組を見ていたら、セットの部屋の机に置いてある本の表紙が目に入った。 どくろに長い角がついているのである。「ああ、あれ、ほら、なんだっけ!あの角の生えたどくろ!」見てなかったという息子にと絵を描いてみせた。
「え~? これ、角じゃなくて、耳じゃない? ドニー・ダーコのウサギだろ?」と息子。しかし、ドニー・ダーコのウサギの絵をみると、ちょっと違うような気がする。「絵の載っていた本のタイトルさえわかれば、すぐに検索できる」、と息子。
本のタイトル。「なんか、Sがついてたな。Shotだっけな?」というと、「もう!」とイライラする息子。
グーグルで色々検索したが、結局わからなかった。「あ~、気になる!何だったんだろう!」と息子は知りたがる。
そしてつい今しがたは、女性のタレントさんが食べ歩きをしている番組を見ていて、「この人、ほら、あの人に似てるね!」と言ったら、息子「あの人? それで分かったら、超能力があるから」という。
「ほら、あの人の奥さん」と私。「なんだよ、あの人の奥さんって。そんなの世界の人口の3分の1ぐらいいるぞ!」と息子。
「もうそうやって、さっきから、モヤモヤすることばっかり言ってくる~。誰なんだよ、もっとナローダウンしてくれよ!」
「ほれ、あの俳優の奥さんだよ、あのリンとかっていう俳優。あの首の周りにスカーフ巻いてる…」と私。
「え?中尾彬(あきら)のこと? リンって、なんだよ!」とイライラする息子。
もうこの辺で笑いが止まらなくなる私。いったい1日のうちのどれほどの会話をこのように行っていることか。我ながら可笑しすぎる。
「じゃあ、志乃さんのことだね、うん、言いたいことはわかる。」と、超能力並みのゲスワークで息子は答えにたどり着いた。すごい。
「しかし、どうして次から次へとこうやって中途半端な情報で話をつなげようとするんだろうね。すっごくモヤモヤするんだよ!」と呆れる息子。
「いいじゃん、わからなくたって別に困らないよ。大した事話してるわけじゃないんだからさ」と涙を流して笑う私。「笑っている場合じゃないから」と息子はくぎを刺す。(そしてグーグル世代は、なんでもすぐに調べてわからないと納得しない)
しばらくして「ねえ、あれ誰だっけ、ほらあの若い歌手…あの歌の…。あの黄色い花の名前がタイトルの・・」と私が言い始めると、「ほーらまた始まった!」と息子、(大丈夫か?)という顔をして「ひまわり?チューリップ?」と禅問答に付き合ってくれる…。(答えはマリーゴールド!)
やれやれ・・・。
そう言えば、思い出せないのは人の名前だけではない。
「これは大事だから別にしておこう」と思って書類などをどこかにしまい込むと、その場所が一向に思い出せなくなるのだ。
「おかしいな、確かにここからだして、どこへ移したんだっけ。ああ、元の場所に置いておけば良かったな、元の場所なら覚えていたのに」ということがすごく多くなってきている。
そして、昔は「下手なジョーク」と思って見ていた、眼鏡を額にのっけたまま、「どこに置いたっけ?」と探すやつ。 あれを私もやり始めており、「お母さん、わざとじゃないよね?」と息子から額を指差しされる。 時には、おでこに一つのせたまま、もう一つをしっかりかけていることもある。老眼鏡は家の中に5個ぐらいあっても、まだ探すことがあるぐらい、どこに置いたか覚えていない。
そして老眼鏡と手指の消毒液のボトルはレストランなどでしょっちゅう置き忘れてくるのだ。だからバッグには2個ずつ以上入っているのである。
しかし、そういうことの頻度が増えてくると確かに笑っている場合じゃないな、と思うのである…。