プレゼンスが… | ロンドンつれづれ

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年末、年始と、羽生さんの露出が多かった…。

 

そのプレゼンスは圧倒的。

 

紅白も、羽生さんが審査員だということで視聴率に影響がでたとか。

 

 

 

そう、彼を見るために「普段紅白は見ないのに」チャンネルを合わせていた、というファンは多かっただろう。 私は実家で多くの人のチャンネル争奪の要望に応えなければならなかったので、通しで観ることはできなかったが、たまたまチャンネルを合わせると、運よく「millet」さん、「バックナンバー」さんや「ユーミン」さんの歌の前後を見ることができ、羽生さん登場の場面をほぼミスなく見たような気がする。

 

羽織袴を端正に着こなし、左に黒柳徹子さん、右に芦田愛菜さんに挟まれ、いつカメラに抜かれてもニコニコと育ちの良さそうな結弦さんは、この暮れの伝統的歌番組を楽しんでおられたようである。

 

同番組に出演したロック界の王子たちが、羽生さんをべた褒めしている動画があって、面白い。私はYOSHIKIさんやSUGIZOさんのファンでもあるので、大変に嬉しかった。

 

 

 

また元旦には12時間にわたる羽生さん特集番組もあり、トーク番組もユーミンをはじめとして、体操の内村さんとの一流アスリートトーク、そしてNHKEテレでのピアニストの清塚さんなどとの対談で、私などとても追いきれないぐらい、嬉しい悲鳴だった。

 

 

先ほど、録画してあったNHKクラッシックTVを見終えたが、30分では足りない!

 

フィギュアスケートで使った音楽についての羽生選手の感性は、確かにアスリートのものというより、(彼はピアノも弾くのか?)楽器をやる人の感性だな、と思って聞いた。

 

私は趣味のレベルだがピアノを弾くし、自分のスケートのプログラムを編集したこともあるので、「尺の都合でパズルのように後ろを前に持ってきて繋げましたって言うことが必ずしも音楽として…」やら、「音楽をぶった切ってフィギュアスケーターのために作りましたじゃなくて…」という部分がよくわかった。

 

「ちゃんと音楽があって、フィギュアスケートがあって、スケーターがいて、それを見た時にちゃんと物語として、作品として成立しているのか」という羽生さんの言葉。 

 

そこなんだな、そこにちゃんとこだわってストーリーを伝えようとしているかどうか、それは見ている人にとってすごく違いがあるんだな、と改めて思ったのである。

 

本当にいくつかの音楽を「ぶった切って」くっつけたな、というプログラムをよく見ることがある。あるいは、長くするために一部を2回リピートしたり、本当は4拍ある部分を3拍にしてしまったり。 聴いていて、本当に気持ち悪いのである。 それに気を取られて、演技が目に入ってこないぐらい…。選手自身は滑っていて気持ち悪くないのかな、と思うのである。

 


ジュニアのころから、いや、ノービスのころからだって、羽生選手は音楽をおろそかにしたことは無かった。そして一つ一つの音を表現しようという意志が伝わったのである。それが見ているものには、「この選手の演技は、見ていて気持ちが良い」という漠然とした印象を与えていた。

 

よく、5秒近く音から遅れて演技を終える選手がいるが、あれはその1分前あたりから音楽から遅れ遅れの動作をしているのだろう。そしてよく、「この選手の演技は、別にこの音楽でなくてもきっといいんだろうな」というスケーターもいる。つまりやっている振り付けに、同じ分数の別の音楽をつけても違和感がないんじゃないか、というぐらいのものである。

 

振り付けや動きと音楽との間に関連性が薄い、あるいは音楽のテーマを表現していないとそういうことになり、見ている人は感動することができない。なんのストーリーもメッセージも受け取れないからだ。単にそれらしい音楽の部分でジャンプを入れたりスピンしたり、あるいはそれすら合っていないこともある。

 

「演奏に合わせにいきすぎて、スピンレベルを落としてるんです」と話す部分があった。レベルを落としてまで、音を大切に演技をしていたんだな、と感心した。だから彼の演技は「作品」にまで昇華するのだ。

 

そして、これ。

「ピアノが右手と左手で違う音階とリズムをとっているところが、すごくいろんなところに散らばってるんですけど、上半身は右手、下半身は左手みたいなところがあるんですよね。それはバラード第1番のいいところですね」

 

この人がピアノを弾く、というのは聞いたことがないんだけれど、もうほぼピアニストのような感性で音楽を聴いているんだな、と思う。 だから楽曲の技術的な部分をスケートの技術的な部分に翻訳できるのだろう。 

 

それに対し「これは本当にフィギュアスケーターの意見とは思えない。ショパンというのは自分自身の言葉で『僕の音楽は左手が指揮者、右手がソリストだよ』と言ってる。」と少し興奮気味の清塚さん。

「ショパンの特徴で手があんまり大きくなかった人だから、回転させる動きが多いんだよね。その回転の部分を利用して本当に回転していくんだよ、すごいよね。そのセンス、感性はショパンのバラードそのものって私は感じる」

 

難しい技術のエレメンツひとつひとつを散りばめながら、プログラム全体に流れる曲を解釈しつつ作品にまで高める表現をする。「いっぱいいっぱい」だと羽生さんは言う。そして、「表現したから全てが点数になるかって言ったらそんなこともないけれども…」と。

 

「でもジャンプも全部やって、曲の解釈も全部とってやる、表現も全部とってやるみたいなこだわりはすごいありました」

 

そこが、他のスケーターとは一線を画するところ、つまり羽生結弦ひとりが別のレベルで競技をしていた、ということ。 それはもう10点満点という採点では評価できなかった、ということなのだ。

 

最初ピアノでやると聞いた時、え、あれはやはり管弦楽でなければ…と思った「ロンド・カプリチオーソ」は、清塚氏の編曲のピアノで見事に生まれ変わっていた。その軽やかさやメリハリ、つまりソロピアノの鍵盤の打ち出す明白な音が羽生さんのフィギュアスケートのアクセントポイントに合っていた。

 

「そもそもは自分の中で、情熱があって芯がある人間なんだけど、その芯の周りにはちゃんと孤独があったり冷たさがあったりとか、熱と冷たさの狭間にいる感じをイメージしてロンドカプリチオーソがいいなと思ってお願いしたんですけど」

芯の部分に情熱があって周りを孤独、そして冷たさが取り巻いている。冷たさというのは冷静さということだろうか、冷めた部分ということだろうか。

 

「僕はこの曲を聴く時に、自分の人生を乗せたい、自分の願いとか熱を乗せたいってすごく思った」

 

プログラムが「作品」になるには、演者の個性、あるいは演者の人生が垣間見えるような演技でなくてはいけないだろう。 プロになって、今後ますます「作品」としての演技が求められるが、羽生さんはアマチュアの競技者でいるうちから、それを目指していたんだな。

 

彼の目には、演技をする自分だけでなく、受け手の気持ち、演技に対する観客の受け取り方がしっかり見えている。それは、もう現役のころからそうだった。

 

「例えば、このオンエアを見てくださってる方がほんのちょっとだけ辛い思いをしたり、机の角に小指ぶつけたとかでも。そんな小っちゃいものがちょっとでもあったかく、そこに春が来るように思いながら滑ってますね」

 

音楽もスケートも、感情が灯る、すごいね、綺麗だね、という気持ちを与えてくれる、生きる活力になるものだなんだ、と話す羽生さんは、幸せそうに見えました。

 

この対談、30分でなく、ぜひ全部をいつかどこかで放映してほしいな、と思いますよ、NHKさん。ぜひお願いします。

 

 

そして、嬉しいニュース。

 

内村さんとの対談は、ノーカット版がBSフジで、14日の午後3時から放映してくれるそうです。 

 

必見ですね!

 

https://artexhibition.jp/topics/news/20230104-AEJ1173328/

 

 

 

羽生さんは現役競技選手だったころは、メディア露出は少ない方でした。

 

しかし、プロになって色んな縛りが無くなって、メディアで発言する機会が増えています。

 

私たちファンにとっては喜ばしいことだし、羽生さんにとっても一部誤解している人たちが、「え、羽生さんってこういう人だったんだ」と見直す良いチャンスになると思います。

 

 

 

ぜひ今後もこういった対談に参加し、羽生さん一流の哲学や本音を話してほしいな、と思っています。

 

しかし、対談相手は吟味してくださいね。 おそらく、同年代の人ではなく年長者、そして各界の一流の人々を選んだ方がいい、と思います。

 

羽生さんの本音や哲学を引き出し、お互いに対話の相乗効果を高めるには、一流どころの大人でなければ無理でしょう。 

 

その意味で、ユーミンも内村さんも、そして清塚さんも、素晴らしい人たちとの対話で、私たち聴衆も得るものが大きかったのです。

 

 

 

2月のアイスショーに向けて企画も練習も忙しいでしょうが、健康に気をつけて頑張ってくださいね!

 

そして、年末年始のプレゼンス(プレゼント?)を本当にありがとうございました。

 

しっかり堪能いたしました。