呆れた話 | ロンドンつれづれ

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ロシアのメディアに呆れた話が載っている、と夫が話していた。

 

フィギュアスケートも、新体操も、もう競技が始まる前から誰が優勝するか、決まっているというのである。

 

 

ロシア語を自動翻訳で英語にしたものを読んで、以下、簡単な訳をつけてみると…。

 

 

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だれがチャンピオンに選ばれるか。 「体操の選手は台から叩き落された。次はフィギュアスケートとシンクロ・スイミングの番だ…」と、審査員をしている人物が言ったというのである。 

 

カナダはメドベデワに戦いを仕掛けたが、負けた、とも。

 

審査員の採点によりアスリートの運命は決まる。が、審査員だって自己主張も意見も長所も短所もあれば、色んな状況にも影響される人の子である。 競技会ではアスリート個人というよりは、彼・彼女に対するスケート界の心理的な扱い方に左右される。 つまり、採点が行われるずい分前に、だれがリードするかは決められているというのだ。 20年の審査員経験のあるアレクサンダー・ヴェデニン氏は、フィギュアスケートの競技会の裏で、「テレビ用」の審査の動きがあることを曝露した。 

 

彼自身ソ連では2回チャンピオンになっており、ナショナルチームのコーチを15年間経験した後、国際競技会で審査員も。 またISUのセミナー、デベロッピング・プログラムの創立者のひとりでもある。

東京オリンピックの新体操の採点についての彼の意見は、「政治的なものだ」という。ジャッジたちが誰を優勝させるかは、「心理的なムード」に左右されるという。彼は東京では、「ロシア人でない体操選手も同じレベルで評価される」という方向に向かう最初のステップだった、という。 

 

(フィギュアスケートは)新たな審査システムの導入の2002年以来、競技後にプロトコルを渡される。そこには彼らの演技のエレメンツに対するそれぞれのジャッジの細かな採点が記録されているが、新体操もそのような審査だと思うが、記録書類がないからわからない。 (新体操ではクリーンな演技のロシア体操選手が銀で、手具を落としたイスラエルの選手が金メダルだったため、審査結果についてロシアが抗議した)

 

ソチではユヅル・ハニューが転倒しても優勝、世界選手権ではシェルバコワがフリップで転倒しても優勝し、クリーンに滑ったトクタミシェワが銀だった。 現行のシステムでは、勝利は得点の合計で決まる。スケーターが何をして見せたか、しなかったか、その合計だ。 一つのプログラムにはたくさんのエレメンツや要素が入っている。 

 

カミラ・ワリエワは地球の引力に逆らって飛ぶがごとくだし、アーニャ・シェルバコワは太陽系を飛び出しているようだ。 華奢な彼女らの身体の中には、原子炉でも入っているんじゃないか。その作り出すエネルギーを次のオリンピックでも使ってほしい。 トクタミシェワと比べるなら、アーニャのエレメンツはどれをとってもより質が高く、たやすそうにこなしていた。表現で言えば、アーニャはプログラムを滑るのではなく、女優かバレリーナのように、それを生きて魅せる。 ジェスチャーではなく誠実な感情だ。

 

次のオリンピックで、ロシアはジャッジに何を期待できるか。 すでに、裏での筋書きのプロセスは始まっている。 最近は、負け知らずと思われていたロシアのアーティストたちが台の上から叩き落とされてる。 次に狙われるスポーツはフィギュアスケートとシンクロ・スイミングだ。 しかし、女子では我々のスターを脅かせるものはいないだろう。 アリサ・リューかもしれない。が、彼女は先シーズン沈んでいた。

 

全ては、オリンピックにずーっと先行して始まっているものだ。もうシーズンの最初からだ。 情報戦に抜きんでて、だれが貧乏くじを引かされるか知っておかなくては。ISUや、ジャッジ・パネルの内部でどんな相談がされているのか、よく監視していなくてはいけない。 どんな雰囲気なのか? どの優勝候補を転覆させるかは、この目に見えない空気の中ですでに決められていくのだ。

 

ジャッジ・パネルは、テクニカルチームとその他のライン・チームに分けられる。テクニカルはフィギュアスケート界での経験のある人から成っている。二人のテクニシャンは選手かコーチ経験者であることが多い。テクニカルコントローラーがこのチームの主で、それぞれの競技会のテクニカル委員会でリーダーシップをとっており、ISUから任命されている。 ライン・チームの9人は各国を代表している。 彼らは資格と経験を持ったジャッジで、いろんな職に就いている。弁護士、ビジネスマン、教師などだ。彼らはトーナメントの始まる前に、くじ引きで任命される。 テクニカルチームがエレメンツの難易度や規定通りかどうかを審査し、ラインチームがそれぞれのエレメンツの質をGOEで審査、PCSを評価する。

 

競技前には、レフェリーによって審査員の非公開のミーティングが開かれて、基本ルールや重要ポイントのリマインドが行われる。 レフェリーは選手の個人名は上げないが、個人のアスリートによる傾向のヒントなどは与えることができるため、審査員はそれに影響されることがある。 競技会の最中はジャッジは言葉を交わせないし、目くばせもいけないことになっている。 審査中のそういったコミュニケーションは審査を無効にする。 試合の後で、レフェリーチームがミーティングをして、ジャッジの評価に著しい違いがあった時は話し合うこともある。

 

ジャッジはルールについて熟知している必要がある。たとえばジャンプ。一番高いジャンプを跳ぶ選手でも滞空時間は0.7秒。その間にジャッジはその質を判断しなくてはいけない。 複雑な入り、踏切の強さ、回転の速さや着氷の様子などを瞬時に見なくてはいけない。プロのジャッジはその質を「感じ」なくてはできない。

 

ジャッジの謝礼は微々たるもので言及するのも恥ずかしい。サンドイッチ代、あるいはパブで1回飲むぐらい。 審査員で稼ぐことはできないが、その名誉を手に入れたい人は多いだろう。テレビにでて、競技前に名前が呼ばれて大勢のファンが知ることになる。 それに地球上のベストのアスリートを自分で決めることができるし、5スターのホテルに泊まれて、VIP扱いを受けられるという虚栄心も満たされる。

 

ー 審査員とコーチの関係は? 

 

各国のトップの審査員は、ちょくちょくナショナルチームのトップクラスの選手とおなじキャンプに参加してアドバイスを与える。このエレメンツは規定違反とか、このポジションから始めた方がいい、など。 シーズン前にスケーターのプログラムから曖昧な部分を取り除いて、規定にそったもので最高の得点ができるようにする。 国内のトーナメント中も、ジャッジは選手にフィードバックをするのである。これもジャッジに求められる仕事のうちである。
 

ー 世界でのフィギュアスケートの審査で、ロシア、カナダ、米国のスケート連盟が力を持っていることは周知の事実ですが?

 

そう、そして彼らの間では選手の成績やチームの順位についての政治的闘争がいつもあるんだ。そのための審査員に対する圧力は、実によくあること。もちろん選手やコーチがそれを感じるのはさらによくない。大きな競技会に選手を連れていくコーチは心臓発作を起こすぐらいだ。 ナショナルチームに選抜されて3年、ワールドカップで5年寿命が縮み、オリンピックのストレスと言ったら気が狂いそうだ。

 

ISUでの幹部の選挙。5年前にはスキャンダルにまみれながらも40年間トップをつづけたオッタビオ・チンクワンタの後任選びがあった。 フランスのスケート連盟のトップ、ディディエ・ゲルアグエ氏の名が挙がった。彼はISUの改革をたくさん提案したおかげで、選挙に負けた。ISUのエライさんや各国の連盟は変革は求めなかった、ということだ。

ー 小さな国から来ているスケーターに対しては、審査員が厳しい採点をするということはあるのか?

 

審査員はどの選手により多くの(あるいは少ない)得点をつける必要があるかを事前に知っている。 もちろんそういうことは、あからさまには話し合われないが、心理的な空気は醸成されている。 例えば、A選手はいつも5.8から5.9のレベルでスケートし、B選手は選手は5.0から5.2のレベルだということを知っているという状況を想像してみてください。 ある日、A選手が失敗したので、あなたはいつもより低い5.5から5.6のレベルを与える。 B選手は彼にしてはとても良い演技をしたので、いつもより高いレベル、5.3から5.4を与える。 それでも、彼は失敗したA選手に負ける。 こういうことは良く起こるのだ。 ジャッジはこういった心理的姿勢に影響されているが、それを問題にする人も明確に言葉にする人もほとんどいない。

トーヴィル&ディーンが優勝した時は英国人がISUの副会長だったし、英国はアイスダンスの発祥地なことを忘れてはいけない。もちろん彼らの滑った「ボレロ」は原子爆弾並みだった。当時のルール破りだったが、副会長のデミー氏は、「5.6をつけてもいいが、優勝させろ!」と言ったという。デミーはリーダーとして、彼らのアイスダンスは未来に向けたアイスダンスのブレークスルーになる新たな言語だ、と分かっていたのだ。

 

そして、ヴェデニン氏は1988年のオリンピックでの二人のブライアンの宿命的な試合について述べる。 ブライアン・ボイタノとブライアン・オーサーだ。

 

過去に最も重圧のあった仕事だ、と彼は言う。 当時、技術面では完璧なボイタノと、豊かな感情表現とともに正確さを誇るブライアンは男子シングルのトップを競い合っていた。フィギュアスケートを芸術にまで発展させようという当時の方向性でいえば、勝利はオーサーのはずだった。 だれもそうとははっきり言わないが、心理的作用のことを思い出してほしい。

 

その結果として、オーサーは普通より高い得点をもらっていた。私にはそのプロセスが見えていた。「SPでボイタノを1位とつけたが、それが自分だけなら、自分の審査がナショナルバイアスとして資格をはく奪される」と、アメリカのジャッジは心配していた。当時は得点よりも順位の方が重要だったのだ。より多くのジャッジが1位をつけたスケーターが勝者になる。ボイタノは完璧に滑った。オーサーはより表現豊かに。しかしボイタノの方がより良かったと私は思った。私はそのジャッジに「私もボイタノを1位にしたから心配するな」と話した。

 

多くのジャッジはボイタノの方が良いと思ったが、ISU上層部の怒りを買うと思ってそれを言わなかったのだ。フリースケートではボイタノは完璧にクリーンに滑り、オーサーは2つの大きなミスをした。ジャッジのうち5人はボイタノを上位においたが、他の4人は上層部の意向に背く勇気がなかったのだ。私は自分が正直にプロフェッショナルな審査をして良かったと思っている。数年後に、カナダのスケート連盟のCEOがISUのリーダーになった時から辞めるまで、彼は私に復讐をしていたがね…。


カナダのスケート連盟は、いろんなことを巧妙に仕組むことが知られている。 ある時期、すべての試合に勝っていたジェーニャ・メドベデワについてメディアをつかって攻撃していたことがある。オリンピックが近づくにつれ、カナダでは元気で生き生きとしたケイトリン・オズモンドがスターになった。 確かに重そうだったが、それを感じさせない跳躍だった。 急にインターネットでは、ジェーニャのジャンプがいかに劣悪か、カッコ悪くて間違っているかという動画や、若い頃のユナ・キムとの比較などが、偶然のように増えてきたのだった。 時代が違えば審査方法も違うというのに。

 

これはインターネットでいかにメドベデワが劣化してきているかを紹介する意図があった。 こういうことは、結果としてジェーニャの評価に悪影響を及ぼすために前もって計画されたものだったのだ。 しかしこのような策謀者にとって想定外だったのは、ザギトワが決定的瞬間に現れたことだ。 彼らのしたことはメドベデワを転落させたが、彼女が負けた相手は自国のチームメイトであって、カナダのオズモンドではなかったと言う点で誤算だったのである。

 

こういったことは、すべて舞台裏での駆け引きであって、内部の人間でなければそれらを認識することはないだろう…。

 

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どうでしょうか、皆さん。 すべてを訳したわけではありませんし、ロシア語➡英語➡日本語の略訳なので、まちがいもあるかも、です。そこはお許しください。

 

 

ソ連時代のスケーターであり、その後コーチとして西側に移動。 審査員も何十年も行っているという人物のインタビューですが、フィギュアスケートが東西に分かれてしのぎを削っていた時代の英国スケーター、ジョン・カリイが彼の映画「アイス・キング」の中でも、ジャッジの中に何人東側(ソ連とその属国)の人間がいるかどうかで、自分が勝てるかどうかが決まる、と話していました。

 

また古くは、「白人で無ければメダルはとらせてもらえない」という時代があり、伊藤みどりさんなどが実力でそれをねじ伏せてきたという歴史がありました。 

 

その後、フィギュアスケート界ではかなりの進歩や発展があり、荒川静香さんの金メダル、高橋大輔さんの銅メダル、浅田真央さんの銀メダル、そして羽生結弦選手の金メダル連覇と、日本は輝かしい成績を残し、実力でメダルをもぎ取ってきました。

 

日本以外にも、韓国のキム・ヨナさんや、スペインのハビエル・フェルナンデスさん、カザフスタンの故デニス・テンさんなど、スケート大国と言えない国からもメダリストが出ています。 こういう例から、素晴らしい演技をすればそれがきっちりと評価されるという、スポーツ競技では当たり前の採点が行われていると思いたい。

 

しかし、おそらくフィギュアスケート界内部で仕事をする人たちの間では、上記のロシア人審査員の言うような実情があることも、周知なのでしょう。 私のイギリス人のコーチたちも、同じようなことを言います。だれそれというコーチについていると優勝させてもらえる、私の生徒の方が上手なのに、あの有名コーチの生徒は受かって自分の生徒はレベルテストで落ちた、などなど…。

 

 

おそらく、平昌オリンピックでは、女子のメダリストだけでなく、男子のメダリストも有力候補をISUはすでに決めていたのではないか、と私は思っています。しかし、その選手はSPで大コケをしてしまい、鼻薬をかがされていたジャッジたちでもどうにもレスキューできない程だった、と。 かたや優勝した羽生選手の演技は、ほぼパーフェクトだったのです。 

 

大手スポンサーでもあるアメリカのテレビ局、NBCの力で、アメリカ視聴者のゴールデンタイムに競技時間を変更までしたのに、可哀そうにそういったことすべてが若い選手の大きなプレッシャーになってしまったのかもしれないようなぼろぼろのSPでした。

 

北京オリンピックでは、「今度こそ!」というプレッシャーがまたかかっているでしょう。 そして、彼は強くなりましたから、今度はそれに押しつぶされることなく、やるべきことをリンクにでてやるんじゃないかと私は思います。 そうなれば、ISUは計画通り、彼に優勝を渡すでしょう。 羽生選手はミスがなくとも、今回は勝たせてもらえない、と私はにらんでいます。 ライバルが2回ほど転倒しても、勝たせてくれないかもしれません。 しかし、おそらくライバルは今度は転倒しないでしょう。

 

 

北京オリンピックに向けて、まさに当時のメドベデワ選手に対する「巧妙な攻撃」のようなことが、日本の羽生選手に対しても行われているように感じます。 2年ほど前から始まった、競技会での辛めの採点。トランジション満載のプログラムでも、難しい入りや出のジャンプでもなかなか高くならないPCSやGOE。

 

かたや、ほとんどトランジションの動きを入れない選手たちに対する大盤振る舞いのGOEやPCS。 そして世界選手権前のISUのプロモーションは7割が特定の選手の特集でした。

 

こうやって、勝たせたい選手の得点を数年前から盛り上げておけば、オリンピックの頃にはそれを基準にした採点をジャッジたちはするでしょう。 逆に、得点を押さえられてきた選手に対しては、最高の出来のパフォーマンスをしても、ここ数年につけられた得点以上の採点はしないでしょう。 それが、上記の「心理的なムードの醸成」ということです。

 

そしてロシアやアメリカが国内戦で自国の選手に爆上げのスコアをつけるのはそれが狙いなのでしょう。 その辺の事情が分かっていないのは日本のスケート連盟ぐらいのものでしょう。

 

しかし、羽生選手本人は、おそらく3回目のオリンピックに対してモチベーションがそこまで高くないような気がします。 それほど勝たせたいのなら、勝てば良い、と思っているんじゃないでしょうか。 彼はもう金メダルを2個取っています…。 もうメダルに執着はないのではないでしょうか。 そういう時期は、もう通り過ぎ、さらに上のレベルに達している、そんな風情です。

 

しかし、彼が勝利に執着しなくなったこと=(イコール)フィギュアスケートの採点が上記のようにISUの上層部の意向によって恣意的にいじられることが許されるわけではない、と私は思っています。 

 

オリンピック参加の競技スポーツである以上、そして何度という正確な角度を出して回転不足などを細かくルールで決めて採点に反映させる以上、そのジャッジは正確で公正であるべき。 なぜなら、アスリートたちにとって、メダルや勝ち負けは、自分たちのその後の人生に直結することであり、またお金を取って見せている(テレビ視聴も同じ)以上、そのスポーツの勝敗が正真正銘フェアなものであることを観客に納得させる義務が主催者側(ISU)にはあるからです。

 

 

今回のような呆れた内部告発は、なにもこれが初めてではなく、実はスケート競技に参加している人やコーチ、あるいは審査員であっても、はっきり口には出さなくとも案外知っていることではあるのです。

 

では、分かっていてなぜ改善できないのでしょうか。

 

「それは採点競技のさがだから」というのは理由にならないと思います。 採点競技であっても色んなテクノロジーを取り入れて、少しでも見ている人が納得できるような客観的な採点方法に日々向上させているスポーツは他にいくらでもあります。

 

体操などもそうですし、モダンダンスなどのコンペでも、AIに動きと採点を連動して記憶させることで、かなり正確なジャッジが機械にもできるようです。

 

羽生選手が卒論で提案したように、ジャンプの回転数やエッジの正確さなどは比較的簡単にハイテク機器を使えばチェックできることはすでに他のスポーツ競技でも証明済み。 実際、人間の目でジャンプ回転が45度足りなかったか、44度足りなかったかなど瞬時にわかるはずはないのですから、機械に任せた方がいいはずです。そうすればテクニカルパネルが責められることもないでしょう。

 

さらに、プログラム中、平均でどのぐらいの速度で滑走していたか、アイスカバレージはどのぐらいか、ジャンプはいつも同じ場所でばかりしていたか、どのぐらいの割合でクロスオーバーばかりしてたか、あるいはどのぐらいの割合で上半身がダイナミックで3次元的な動きをしていたかなど、AIでチェックすることもできるはず。 それを参考にしながら審査員はPCRの判定をすれば良いのでは?

 

特にPCRは上記のようなポイントをまったく無視して高得点をつけているのでは、と思われるケースが散見されている…。 ISU上層部のアジェンダに沿って、オリンピックに向けて着々とその下準備をしているのでは…と。

 

 

少しでもフェアな採点に向けて努力をしている、という様子がISUに見えないところに、結局彼らは採点を政治的に操作ができる方が都合がいいんじゃないの、と思えてしまうのである。 

 

そしてこうやってそれを証明するような内部からの話が漏れ聞こえてくるから、純粋にスポーツとして楽しみたいファンとしてはフラストレーションがたまるのである…。

 

 

 

ところで、火曜日の午後にスケートの練習に行ったところ、学校がもう始まっていたせいか、とっても空いていた!

 

 

おかげで1時間だというのに、かなり練習をした気分になれた。

 

がんばって、今週もう一回行くことにしよう! すこし体重を減らさなくては…。

 

 

ブレードを最後に研いでからもう1年近くたつが、ほとんど滑っていないのでまだ大丈夫だろう…。