サマーヒル・スクールときのくに子どもの村学園 | ロンドンつれづれ

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昨日、私の長年の夢がかなった。



イギリスのサマーヒル・スクールと、日本のきのくに子どもの村学園の先生に来ていただき、お話をしてもらったのである。



サマーヒル・スクールはイギリスの教育哲学者、A. S. Neill (ニイル)の哲学により、「自由な子どもたち」を育てることをモットーに90年以上前に設立された私立学校である。





世界でもっとも古い「フリー・スクール」として知られ、世界中の学校の「進歩主義」教育のお手本となった学校で、黒柳徹子さんの通った「トモエ学園」は、このサマーヒルをモデルにしていると言われている。



その、A.S.ニイルの哲学を取り入れて日本で設立されたのが、和歌山県にある「きのくに子どもの村学園」である。


昨日は、サマーヒル・スクールから、ニイルの孫でもありスクールの音楽の教師であり、現在の校長、ゾーイ・レッドヘッド氏を助けてスクールの運営にかかわっている、ヘンリー・レッドヘッド氏に来ていただいた。そして、きのくに子どもの村学園からは、創立者である堀真一朗先生に来ていただいたのである。




私は、息子を育てる時に学校とのやりとりで「不思議だな」と思うことが数多かったので、放送大学で子育てや学校教育、地域教育についての授業を、児童心理学や子どもの権利についての授業と共に履修したのである。


その中で、教育哲学者として広く知られる、デユーイや、ニイルの著作を読むことになった。そして、ニイルの著作、「自由な子ども」、「問題の親」、「問題の教師」などという本を知った。




子どもが授業にでることを強制しない学校。


いったいどんな学校であろうか。 子どもの中には、入学以来数年間、一度も授業にでないで遊んでばかりいる子どももいるというのである。





授業にでる、でないは、すべて子どもの気持ち次第。 そんな学校は日本には存在しないだろう。


いや、いくつかの日本版「フリー・スクール」、つまり登校拒否を起こした児童たちが集められている、いわゆる「居場所」というスペースではそういうこともありうるが、文科省の認めた「学校法人」で、授業に2年も3年も子どもが出席しないと、問題扱いされるのではないか。



しかし、サマーヒルでは「自由」だからといって、なんでもが許されているわけではない。


彼らのいう「自由」とは、子どもが自分たちにかかわることには決定権をもっており、子どもたちのミーティングを通して、彼らのルールを決めており、ルールを破ったものに関しては罰則も存在するという「責任をともなう自由」なのである。


(ミーティングをしている子どもたち)



喫煙、アルコール、薬物の使用、セックスは、学校内では禁止されている。しかし、そのルールは子どもたち自身が決めたものだと言う。子どもの年齢は、6歳から17歳だというから、法的には飲酒や喫煙が許される子どももいるわけである。つまり、子どもたちは、自分たちでかなり厳しく自分たちの生活を律しているのである。


聴衆の中に、サマーヒルで学んだと言う若者がいた。彼は今イギリスでもかなり注目されている若手のアーティストで、とても良い子なので私も可愛がっているのである。


彼の言うには、「生徒は皆、サマーヒルが大好きなので、くだらないことでサマーヒルの評判を落とすことを恐れている。それに喫煙すれば6週間の停学を言い渡されるというルールを自分たちでつくったので、守ろうとしている。だって、6週間も学校にこられないなんて、どんなにつらいことかみんな知っているからね・・。タバコや飲酒なんて、それにくらべたらいくらでも我慢できるとみんな思っていますよ。」



(お友達を寄宿舎に招いて一緒に寝泊りする晩。とっても楽しそう)


(© Philipp Klaus)


自由に発言し、自由に討論し、自分たちのルールをミーティングを通して決めている子どもたちは、大人に対して敵対することもほとんどないという。大人は、先生は、自分たちを押さえつける「権威の象徴」ではなく、自分たちの自律や自治を見守ってくれ、迷ったり困ったりした時には手をさしのべてくれ、アドバイスをくれる人生の先輩であり、仲間なのである。


自由は与えられ、自分の権利を主張することができる子どもたちは、「人の権利も侵害しない」というルールも守るのである。ミーティングでは、その部分が徹底的に討論されるそうである。



(子どもと一緒にあそぶヘンリー)


(© Philipp Klaus)


「授業に出なくてもよければ、成績はどうなるんですか。サマーヒルを出た後、大学に行きたい生徒は?」と言う質問に対して、「子どもたちは、Natural learners (本来、習うことは大好き)なんですよ。だから、ほったらかしておいても、そのうちに授業にでてくるようになり、普通の学校で習うようなことは、半分の時間で身につけてしまいます。なぜなら、彼らはいやいや勉強しているのではなく、自分の興味で勉強しているので、モチベーションがとても高いのです」という返事であった。



(自分たちで作ったスケボー用の遊具で)


(© Philipp Klaus)


(© Philipp Klaus)



(© Philipp Klaus)



同じことは、きのくに子どもの村学園でもいえる。「プロジェクト」とよばれる、大変に子どもの興味をひくやりかたで、算数や国語を教えている。たとえば、建設。


ジャイアント・スライダーというプロジェクトがあったとしよう。子どもたちは、(6歳の子どもまで)、土地の長さや高さをはかり、設計図をつくり、図面どおりに木材を加工し、組み立て、トンカチやドリルをつかって、お友達と一緒に協力し合って、大きな滑り台をつくるのである。


これをするには、計算できる算数の知識や、作り方のマニュアルを理解する国語の能力、お友達と分業すると言う社会性、プロのアドバイスを聞いて、実行に移すという聞き取り能力など、多くの能力を刺激し、高める要素があるのである。


子どもたちは、なぜ算数が必要か、なぜ漢字を読めるようになる必要があるか、なぜ人の話をちゃんと聞かないと危ないのか、プロジェクトを通して体験していくのである。


(下は、子どもたちが小屋を建設しているところ)


きのくに子どもの村学園は、小中学校があるが、小学校では「工務店」「きのくにファーム」「おもしろ料理店」「劇団きのくに」「クラフト・ショップ」「よくばり菜園」、中学校では「動植物研究所」「道具製作所」「ミュージカル・シアターきのくに」「わらじ組」「自然研究室」「劇団バッカス」「子どもの村アカデミー」などのクラスがあって、子どもたちは自分たちがどのプロジェクトに取り組むのか自分で決めるのである。生徒は8割が寄宿学校、2割は通いだそうである。



ニイルの教育哲学にしたがって創立されたこの学校の基本方針は、子どもたちの自己決定、個性化、そして体験を通しての学習である。ここでも、子どもたちのミーティングはとても大切にされているのである。




きのくに子どもの村学園の創立者、堀真一朗教授は、日本におけるA.S.ニイルの権威で、ニイルの本はほとんど彼の翻訳である。また、彼自身の著書も数多くあるので、ぜひ読んでください。また先生によると、学園の子どもたちの出版した本も多くあるということです。











質問の中に、この二つの学校は、アスペルガーやADHDなど、最近数が大変に増えているという子どもの発達障害についてどう対応しているのか、というものがあった。



ヘンリーの答えは、「サマーヒルでは、子どもをクラシファイ(レッテル付け)をしない。ひとりひとりの子どもの個性を尊重するとすれば、どの子どもにも得意なことと苦手なことがある。集中力の無い子供も、自分の興味のあることだと集中することができる。子どもが自分で選んだ授業に出て、自分できめたプロジェクトに参加する場合、発達障害というレッテルは、個性と言う言葉におきかわり、問題は最小化するものである」というものだった。


そして、堀先生の答えは、「アスペルガーだといわれてきのくに子どもの村にきた4人の子どものうち、二人はアスペルガーではありませんでした。プロジェクトを通して彼らは他の子どもとのコミュニケーションも十分にとることができました。」というものだった。


大人だって、自分の興味のないことを強制されて1日何時間も座らされていたら苦痛だろう。 それよりも、得意な分野、好きな教科を思う存分伸ばしてやることができれば、無駄なことにたくさん時間をつかっている子どもたちものびのびと自分の才能を開花させられるのではないか。


その中でも必要最低限の読み書きやそろばん、そして教養は、子どもが自分で「生きていくうえで必要」と納得して勉強すれば、吸収も早いような気がする。


あんなに苦しんだ数学の「集合」とかベクトルとか、今私の人生で役に立っているんだろうか。それより、もっと音楽や絵を描く事に時間を使いたかったし、学校で観劇やバレエ、あるいは美術館に出かけた方が良かったような気がする。でも、数学が好きで、数式が美しいと思う人もいっぱいいるのだから、要はチョイスがあることが大切なんだろう。


子どもたちの個性や才能のある場所をしっかり見極めてそこを伸ばしてやれれば、社会のためにも国家のためにも素晴らしい人材が伸びるような気がする。


サマーヒルの子どもたちは、医者や弁護士も含め、有名なアーティストや俳優さんを多く生み出している。子どもたちに決定権を与え、自由をあたえても、学力に響くことはないというエビデンスは統計上、積み重ねられている。


きのくに子どもの村学園のプロジェクトも、英国の聴衆に感銘を与えていた。日本の文科省の厳しいルールの中、ここまで学園を広げ、600人の生徒を持つようになったのは大変なみちのりだったに違いない。



サマーヒルも、きのくに子どもの村学園も、私立学校であるところから、どんな社会階級の人にも門が開かれているわけではない。そして、経営を健康におこない、学校として存続していくには、学費は親からしっかり納めてもらわないわけにはいかないのである。




国が、政府のお金で、貧しい家庭の子供たちにも多様性のある教育の機会を与えられるようにすることができれば、本当に素晴らしい。




そんな感想を持ったのである。



ニイルの哲学は、下の言葉に集約される。


I would rather Summerhill produce a happy street sweeper than a neurotic prime minister.


「私は、サマーヒルに来た子どもたちが、神経症の国家元首になるよりも、幸せな道路清掃人になってくれることを望んでいる」



幸せな子ども。


幸せな子ども時代。



私もかつて、息子に「どんな境遇にいても、道端のタンポポを見て、ああ、春が来たなあと喜び、秋の月をみて、ああ、きれいだなあと幸せに思えるような人間に育ってほしい」と思ったものだ。


幸せな子ども時代を送った人間は、きっとそんな大人になれる。


自分を愛してくれて、自分を信じてくれて、自分の幸せや権利を尊重してくれる大人に囲まれてそだった人間は、きっと自分を好きでいられる。 



ありのままの自分に自信と誇りをもっている人間は、きっと強い心をもつことができるだろう。自分に不安を持っている人は人に優しくする余裕もないはずだ。


自分のことは自分で決める。決めて実行したことには責任を持つ。そして、「自分にはきっとできる」という自信をもって、ひとつひとつの困難に立ち向かうのだ。


それは、子どものころの成功体験が大きくものをいう。


二つの学校の先生はこういった。



子どもたちには大事な権利がある。


それは、自己決定の権利。


そして、失敗をするという権利。



失敗をたくさんして、友人に助けられて、問題解決をする。


そこから学んでいくことの大切さ。 人を信頼し、人と助け合う必要性を教わっていくこと。



それは、家庭の中だけではできない体験である。 親以外の大人が、あたたかく見守る中で育つ子どもは、本当に「幸せな子ども」なのである。 そして、幸せな子どもは、強く、優しい大人に成長するのである。



私はそう信じている。



(サマーヒルのヘンリー・レッドヘッド氏と、きのくに子どもの村学園の堀先生と一緒に)



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