孤独と反感 | ロンドンつれづれ

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気が向いた時に、面白いことがあったらつづっていく、なまけものブログです。
イギリス、スケートに興味のある方、お立ち寄りください。(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)


ここのところ、面白い記事を何本か読んだ。



まずは、香山リカさんの、「反知性主義」に関するシリーズである。



これは、本を読まない、あるいは読むことを拒否する人たちが、ネット上でわけのわからないインネンをつけては人のかいた記事やブログを「荒らす」ことについて書かれたもので、最新の記事は「おバカの時代がやってきた」という怖い内容である。


物を知らないことを売りにした芸能人が「おもしろい」ともてはやされる。ブログなどにつけられたインネンに他の本や学者の引用をいれて丁寧に回答しようとすると、「で?」「だから?」「逃げようとしてますね」などという話にならない論法で言い返してくる人たちや状況に、彼女もほとほと疲れたのであろう。


最近の傾向として、出版業界もテレビも、「わかりやすく」「簡単に」という情報発信ばかりにエネルギーをつかうあまりに、受け手の知性がどんどん下がってしまった、ということだろうか。


人のことは言えないが、最近は大手の新聞の記事を読んでいても、一人で書いてチェックする人のいないまま発表してしまう個人のブログのような誤字、誤変換が目立つようになってきている。 一応それで食べているプロの書いたものだというのに、ちょっとショックをうけるぐらいだ。


それにしても、すぐに「よくわからない」とか「むずかしすぎる」とか、口にする大人が増えすぎているような気がする。 わからなければ自分で調べれば良さそうなものを、「知らない」「わからない」ということが恥ずかしいという社会規範がなくなってきているのかもしれない。


それは、一面良いことではあるが、別の面をみれば、正しい情報を手にして正しく判断し、行動をしようという責任を持たない大人が増え続けていることかもしれない。「わからないから教えてほしい」という態度ではなく、「オレのわからないことを言うな!」という態度なのである。



そういう人たちはちょっとした情報にやたらに感情的に反応し、匿名の仮面をかぶったまま口汚くネット上で攻撃をする。近隣諸国との外交問題などをうっかり書こうものなら、「非国民ですか」だの、「あっちがわの人間か」などと拡散される、と香山さんは書く。 冷静に説明しようとしても、まったく聞く耳はもたないそうである。 正しい情報を得よう、他の学者の論説を知って判断しよう、という知的作業をするつもりは、おそらくはまったくないのであろう。自分と違う考えの人を一方的に攻撃することだけが目的なのであろう。


それでも、そういう人たちに誠実に答えようとしている論壇の人たちは、エライ。 私などは、バカらしくてそういうヤカラを相手にしている時間もエネルギーも使う気は無いからだ。 論壇の人たちはそれが仕事でそれで食べているけれども、私にはそういう人たちの相手をしてやる義理はまったくないのである。



なにも国際問題を論じなくたって、少し有名になったり、人の注目を集める人たちも、何かを発信するとあっという間に攻撃の対象になる。


私のブログはフィギュアスケートファンが大勢遊びに来てくれるから、それを例に挙げると、たとえば安藤美姫ちゃんである。


子どもをひとりで産もうと、育てようと、あるいは子持ちでハビエル・フェルナンデス選手とつきあおうと、その幸せそうな写真をインスタグラムに載せようと、よけいなお世話じゃないか。 いちいち、それを攻撃の対象にする人たちがいるのは、なぜであろうか。


彼女の記事が新聞に上がると、そこについているコメントの多くは、彼女を批判したものである。 自己顕示欲が強いだの、母親として失格だの、まるで彼女を長年知り尽くして、迷惑をかけられた人のようなコメントがたくさんついているが、その人たちの99%は、彼女を実際には知りもしない人たちだろう。 そして、彼女の決断や行動から迷惑をこうむった経験など無い人たちに違いない。


自分だったらそうしない、ということは即ち相手を公然と批判してよい理由にはならないだろう。 人はそれぞれの考えや生き方を選択する自由があって、他人に大きな迷惑をかけない限り、それは保証されるべきなのである。


ハビエル君が美姫ちゃんを魅力的な女性だと思って、子持ちだろうが年上だろうが付き合おうと決めたのなら、どれほど悔しくたって、外野が文句をいう必要はないのである。 みっともないだけである。


およそ、多くの悪口は、嫉妬心からでている。


悪口をいっぱい言われる人は、それだけ人から嫉妬されていると思えばよい。 




そういえば、こんな記事も面白かった。


スマップの中居正広君が、「結婚しない願望」をテレビでしきりに話すのだそうである。 最近では、結婚に興味ないどころか、「一緒に暮したくない。もし暮しても、放っておいてほしい。話しかけないでほしい」などと発言している番組も見た。


この記事では、これは頭の良い彼の戦略で、40歳をすぎたアイドルとして生き残るためには、「高齢アイドル」としての新たなロールモデルとして、自らの「男性性」を消し去ろうとしているのではないか、マツコ・デラックスや、坂上忍や有吉弘行といった流行のタレントたちのように・・・という分析をしている。


この記事の著者は言う。「これらはいずれも、普通の恋愛や幸せな家庭に背を向けた、孤独な私生活のにおいがする人物ばかりだ。 みんなが孤独なこの時代、ほんとうの孤独を抱えた者だけが、大衆の嫉妬や反感を買うことなく、その存在を肯定され、その言葉を受け入れられる。ひょっとしたら、中居はそのあたりの時代の空気感も察知して、「結婚に向いていない中年」という「孤独」を演じているのかもしれない。」



これは、鋭い分析と言えるかもしれない。



ネット上での安易な攻撃や、タレントのブログでの「炎上」、わずかに口を滑らせただけで、批判のあらしと、「あやまれ」の合唱。



それらは本来、ネット社会到来の前から人々の心の中にあって、表に放出されなかっただけのものが、今は自宅のPCの前、あるいは携帯という端末からインターネットという回路を伝わって、簡単に多くの人に共有されるようになった「孤独者のもつ悪意」なのかもしれない。


しかし、幸せそうに見える人たちだって、本当は孤独を抱えているかもしれない。夫婦でいたって孤独を感じることはあるし、夫婦だって相手の孤独を尊重する事だって必要なのだ。 自分の孤独や不満を人のせいのようにして、幸せそうにしている人を攻撃している連中は甘ったれているといえるだろう。

ここで間違ってはいけないのは、声をあげて人を攻撃し、大騒ぎしている「荒らし」や「絡み」の人たちが人口のマジョリティ(大多数)かというと、そうではない、ということである。


わざわざ人のブログや、新聞などの記事にインネンをつける人たちは、実はそれを読んでいる人たちの中の、ほんの少数派に過ぎないのである。




実は、読者のほとんどである、「サイレント・マジョリティ(沈黙している大多数)」というのを忘れてはいけない。


香山さんの記事にも、ツイッターにも、インネンをつけてくる人たちはいる。 そして、彼女はそれを不愉快に思いつつも、「こんなに無知な人たちがいるから啓蒙してやろう」とおもってエネルギーをつかって、一生懸命に回答しているのかもしれない。


しかしおそらくは彼女の記事やツイッターの読者のほとんどは、常識があって、自分で判断する知力もあって、書かれてあることにほぼ同意しているので、なんの反応もしてはいないのである。あるいは、反対意見だったとしても、敢えて書き込むことをせずに、「ああ、彼女は違う意見なんだな」と思ってスルーをしているのである。



安藤美姫ちゃんの記事や、ツイッター、あるいはインスタグラムに不愉快なことを書き込む人たちがいるにしても、それはマジョリティー(大多数)ではないのである。


実は、ほほえましく思っていたり、がんばって、と思っていたり、応援している人達のほうがずーっと多いのであるが、そういう人たちは静かに読んでいるだけなのである。 サイレント・マジョリティ。 静かな、大多数。




しかし、だからといって、ソーシャル・メディアを甘く見てはいけない。


なぜなら、そのウルサイ少数派(ノイジー・マイノリティとでも呼ぼうか)は、声が大きいだけに悪目立ちし、人々に、「みんなこう思っているのか」という勘違いをおこさせてしまうのである。 特に、本や新聞をちゃんと読まない若い世代に。


そして、メディアという報道のプロまでが、ネットについている過激で偏ったコメントに右往左往しているような状況である。中国の政府など、ウェイボーでのやりとりにだいぶ神経質になっているというではないか。



こうなると、サイレント・マジョリティも、だまっていないで、たまにはコメントを残して、ノイジー・マイノリティにやり返せばいいのだが、あいつらは理屈の通る人たちではないし、使ったエネルギーは無駄になることが多いので、バカらしいからつい「無視しよう」と思ってしまう。



幸いにも私のブログには、愚かしいコメントを送ってくる人はほとんどいない。 インネンをつけてくる人もほとんどいないのはありがたいことだ。



「ほとんど」と書いたのは、これまで数年で、ほんの2,3件だがあったからだ。


差別的な表現があった場合、これは英国に住む私としては、英国の法律を守るために自分の管理するブログに載せるわけにはいかない。


また、非常にマナーの悪い言葉遣いで書かれたものは、その人の精神状態を疑うので、相手にしないことにしている。


そして、最後に、精神的には通常だが、ただのアブナイ人あるいは、失礼な人、と言う場合は、敢えてそのコメントを載せることもある。


私のブログを読みに来る、他の常識的で、良識的な人たちに「この人は要注意」ということを知らしめるために・・・。



ともあれ、「大衆からの反感を買わないために」と、タレントさんや、有名人は、常に言葉や態度に気をつけなくてはならないとは、かわいそう過ぎる。


自分たちに対する悪口雑言や批判は、いまやコメントやツイッターと言う形で直接、リアルタイムで自分に届いてしまうのである。 


だからこそ、「いつも世間の目を気にしていなくてはならない」というストレスがあるのである。



政治家の言ったりしたりすることなら、直接自分の生活にひびいてくるし、悪い人が首相や大統領だったら、カンボジアや、セルビアや、アフリカの諸国のように、大変なことになるだろう。だから我々には、政治家や政治をしっかり見張る必要がある。なにより、彼らは私たちの税金で食べているのである。私たちにはきちんと仕事をしない政治家に文句をいう資格があろう。


しかし、タレントさんやスポーツの選手がプライベートの部分で何を言おうと、何をしようと、自分に迷惑がかかってくることなど、ほとんどないのだ。よほど社会的に許せないことをし続けているのでない限り、ほうっておけばよいではないか。


その人たちの仕事の質以外のことで、いちいち文句をつけたり大騒ぎしたり批判したりするのは、きっと自分たちが孤独で不幸で、人のことがねたましいからであろう。余計な時間がありすぎるのかもしれない。忙しくしている人にはそんなことしている暇はないからね。 自分がねたましく思う人を批判することで溜飲を下げているのだとしたら、それこそ情けない話ではないか。



少なくとも、人にインネンをつけるのであれば、自分の身元をしっかり明かしてやるべきではないか。 自分は匿名でいながら、しつこく人にインネンをつけつづけるというのは、あまりにも粘着質で卑怯だと思うのである・・・。






(引用ソース)

msn news


asahi shimbun