そうまでしてやりたい理由 | ロンドンつれづれ

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そうまでして、滑りたかった理由ってなんなんだろうな、と考えた。

もちろん、羽生選手である。

今回、精密検査の結果、「脳に異常なし」とお墨付きをもらったからいいようなものの、やっぱり一つ間違えば危ない衝突事故である。

もちろん、本当のところは本人に聞いてみなければわからないけれど、キスクラで体を心配するコーチを聞き流して、本人はファイナルに行けるかどうかを心配していたようである。

このアスリート魂、といえばそれまでだが、それだけだっただろうか。

おそらく、フィンランディアを棄権したことで、日本のテレビ局やファンの人に申し訳ないという思いがあったんじゃないか。あれだけファンが、「休みをとってくれて嬉しい。健康が第一、しっかり休んで。グランプリシリーズをすっとばしてもいいくらい」というメッセージを送ったというのに、彼はそれでも体調不良のなか、中国に行ったのである。

もちろん憶測に過ぎないから、「お前になにがわかる」という意見が噴出することを承知でいうが、これだけ国民の(被災地だけじゃないですよ)期待をしょってしまうと、もう「体調がわるいから出場できません」とは言えないという立場になってしまったのではないか。

そうだとしたら、実に気の毒なことである。

彼にとって、スケートは楽しみではなく、「仕事」になってしまったということになるからだ。

腰や足首に故障を抱えて練習不足の状態で臨んだSP. 結果は本人には納得のいかないものだっただろう。だから、「こんなんで2位なんて。かなり悔しいです」という発言になった。

おそらく、フリーで絶対挽回!と気合を入れていたのだろう。

最初の6分練習で、リンクに飛び出していく勢いがいつもにもましていたような気がする。「お、気合入ってるな!」という。

体調不良に加えて、焦りもあったのかもしれない。 国民に約束した、「オリンピックチャンピオンらしい結果をちゃんとみせなくては」という気負いもあっただろう。 いろいろな理由で、羽生選手が勝ち続けることを期待している人たちがいることも、自覚しているだろう。

そのすべてが、心のゆとりを無くしていたのかもしれない。

だとしたら、私達見る方にも少し責任があるのではないか。日本には他にも優秀なスケーターはいるというのに、彼だけに興味も注目も、集中していすぎたのではないか。 そこから生じる責任の意識から選手本人が逃れられないほどに。


事故をスローモーションで見てみると、羽生選手は衝突の直前、迫ってくるハン・ヤン選手を認めると同時に、とっさにエッジを返してストップする動作に入っている。そして、実際、スピードはほとんど落としていたはずだ。 これは、経験と技術がなくてはできない。

一方ハン・ヤン選手の方は、あっ!という顔をして、そのままスピードを落とせずに、直進してきている。ほんの1秒足らずのことだから、通常は何もできないまま激突だろうから、彼の反応は当たり前だ。あのスピードで衝突が起きた場合、とっさに判断ができないのだ。

体重の違いもあるが、スピードをほとんど殺した羽生選手が、そのままのスピードで衝突に入ってきたハン・ヤン選手に弾き飛ばされたのは無理もない。 しかし、羽生選手がスピードを落とさないで激突が起きたとしたら、衝撃はもっと大きかったはずだ。ハン・ヤン選手の顎の傷も、縫ったぐらいではすまなかっただろうし、羽生選手の肋骨が折れたかもしれない。

どっちにせよ、羽生選手のとっさの急ブレーキ(そしてそれができる技術)により、最悪の事態はさけられたように見える。

そうはいっても、悔しかっただろう。 「あ~、やっちゃったな…。 これで演技ができなくなるなんて…」とお腹を打って痛みをこらえている間も、きっと自分を責めただろう。「こんなことで頑張ってきたことを台無しにするなんて…」と。

B・ユーロのアイスダンサー、マークは、今までかけてきた時間、練習、コスチューム、コーチ、すべてを考えても、滑れるんだったら滑ればいい、と言っていた。それは、スケーターのほとんどが同じ状況で考えるんだろう。

だから、医者から「脳しんとうは起こしていない」と言われた選手が、「死んでも滑りたい」といった気持ちは、同じスケーターだったらわかるんだろう。

ファンのためというのもあったかもしれない。日本のテレビ局も入ってるし、僕が滑らなては…という責任感もあっただろう

でも、それだけじゃなくて、やっぱり自分が滑りたい、競技にでて、戦いたい、そしてできるものならファイナルまで頑張りたい!というアスリートとしての本能的な気持ちもあったんじゃないだろうか。


前記事にも書いたが、衝突事故は結構おこるものだし、普通のリンクの普通の人たちにだって、起こるのだ。

だから、事故は選手たちのせいではない。 もし練習状況を改善できるのであれば、それはぜひするべきだけれども。なにしろ、今の選手たちを20年前のリンクにつれていけば、当時のスケーターたちのやっていることなんて、スローモーションみたいなものに見えるんだろうから。 やはり、状況の変化にあわせて、ちゃんと規則も変えていくべきだ。

今回のことで様々な問題点が浮き彫りになって、それで改善されるのであれば、羽生選手とハン・ヤン選手には痛い思いをしてかわいそうだったけれど、ISUにも、日本のスケート連盟にも、検討してもらいたいものだ。 まずは、選手たちの滑りやすいように。そして、選手たちを大切にするルール変更や、規制、規約の見直し。

一緒に滑っていた他の選手にも、もちろんかわいそうだったけれど、事故は当事者選手たちのせいではない。こういうことは何年かにいっぺんは起きるのだ。だから、起きないようにするにはどうしたらよいかを考えさえすればいいのだ。ほとんどのミスは、個人の責任というよりは、システムの不備ということが問題なのだから。

そして、他の選手たちは、こういう不慮のことがあっても動じないだけの精神的強さを身に付けておくべきなのである。 事故は自分たちに起こったわけではないんだから。 

そして医師がしっかり診察して「出場可能」といったそうであるから、出場に関しても、選手たちが謝ったりする必要はないのである。コーチが責任を問われる必要もないのだ。だって、羽生選手にしても、ハン・ヤン選手にしても、医師の判断だったのだから。

そうはいっても、現場にいたのなら、首に縄をつけてもやめさせたいと思ったファンは世界中に星の数ほどいただろうが…。 私だって、「いくら医者がいいといっても、いけません!!」と言っただろう。 最終的には、人の言葉よりも自分の体に責任を持つのは自分だからだ。そして、だからこそオーサーも最後まで繰り返し、「自分の体のことは自分しかわからないんだぞ」と何度も羽生選手に確認したのだ。そして、「それでも出て行くからには、しっかりやってこい」と。


まあ、ともあれ、そうまでして演技した中国杯のフリーは、実はジャンプとジャンプの間のエレメンツやトランジションの部分の質は、かなり高いのである。 あの心理状況、あの負傷の中で。その点は、さすがといえよう。

だから、B・ユーロの解説者たちは、得点が出る前からハイスコアを予測していた。そもそも簡単そうに見えるストロークやターン、ステップ一つにしても、かなり難しいことを盛り込んである。基礎的なスケーティングスキル、表現力、音楽の解釈などの部分で、しっかり点数が積み重なることを知っていたからだ。

そうはいっても、スコアは、羽生選手の通常のものからは、ほぼ30点は低かった。

あれが満足の行くコンディションで滑りこなしたとしたら。200点を超えるプログラムになるかもしれない。


そうまでして行きたかったファイナル。 
いかせてやりたいなあ。

でも、体の調子が戻らないうちにNHK杯にでてしまったら、それも心配だしなあ。

ああ、ジレンマ、ジレンマ。


本人が、滑りたくてしょうがない、スケートが楽しくてしょうがない、少しでも上の技術、新しいジャンプを見せたくてしょうがない、という少年らしい気持ちで滑ってくれているのなら。ちょっとぐらい体調が悪くたって、試合に行ったらいい。


事実私も昨夜の練習で、不調だったスリージャンプやサルコウがぴょんぴょん飛べて、そしてスピンも回れるようになってきて、うわずって喜んでいるのだ。それを話したら、友人からは「そのくだりを読んで爆笑しました」という返事がきたが。 

爆笑していられるのはいまのうちである。そのうち、羽生選手ばりの感動的なプログラムを仕立てあげて、皆さんにご披露、目から感動の涙を誘い出してみせよう。 ああ、スケートって本当に楽しい。


とにかく、防いで欲しいのは、ひとりのアスリートが、マスコミに小突き回されて、メディアにばかり露出し、半狂乱のファンたちにもみくちゃにされて、肝心のスケートが楽しくない、という状況に陥ってしまうことである。

義理や責任感で、スケートや競技人生を続けてほしくないのである。


いつまでも、スケート大好き少年の結弦くんでいてほしいのである。