保護施設のナイチンゲールたち。 | アバターもえくぼ

アバターもえくぼ

6畳×6畳に60匹の猫がいた
壮絶な多頭飼育崩壊現場から
引き出した負傷猫
「アバター」
通称「アバちゃん」と
楽しく明るく
ほがらかな生活を書いています。

平成から令和に変わり

こんな風に「令和」の文字が

掲げられましたが

 

私がもしも

官房長官なら

一番に掲げたい言葉は

この言葉です。

 

 

 

 

 

 

「湿潤療法」

 

これはアバちゃんをレスキューしてくれた

ツキネコ北海道のスタッフさんが

あみだしてくれた

ケア方法です。

 

 

 

 

 

 

 

 

『自分の傷を自分の体液で治し

乾かさないよう

テープで止めて

雑菌が繁殖しないようにする』

 

 

この湿潤療法は

アバちゃんの傷にはとても効いたのか

 

 

ここまで壮絶な傷を負いながらも

 

感染症も併発することなく

命が助かったと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

ツキネコはあくまで保護団体。

 

この子達に使うテープや包帯も

あたりまえに購入すると

高くつくので

 

なるべく自分たちで工夫をして

ケアをしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

当初、アバちゃんからは

よくツユがでていましたが

 

 

「あーツユがでてるな」と思った瞬間に

どこからともなく

風のようにスタッフさんが

やってきて

 

 

 

 

 

さささとツユを

拭いてくれました。

 

 

手早くツユを拭く

これぞ「ツユとり名人」という

技を垣間見た瞬間でした。

 

 

 

あの頃の保護部屋は

さながら

野戦病院のようでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

若いスタッフさん達も

保護部屋に来ては

手早く包帯を替えてました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんな時、ただぼーっと

立ち尽くしてた私は

 

「なんも出来なくてすいません」と

 

 

生まれて来てすいません。

の太宰治状態でしたが

 

 

 

でも、太宰は太宰なりに

心の中でこう思っていました。

 

 

 

「傷が治るのはまだまだ先かもしれない。

 

譲渡なんて今は

まだ夢の夢かもしれない。

 

それでも、猫達にはこうやって

沢山の愛情がかけられている。

 

それに応えて

猫達は精いっぱい生きている

それだけは伝えていきたい」 と。

 

保護部屋のブログを

書き始めたのもこの頃からです。

 

 

この子達にとって

「今日より明日、明日よりあさってが

よりよい日でありますように」と

毎日願っていたことを思いだします。

 

 

私以上に「この子達に生きてほしい

快適に過ごしてほしい」と

思っていたスタッフさんたち。

 

 

試行錯誤は続き

 

カラーが邪魔して

ごはんが食べずらい子を

見たらすぐに

 

 

 

 

 

スタッフのエミさんが

すぐさま手作りで

外れないカラー

 

「ハズレナーイ」を作ってくれました。

 

 

これはサイズが

短いのやら長いのがあり

 

 

病状によってそれを使い分けます。

天才ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまに、

「ハズレナーイ」

ひっかかってた

ドジなアバちゃん。

 

 

 

 


 

 

 

プラスチックだと

どうしても首に当たる時

痛いだろうと

 

布の襟つきのカラーを作ったくれたのは

支援者のヒロコさん。

 

私はこれを

いまも「命のカラー」と呼んでいます。

 

 

 

 


 

 

沢山の人達によって

頭部はともかく

アバちゃんは、ふつーの甘えん坊の

男の子になりました。

 

 

 

                          「どこがふつーだ」という苦情は
                          受け付けません。笑

 

 

 

 

あの時、スタッフさんたちには

仕事以上の

愛がありました。

 

 

猫達の表情も

ぐんぐん変わっていったあの頃。

 

 

「手当」とは患部にふれるだけでなく

そこに愛があって

はじめて真の手当てと呼べるんだなと

そう思った1年半でした。

 

 

保護施設のナイチンゲールたち。

 

 

私はツキネコのスタッフさんたちを

そう呼びたいです。