【作品#0923】告発の行方(1988) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

 

告発の行方(原題:The Accused)

 

【概要】

 

1988年のアメリカ映画

上映時間は111分

 

【あらすじ】

 

酒場でサラは複数の男たちにレイプされた後、逃走して病院で治療を受ける。事件当時彼女がマリファナと飲酒をしていたことを知った地方検事のキャサリンは不利な裁判になると予測して弁護士側と司法取引をしたが、それを知らされていなかったサラはこの事件がレイプとして扱われなかったことに憤慨する。

 

【スタッフ】

 

監督はジョナサン・カプラン

音楽はブラッド・フィーデル

撮影はラルフ・ボード

 

【キャスト】

 

ジョディ・フォスター(サラ・トバイアス)

ケリー・マクギリス(キャサリン・マーフィ)

バーニー・コールソン(ケン・ジョイス)

レオ・ロッシ(クリフ)

 

【感想】

 

アカデミー賞では作品賞にノミネートなしでジョディ・フォスターが主演女優賞を受賞し、これと同じ例は「ふたりの女(1962)」のソフィア・ローレンまで遡ることになる。また、本作で共演したジョディ・フォスターとケリー・マクギリスは当時恋人関係であったことも話題になった。また、当初はレイプ被害の経験のあったケリー・マクギリスにサラ役はオファーされたがそれを断りキャサリン役を演じることになった。

 

結局は心証なんだな。実際どうだったかではなくどう思われるか。これはレイプだけでなく殺人事件なんかでもそう。近年では「落下の解剖学(2023)」でも扱われたテーマだ。証拠がなければその人自身がどうかという話になる。サラはマリファナを吸って酒を飲んで肌の露出の多い服を着てダンスをしていた。そうでなければここまで裁判も長引くことはなかったのだろうな。

 

でも、酒場に行けば酒も飲むだろう。夏場になれば肌の露出の多い服を着るだろう。お気に入りの音楽が流れたら踊るだろう。どうやらこれらはレイプされてもしょうがないとされる条件らしい。本作が製作された1988年と時代はどこまで変わったのかは分からないが、上述のように証拠がなければその人自身が見られることになる。多分時代はそこまで変わっていない気もする。

 

小さいころ、学校や家庭で「人を見た目で判断してはいけません」なんて言われたことは誰しもあることだろう。そんなことはきれいごとでしかなく、見た目で判断されることなんて山ほどあることは年と共に皆が学んできたことだろう。「なんか悪そう」とか「チャラそう」とか「馬鹿っぽい」とか人が心の中で思うのは自由だ(もちろん口に出せばトラブルの元だが)。で、特にアメリカのような陪審員制度の国ではまさに何を考えているか分からない人に裁かれるのだ。だから裁判で心証が大事というのはそういうことだ。

 

そんな本作でレイプされたサラの味方をすることになるのは同じ女性の検事キャサリンである(しかも演じた二人はプライベートで恋人同士)。そして、レイプするのも一部始終を目撃しながら一時は証言拒否をするのもキャサリンの裁判を無駄と言うのもすべて男性である。構図としては非常にわかりやすい。

 

また、最終的には戦うキャサリンもずっとサラの味方というわけではなく、自分とは異なる世界に生きるサラを理解できず、サラが言わなかった事実により不利になることもありキャサリンも苦悩する。一方でありのままの自分を理解されないサラも苦悩する。そんな自分を変えようと髪を切ったり、星占いでキャサリンに感謝を伝えようとしたりしていくほんの少しの成長や変化をジョディ・フォスターがうまく表現していた。

 

結局はケン・ジョイスという目撃者がいなければ最後の裁判には勝てなかった。彼はサラをレイプした男の連れであり、勇気を振り絞って店から飛び出して警察に連絡した男だ。この男がいなければ、あるいはこの男が証言しなければ、サラは裁判に敗れ後味の悪い結末が待っていたことだろう。

 

みんな怖いのだ。訴えを起こすことで仮に加害者が刑務所行きになったとしても何年かしたら出所する。被害者、裁判で証言した人、検事ら皆が「もしかしたら復讐されるかも」と思うだろう。それでも勇気を出して戦いましょうって話なのは分かる。でもそれで加害者が刑を終えて出所してきて復讐されましたでは割に合わない。レイプするような奴らが本作みたいな映画なんて見ないだろうし仮に見たとして考えを改めるとも思えない。だから本作の価値がないとはもちろん思っていないが、その先に希望が見えないとなぁ。

 

そうなると、結局のところ、レイプされないように女性側も気を付けましょうって話になってしまう。そうなれば、女性は酒を飲めないのか。女性は肌の露出の多い服を着ることができないのか。お気に入りの曲が流れたら踊ることはできないのか。非常に窮屈な社会になってしまう。

 

そして、エンドクレジットに入る前にアメリカでのレイプ発生件数などの情報が記される。レイプなんて起こってほしくないが残念ながら起こってしまう。どうやって防ぐかは常に考えられているがなかなか答えが見つからない。となれば、上述のようにされない努力をするしかないのかと思ってしまう。本作はこういう現実があることを知らしめる啓蒙の側面が強い映画だと思うが、あくまでそれ止まり。できればそれ以上のところまで踏み込んでほしかった。

 

また、本作を見て思い浮かぶのは「プロミシング・ヤング・ウーマン(2020)」である。この映画ではレイプされる場面の音声こそ流れるが映像は流れないという演出であった。これはレイプされるシーン自体を見せないことでレイプ被害に遭った人への配慮と言う意味合いもあった。その点、本作はレイプシーンをかなり詳細に見せている。これでも控えめだと思うが、やはり見ていて辛い。レイプシーンの見せ方も時代と共に変わっていく。

 

 

 

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