【作品#0802】落下の解剖学(2023) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

落下の解剖学(原題:Anatomie d'une chute/英題:Anatomy of a Fall)

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。

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【概要】

2023年のフランス映画
上映時間は151分

【あらすじ】

人里離れた山荘に暮らすサミュエルが転落死し、妻のサンドラが殺人容疑で逮捕される。1年後裁判になると、彼らの一人息子で視覚障害を抱える11歳のダニエルが証言台に立つことになる。

【スタッフ】

監督/脚本はジュスティーヌ・トリエ
撮影はシモン・ボーフィス

【キャスト】

ザンドラ・ヒュラー(サンドラ)
スワン・アルロー(ヴァンサン)
ミロ・マシャド・グラネール(ダニエル)

【感想】

ジュスティーヌ・トリエ監督は「愛欲のセラピー(2019)」でタッグを組んだザンドラ・ヒュラーの起用を想定して脚本を執筆した本作は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞するなど多くの映画祭で評価を集めている。

途中からは法廷ものの様相を呈していく。日本やアメリカの法廷ものの映画を観慣れている身としては、フランス映画の法廷ものは新鮮に映った。

結局真相は藪の中。サンドラを演じたザンドラ・ヒュラーもダニエルを演じたミロ・マシャド・グラネールもサンドラが有罪か無罪であるかを監督に何度も聞いたそうだが監督はどちらとも答えなかったそうだ。

何が事実であるかは重要なことであるに違いはないが、証拠がなければ状況で判断せざるを得なくなる。そんな状況がどんなものであったかを確認する場が裁判でなる。残された血痕から他殺であるかどうかの検証は裁判の割と序盤で終わってしまったので、それ以上の検証はできないという判断だったのだろう。また、もしサンドラが成り行きでサミュエルを殺してしまったのだとしたらなぜ死体を隠さなかったのか。また凶器がなぜ発見されないのか(いくらでも隠せると言っていたが凶器を捜索する描写や捜索したが出てこなかったという場面すらない)。

行く先は他殺か自殺である。他殺となればサンドラが被告になってしまう。サンドラが頑張って他殺である理由を消していけばいくほど夫のサミュエルを自殺に追い込んだかもしれないと認めなければならなくなる。

映画の中で夫婦関係を「事実」として示しているのは、夫が録音していた夫婦喧嘩である。あとはすべて主観による話のみであるため、裁判に参加するありとあらゆる人が彼らの客観的事実をこの音源でしか知り得ない。裁判中に録音していた夫婦喧嘩の音源が流れ始めると、次第にその当時の様子が映像とともに映画内では表示される演出がなされており、フラッシュバックの役割も担っている。この場面に至るまでに作り上げられた夫婦像とどれくらいのギャップがあっただろうか。それは観客個々によって異なることだろう。

サミュエルは自分が決めたフランス行きにドイツ人の妻サンドラを付き合わせ、作家として成功することなく教師の仕事を続け、息子のダニエルを自分が迎えに行かなかったことでダニエルは事故に遭い視覚障害を負ってしまった。一方で妻のサンドラはサミュエルの捨てたアイデアをもとに書き上げた小説で成功し、欲求不満を満たすために同性の相手と関係を持っていたわけである。そして、サミュエルは精神科医にかかっていた。身勝手な妻のペースに合わせるがために執筆活動も民宿にする改装工事も捗っていない。ただ、家にいる時間が妻よりも長いために息子のダニエルとの絆が芽生えたとも語っている。このようなことが夫婦喧嘩の音源から理解できる。もちろんこれだけではないし、これが正しいとも限らない。

この夫婦喧嘩を聞くに、お互いが自分のことばかり考えていて、相手に何かをしようとか、自分が変わろうとかそういった話は一切出てこない。それでも喧嘩の序盤にサンドラがサミュエルに「I love you」と言っているのは幾重にも解釈できる。「私はあなたのことを愛しているからこんなに言ってあげているのよ」とも取れるし、「あなたは私に言わないけど私はちゃんと愛を伝えているわ」とも取れる。

夫婦喧嘩の音源の中で「いつも自分のペース」。サンドラは裁判の途中から母語ではないフランス語で話すのが困難になり、英語で話してもいいか確認して許可を得たうえで英語で話し続けている。

ドイツ生まれだからドイツ語を話したいけど、夫との共通言語であった英語は世界共通言語だからフランスでも通じる。フランス語は話せなくはないが得意ではないため時折言葉が出てこないので英語で話せるのなら英語で話したい。本音(ドイツ語)では話せないけど、取り繕うことはできる(英語は話せる)という感じが絶妙に感じる。

結婚もしていない自分が夫婦関係について語るのは差し出がましいが、色んな夫婦がいることは間違いないだろう。たまに喧嘩もする夫婦だっているだろうし、全く喧嘩をしない夫婦だっているだろう。喧嘩をしてもすぐに仲直りする夫婦もいれば、しばらく冷却期間をおく夫婦もいるだろう。激しい喧嘩をする夫婦もいれば、理性的な喧嘩をする夫婦もいるだろう。そして、このサンドラとサミュエルがどんな夫婦か分からぬまま、この喧嘩の音源だけを聞いて「こんな夫婦だ」と断言することはできない。

サンドラは息子を迎えに行かなかった夫を憎んだのは数日だったと語っている。弁護士から厳しい追及を受ける。数日しか憎まないのはおかしいと言いたげである。他人の物差しが正しいのか。弁護士の物差しが正しいのか。

たとえ支え合うことを約束した夫婦だって公平になることなんてない。それでも息子のダニエルは公平に考えられる人間に成長していると感じる。それは母のサンドラが視覚障碍者の子供として育てなかったからだと思う。ピアノも演奏するし、SNSだって閲覧する。ダニエルは辛い思いをするであろう裁判への参加を遠慮するように言われるが、自らの意思で参加することを決意する。今までは自分の知る両親しか当然知りえなかったが、全く知らなかった両親(父親は自殺未遂をしており、母親はバイセクシャルで不倫していた)を裁判を通じて知ることができた。

最初にダニエルが証言通りに当日の様子を再現しようとするとうまくいかず、触ったテープの場所を勘違いしていたとして最初の証言内容を翻すことになる。本当に勘違いだったのか、それとも母親を庇うためについた嘘だったのかも分からない。

そんなダニエルが愛犬を病院に連れて行く車中で父のサミュエルが話してくれたことを裁判の証言台で話すことになる。ダニエルが話し始めると、フラッシュバックで当時の様子になり、ダニエルの証言する声と回想シーンのサミュエルの口の動きと全く一緒になる。裁判の場面に移行するまでに1年が経過しており、さらにこの愛犬を病院に連れて行くのはその事件の半年以上前なので、少なくとも1年半以上前のことをダニエルは証言していることになる。確かに父親の死というショックを受けて事件当日の記憶が曖昧になることはあるという精神科医の意見が引用される一幕こそあったが、11歳の子供が1年半以上前のことを鮮明に記憶できるだろうか。

ただ、本作で亡くなったサミュエルの様子を映像として見せる場面は2箇所しかなく、1箇所は夫婦喧嘩の様子を録音した音源を再生してからで、もう1箇所は上述の車中の会話シーンである。なので、映像として見せることで信憑性の高い印象を観客に与える演出をしている箇所は信用に値するように思う。また一方で後者の映像の声はサミュエルのではなく証言をしているダニエルである。同じ映像として見せるにしても声は異なるのである。

一緒だけど違う演出が入ることであえて曖昧にしている。回想シーンに父親のサミュエルが出てきたのは同じだが、一方は彼の声でももう一方は息子のダニエルの声であるという異なる点がある。これはサミュエルが飼い犬がいつか死ぬかもしれないから覚悟しておくようにと自分に言った言葉をまるで自殺を考える父親に重ね合わせて解釈したのと同じように都合よく作り上げた空想という可能性もある。これは誰にも分らない。

ダニエルは最初の現場検証で勘違い起こした。それがトラウマになっている可能性もある。自分が裁判で信用されない人間ではないかと恐れたダニエルは、サミュエルが嘔吐して吐き出した物の中から薬を飼い犬が飲み込んでしまって体調不良を起こしたのだと考え当時の状況を再現しようとする。大事にしていた飼い犬の命を犠牲にするかもしれない覚悟でダニエルは検証したのだ。この検証でもって夫の自殺未遂を立証できないにしても、これほどの覚悟ある行為を誰も疑うことはできないだろう。

例えば、「レディ・バード(2017)」でも主人公の女子高生は父親が抗うつ剤を飲んでいることを知らなかった。子供にとって母親や父親は自分の前で見せてくれる姿がすべてだと思うものだ。父親が会社で上司に頭を下げる姿なんて想像がつかないだろう。それでも大人になるにつれて父親がどんな存在かをいずれ知っていくことになるだろう。

あれほど覚束なかったピアノの演奏も1年経過した場面ではうまくなっている。これは1年の経過を示すとともに、それだけピアノの練習をする時間があったことを示している。学校には通っているだろうが、一人で黙々とピアノの練習をしていたのだろう(もしくはそれしかすることがなかった)。

サンドラはこの切り取られた音源だけで判断されたくないと言っている。そして、この今まさに見たこの映画こそ切り取りの塊でできたものである。観客はその切り取られた間に何があったのかはまさに想像するしかない。そして、ダニエルが言うように状況から判断するしかないのだ。

ただ、この夫婦喧嘩やサンドラの言い分を聞くに、サミュエルが作家として成功していないのは彼に原因があるような気もする。頑張ればその分給料がもらえる仕事ではないし、まして妻が同じ仕事で成功している。サンドラはサミュエルが作家として成功していないことに怒っていたのではなく、何かにつけて言い訳して人のせいにするサミュエルが許せなかったはずだ。またサミュエルは成功する妻がマイペースでそれに合わせる生活が苦痛だったのだろう。

このたった10分にも満たない夫婦喧嘩の音源を聞いて、想像を巡らして、自分のことに置き換えて考えてそれを実行に移すことができるなら、まさに本作でダニエルが成長したように観客だってより良い人間に成長できるかもしれない。そして、本作での夫婦喧嘩をあらかじめ映画鑑賞の名のもと体験しておけば先に起こる夫婦喧嘩を防ぐことができるかもしれない。この夫婦喧嘩の激しさは「マリッジ・ストーリー(2019)」も思い出す。

また、夫よりも妻の方が成功しているという物語は、ノア・バームバック監督の「イカとクジラ(2005)」や「天才作家の妻-40年目の真実-(2018)」辺りを思い出す。ちなみにどちらも作家の物語である。特に作家という映画監督ならびに脚本家にも例えることのできる職業を物語の主人公に託すと、どうしても映画監督や脚本家の写し鏡として捉えることになることがある。

夫婦共働きならば給料はどちらが上か下かはお互い分かっていることだろう。別にどっちの稼ぎが多かろうが少なかろうが夫婦間に何の問題もなければそれで良いはずだ。ところが、妻の方が稼いでいることにコンプレックスを持っていたり許せなかったりする男性は一定割合いることだろう。まして夫婦が互いに同じ仕事でしかも稼ぎの差がはっきりと出てしまうものであれば尚更だろう。こんなことでと言うとサミュエルには申し訳ないが、夫婦関係というのは非常に脆いものだ。

また、いくら作業中に音楽をかけるのが当たり前とはいえ、来客中と知りながら爆音を鳴らすサミュエルの心理状態は異常だろう。作家として成功している妻が若い女学生からインタビューを受けている様子なんて聞いていられなかったのだろうとも推察することができる。ちなみに夫が流す音楽は50セントの「R.I.M.P.」のインストである。歌詞は女性蔑視であることで知られる楽曲だが、歌詞付きのものではなくインストであるところもミソである。

それから、サンドラやサミュエルの両親や兄弟といった家族も出てくることはない。これほどの事態になれば彼らの家族が一人や二人くらいでも出てこないのは違和感のあるところだが、好意的に解釈すれば、「夫婦関係は自分たちの手で解決しなさい」とか「家や故郷を離れれば親類だって案外冷たいものだ」と言わんばかりでもある。

裁判に関係しない人の反応は描かれることはほとんどない。テレビのワイドショーでこの裁判とサンドラを馬鹿にするような描写があったがそれくらい。カメラも登場人物に寄る場面が多く、外の世界にまるで興味がないかのようである。結局は自分がどう思って行動するかである。

また、弁護士のヴァンサンとの関係も曖昧に描かれている。ある外の場面でヴァンサンは初めて会った時にサンドラに惚れた話をしている。ヴァンサンがサンドラのもとを訪れた時に「こんな形で再会したくなかった」といった旨の話をしている。ヴァンサンがサンドラに一方的に惚れていただけかもしれないし、男女の関係があったのかもしれない。打ち上げの席にはサンドラとヴァンサンとあと二人いたが、その二人は席を外して、サンドラとヴァンサンが二人きりになる。そして彼らはキスすることはないがハグをする。まるで席を外した二人はこのサンドラとヴァンサンの関係を知っていて敢えて席を外したのかとも思えてくる。サンドラが弁護士のヴァンサンと関係を持ってはいけないわけではないが、もしそれが表沙汰になれば心証は良くないだろうな。

最終的にはサンドラは裁判で勝利を手にするが、本人が後に語るように得られるものなんて何もない。自分にかけられた疑いが晴れただけである。そして、同時に夫のサミュエルが自殺したという事実をサンドラも息子のダニエルも知ることになってしまうわけである。

私は本作を見てサミュエルの自殺だろうという本作の裁判の結果と同じ感想を抱いた。本作を見ただけではサンドラがサミュエルを殺したとも思えないし、ダニエルが感じたことや直感は正しかったように思う。ダニエルに付き添いの女性がダニエルに覚悟を決めることの重要さを説く場面があった。11歳にしてこれほどのことに巻き込まれる人間もいないだろう。そして、11歳にしてこれほどの覚悟を持って裁判に臨むことのできる人間もいないだろう。事件が起こってからの1年間でダニエルはピアノが上達しただけではない。皮肉なことに人間として飛躍的な成長を遂げた。本作を見た観客が未来のダニエルになりえる少年少女を救える可能性があるのと同時に、本作で得た様な成長を与えられるかどうかの不安に苛まされる。




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