【作品#0850】パスト ライブス/再会(2023) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

パスト ライブス/再会(原題:Past Lives)

【Podcast】

Podcastでは、作品の概要、感想などについて話しています。

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【概要】

2023年の韓国/アメリカ合作映画
上映時間は105分

【あらすじ】

中学時代に韓国からカナダに移り住んだノラとそのまま韓国で育ったヘソンは大人になりFacebookを通じて12年ぶりに連絡を取り合うことになる。

【スタッフ】

監督/脚本はセリーン・ソン
音楽はクリストファー・ベア/ダニエル・ローセン
撮影はシャビエル・キーシュナー

【キャスト】

グレタ・リー(ノラ)
ユ・テオ(ヘソン)
ジョン・マガロ(アーサー)

【感想】

セリーン・ソンの監督デビュー作は非常に大きな評価を得て、アカデミー賞では作品賞、脚本賞にノミネートされた。

本作を見て思い出した映画や映画監督はいくつも、そして何人もいることだろう。男女の何気ない語らいといえば、リチャード・リンクレイター監督の「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離(1995)」に始まるいわゆる「ビフォア」シリーズを思い出すし、リチャード・リンクレイター監督は子供が青年に成長していく様子を描くために毎年少しずつ撮影して完成させた「6才のボクが、大人になるまで。(2014)」の監督をしている(12年単位で区切られた二人の男女の物語。中学生時代の12歳、ノラがニューヨークに引っ越し、ヘソンが大学生時代の24歳、ノラが結婚し、恋人と距離を置いているヘソンがノラに会いに来る36歳)。

それから、ニューヨークが舞台ということでウディ・アレン監督の名前も外せないだろう。また、中国から香港に出てきた男女の恋を描いたピーター・チャン監督の「ラブソング(1996)」を思い出した人も多いのではないだろうか。ちなみに、夫婦がともに作家であるという設定や複数言語が出てくる設定は本作と同年の「落下の解剖学(2023)」と同じである。

また、半自伝的な映画で、後述するキャラクターの横移動をカメラがとらえるショットはアルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ(2018)」も思い出す。「ROMA/ローマ(2018)」では、死産によって子供を亡くした主人公が泳げないのに溺れる子供を助けるために画面の右側に向かって行く様子をカメラが捉えていた。

本作ではラストでヘソンを見送ったノラは家に戻るために来た道を戻って右に移動する様子をカメラが捉えていく。また、おそらく空港に向かうタクシーに乗るヘソンも橋を走るタクシーが右に移動する様子をカメラが捉えていく。お互いに先に進んでいく。少年少女時代に車の後部座席から窓の外を眺めるヘソンの左にいたノラはもういない。

本作では画面の左右の使い方を徹底している。画面の右側にノラがいることが多い。中学生時代でも下校時に分かれ道でノラは右側へ、ヘソンは左側へ行く。しかも、ノラは階段で登っていくことになる。ニューヨークで彼らが座る後ろのメリーゴーランドも左から右へ流れている。冒頭と終盤に出てくるバーの場面でもカメラは彼らを正面に捉え、左からヘソン、ノラ、アーサーの順になる。最終的にノラがアーサーの元へ帰ることを考えると非常に理に適った並び方である。そして、少年少女時代にノラがヘソンのもとから去ったのと反転するようにヘソンがノラのもとを去っていく結末。

また、下校時の分かれ道でノラはヘソンよりも上に行く。これは後にノラが一家揃ってカナダへ移住し、作家として成功していることを暗示している。ヘソンは決して成功していないわけではないが、自分でも平々凡々な人間であることは認めている。

ではノラの方が大人なのかと言われたらそうとも言い切れない。大人になれば子供ではなくなるわけではない。人間ある日突然子供から大人になるわけではない。見た目にしても中身にしても徐々に変わっていくものだ。また、変わったと思っていても実はそうでもなかったり、あるきっかけがあると元通りになってしまったりするものだ。ヘソンはずっと韓国にいたから韓国人が不思議に思わない大人になっていたはずだ。なのでヘソンの子供から大人への成長はグラデーションがあるように感じられる。

一方のノラは中学生時代にカナダへ移住し、英語名を取得し、英語が日常言語になり、カナダやアメリカの生活に相応しい大人になったはずだ。少なくともずっと韓国で生活していたヘソンよりも豊かな人生経験が積めているはずだ。ずっと会いたいと思っていたヘソン。ヘソンのことなんか思い出す余裕のなかったであろうノラ。会いたいと思っていた時間の長かったヘソンの方がノラへの思いは強かっただろう。

お互いが24歳の頃。Facebookを通じて久しぶりに連絡を取り合う二人。頻繁に連絡を取り合う仲になるが、韓国とアメリカという地理的な距離感はそう簡単に埋めることはできない。お互いが「いつ会いに来てくれるの」と牽制し、相手がアクションを起こしてくれるのを待つ二人。若さゆえの勢いもあるだろうが、24歳という少し社会を知って地固めをしたくなる年齢なのだろうか。

そしてお互いが36歳の現在。ノラはアーサーと結婚している。そこへヘソンが会いに来ると言う。12歳の頃のおそらく初デートの相手。そして24歳の頃にFacebookで盛り上がったがお互いが会いに行くとまで言えない熱量で、時差に苦しみながらただ連絡を取り合うことの空しさから距離を置いた。そんな相手がついに会いに来る。自分はカナダからアメリカでの生活の方が長いし、アーサーとも結婚している。そんな中でヘソンと会ったら自分はどう感じるだろうか。あの時の気持ちを思い出すのが怖かったんじゃないだろうか。ノラはヘソンにあの時のノラが好きだったんだと言っているが、これも自分の気持ちを誤魔化すための言葉だったように思える。

ようやく12歳の時以来の再会を果たした二人。ヘソンが会いに来たのに待ち合わせた場所でお互いの姿を確認した二人だが、歩を進めるのはノラであり、ヘソンは立ち止まったままである。

再会した二人は饒舌に積もり積もった話をするわけではない。ノラはヘソンがあまりにも口数が少ないことに面食らったんじゃないだろうか。ヘソンが会いに来た目的はタクシーに乗る前に言った「あの時会いに行っていればどうなった?」に対する答えを聞きたかっただけなんじゃないだろうか。今の生活がどうとか、アーサーとの馴れ初めとかそんなことを聞きに来たわけではない。

「もし~」をいくつも投げかけるヘソンにノラが答える「分からない」がヘソンの求めていた答えだろう。映画の冒頭に立ち返ると、バーで横に並んだ3人を正面から見つめるアメリカ人がこの3人の関係性を想像している。「分からない」ことこそが本作の答えであり、ヘソンが求めていたものだろう。

ノラはヘソンに会ったくらいで気持ちが揺らぐはずがないと思っていた。すると、アーサーは君たちの物語が羨ましいと言ってくる。アーサーも24年ぶりの再会を果たすノラとヘソンのことを心配している訳ではないだろう。それでもヘソンの滞在最終日に3人で会うことにする。アーサーもヘソンがどんな奴か知りたかっただろうし、心の片隅でノラを取られるんじゃないかという不安もあっただろう。

泣き虫(Cry Baby)だったノラは大人になってから泣いていない。だから泣き虫だったことを夫のアーサーは知らない。そんなノラが泣きながらアーサーの元へ戻り階段を登って家に入る。その階段には柵がある。もうこの柵をヘソンが超えることはないだろう。

また、言葉の使い方も実に巧みである。本作では韓国語と英語が使われている。ノラは移住してきたから英語もネイティブ並みに堪能だが、彼女と英語でコミュニケーションの取れるアーサーは韓国語がノラの英語ほど堪能ではない。これはアーサーがノラのことすべてを知っている訳ではないという意味合いにも取れる(もちろんその逆が完璧化というとそういうわけではないと思うが)。

言葉で取り繕うことなんてできない。ヘソンはノラと彼女の夫アーサーと話している時に自分のことを「精神的に強い」と言っている。男として弱いところは見せられないというようなプライドだと思うが、ヘソンが精神的に強いとはあまり思えない。それでも「強い」と言葉に出さなければ平静を保てなかったかもしれないし、これは自分への言葉だったのかもしれない。

また、同時に言葉なんか理解できなくても理解できることはある。3人で会話するバーの場面では、次第にヘソンとノラが向き合ってアーサーそっちのけで話し込んでしまう場面がある。片言の韓国語しか分からないアーサーにとっては何を話しているか理解できなかっただろうが、彼らの話ぶりや声の調子、表情などから自分の知らない世界で事が進んでいることは理解できただろう。

そして、泣きながら家に帰って来たノラに言葉なんていらない。大昔に始まりながらも停滞していたヘソンとノラの物語がある日突然再開してあっという間に散ってしまった。仮にアーサーにこんな経験がなくても想像して理解できる頭は持っているだろう。

「もしもあの時ああしていれば…」なんていう妄想は誰しも抱いたことがあるだろう。また、それを描いた恋愛映画も数多く製作されてきた。本作で感じる切なさや愛しさも多くの人間の中に生まれる感情なのだと思う。映画史の中でも輝く1本に仕上がったように思う。

ノラを演じたグレタ・リー、ヘソンを演じたユ・テオ、アーサーを演じたジョン・マガロはともに40代前半でほぼ同い年。アーサーの年齢は分からないが、ノラもヘソンも24歳時点と36歳時点を同じグレタ・リー、ユ・テオが演じている。ヘソンを演じたユ・テオのひきつったような自虐的な笑い方が何とも幼く感じられ、特にユ・テオは演じた年齢よりも若く見える(グレタ・リーももちろんそう感じたが)。




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【予告編】