【作品#0815】ライフ・オブ・デビッド・ゲイル(2003) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

ライフ・オブ・デビッド・ゲイル(原題:The Life of David Gale)

【概要】

2003年のアメリカ/イギリス/ドイツ/スペイン合作映画
上映時間は130分

【あらすじ】

死刑廃止を訴える活動をしていたデビッド・ゲイルが元同僚のコンスタンスをレイプした上に殺人した容疑で死刑宣告を受ける。彼は死刑執行の前日までの3日間をジャーナリストのビッツィーに独占取材させることにする。

【スタッフ】

監督はアラン・パーカー
音楽はアレックス・パーカー
撮影はマイケル・セレシン

【キャスト】

ケヴィン・スペイシー(デビッド・ゲイル)
ケイト・ウィンスレット(ビッツィー)
ローラ・リニー(コンスタンス)
ガブリエル・マン(ザック)
マット・クレイヴン(ダスティ)
レオン・リッピー(ベリュー)

【感想】

2020年に亡くなったアラン・パーカー監督にとって最後の監督作品。興行的にも批評的にも失敗し、かの有名な映画評論家ロジャー・イーバートは異例の星0をつけている。

そもそも死刑執行までの3日間で2時間ずつ面会を許可するという設定が疑問である。本作の上映時間は131分である。2時間もあれば本作で描かれた内容についてデビッド・ゲイルはビッツィーに十分に語ることが出来ただろうに。まるで3日×2時間の6時間を計算したかのように話すのも無理がある。ビッツィーの頭があれば1日目に気付かれた可能性だってあったはずだ。

というか序盤のレイプ事件や妻と子供と別居に関するエピソードが後のデビッド・ゲイルの行動にあまり繋がっていると思えない。レイプしていないのにレイプされたとして教職を追われたのは、無罪なのに死刑囚になるという後の彼の姿に重なるところはある。また、妻と愛する子供と別居することになり一念発起するというのも理解はできる。もちろん繋がりがあるのは理解できるのだが、明らかに弱い。そもそも女生徒と体の関係を持たなければ良かったわけで、愛する家族がいるという後の設定をぶち壊しにしている気がするので、もし本作にデビッド・ゲイルの弱い側面を入れるならレイプに関するエピソードか妻子と別居するエピソードのどちらかで良かったように思う。

また、ビッツィーのモーテルの部屋に吊るされてあったビデオテープは断片的な映像であり、後に他の映像も送られてくるだろうという話であった。そして、コンスタンスの死を全容を映したビデオテープをダスティの家から発見したビッツィーはそれを報道に使用する。そして後日、ビッツィーのもとへビデオテープが送られてきて再生してみると、上述のビデオテープの続きが映されており、その現場にデビッド・ゲイルが居たことが映されていたことがわかって映画が終わる。ダスティの家から発見したビデオテープがすべてだとなぜ思ったのか。コンスタンスの被っていたビニール袋に付着していたデビッド・ゲイルの指紋の謎は残ったままであった。さらにこの後に映像の続きがありデビッド・ゲイルが関与していたと考えなかったのはなぜだろうと思ってしまう。また、何か裏がありそうというのは観客も薄々感じていたはずだろうし、なにせ主演したのはケヴィン・スペイシーである。何もなくこのまま終わるはずもないわけで、こうなることは多くの観客が途中で予想していたことだろう。

そしてこのビデオテープには「オフレコ」と書かれている。ビッツィーはオフレコと言われたらそれを表に出すことはないと面談中にデビッド・ゲイルに言っていた。ビッツィーはこのビデオテープの映像を世に出すかどうか相当悩むことになるだろうが、オフレコと言われた手前出せないのではないか。たとえジャーナリストという仕事に就いていたとしても。ただ、この映像を見たビッツィーがどう行動するかまで描かないのも卑怯だと思う。「あとは観客のみなさんが考えてください」となるのは、ビッツィーがどう行動するかまでを描いた後ではないだろうか。

このモーテルの部屋に吊るされていたビデオテープを見たビッツィーはコンスタンスが自らやったことだと思い、自殺なのに偽装殺人にして無実の人間を死刑にする司法を自らの死とデビッド・ゲイルの死をもって変えさせようとしたのだと結論づける。そしてこのビデオテープをビッツィーのモーテルの部屋に仕掛けるような真似をするのはコンスタンスと同じ志を持つ人間だろうということで、コンスタンスと微妙な関係ながら同じ組織に所属していたダスティを当たることにする。デビッド・ゲイルが処刑される前にデビッド・ゲイルの冤罪が証明されてしまったら意味がないとしてビッツィーの必死の行動も虚しくデビッド・ゲイルは処刑されてしまう。デビッド・ゲイルの処刑直前にダスティの映ったビデオテープが発見されて間に合わないという計算である。死刑執行前に知っていたのに間に合わないというのがミソだと思うのでこのタイミングしかないのは理解できるが、やはりデビッド・ゲイルもコンスタンスもダスティもやることが込み入りすぎだわ。

しかも、最も疑問に感じるのはコンスタンスが白血病でなかったらこんなことをしただろうかという部分である。こんな物語にするためにコンスタンスを不治の白血病に罹患している設定にしたのだとしたらそれこそ甘い話だと感じてしまう。結局、コンスタンスを死の近い病人という設定にまでしないとこの物語は作れなかったというわけだ。

また、このコンスタンスが仮に不治の病だとしても、コンスタンスはデビッド・ゲイルまでもが死刑によって死んでしまうということを受け入れただろうか。本作で描かれたコンスタンスというキャラクターを考えるとデビッド・ゲイルが死刑で死ぬことには反対すると思う。このコンスタンスがどう感じたかを全く描かないという部分も本作の良くない点だと思う。特にこのコンスタンスは映画を進めるうえで良いように利用されただけに過ぎないと感じてしまう。

デビッド・ゲイルは死刑制度に反対している団体に所属していた。自身が死刑執行を受けた後に彼の冤罪が発覚したら死刑制度はなくなるだろうか。ハリウッドはリベラルが多いので当然死刑制度に反対する人間も多い。なので本作を始めとして「デッドマン・ウォーキング(1995)」などの死刑制度に反対する、あるいは疑問を投げかける作品が製作されている。死刑制度をなくすために無実の人間が処刑されてしまうというのを計画的にやってしまったのだとしたら、「死刑制度に反対しているがあいつらとは違う」という、同じ考えを持つ人の中での分断が生まれてしまうように思う。しかも、死刑制度廃止を訴えるためにこんなことをする奴らが出てきたとして、そんな例外をいちいち相手にしていられるかと思われたらおしまいだ。さらに死刑制度に賛成している人間の多くは自殺に反対している。死刑制度に反対する人たちを煽っているとしか思えない狂気だ。

死刑制度に反対するにしてももっとやりようはあったと思う。この物語自体が大きな問題であると思うが、この題材を望んで映画化したアラン・パーカー監督の姿勢にも問題があると思う。彼は音声解説で「この映画で死刑制度を変えることはできると思っていないが、死刑制度について考える機会としてほしい」と語っている。この時点で及び腰という印象を受けてしまった。確かに映画一本で死刑制度自体を変えるのは難しいだろう。ただ、死刑制度に本気で反対しているのなら映画を観たより多くの人に響く映画を作ろうという志がなければならないと思う。

【音声解説】


参加者
├アラン・パーカー(監督)

監督のアラン・パーカーによる単独の音声解説。ニコラス・ケイジから脚本を譲り受けた話、キャストの魅力、監督の息子たちとの音楽の仕事、ロケ地で起用した無名の役者たちが与える映画の真実味、ロケとセット、あのビデオ映像の撮影とビッツィーが再現する際の撮影に関する話など饒舌に語ってくれる。アラン・パーカー監督や本作が好きなら聞いてみるべき音声解説。



取り上げた作品の一覧はこちら



【配信関連】

<Amazon Prime Video>

言語
├オリジナル(英語/スペイン語)


【ソフト関連】

<DVD>

言語
├オリジナル(英語/スペイン語)
├日本語吹き替え
音声特典
├アラン・パーカー(監督)による音声解説
映像特典
├テキサスと死刑
├未公開シーン
├メイキング

├音楽ができるまで
├スティル・ギャラリー
├予告編集


<BD>

言語
├オリジナル(英語/スペイン語)
├日本語吹き替え