【作品#0746】DEATH NOTE デスノート the last name(2006) | シネマーグチャンネル

【タイトル】

DEATH NOTE デスノート the last name

【概要】

2006年の日本映画
上映時間は140分

【あらすじ】

ライトの恋人であった詩織が死んだことでライトは父親に頼み込んでLのいる捜査本部に加わることになる。一方で、別の死神レムからデスノートを受け取ったアイドルの弥海砂が「第2のキラ」として世間に知られていくことになる。

【スタッフ】

監督は金子修介
音楽は川井憲次
撮影は高間賢治

【キャスト】

藤原竜也(夜神月)
松山ケンイチ(L/竜崎)
戸田恵梨香(弥海砂)
片瀬那奈(高田清美)
満島ひかり(夜神粧裕)
鹿賀丈史(夜神総一郎)
藤村俊二(ワタリ)
中村獅童(リューク)※声の出演
池畑慎之介(レム)※声の出演

【感想】

2作品同時製作された「DEATH NOTE」の後編は、前編から5ヶ月後に公開され、前編の興行収入28億円を大きく上回る52億円の大ヒットを記録した。

前後編で分けるのなら、やはり前作の結末については「なぜそうなったのか」を提示すべきではないだろうか。主人公が恋人まで殺してしまう部分を理解できた観客は少ないだろう。後編にあたる本作を見ても主人公が恋人を殺してまでデスノートに名前を書き続ける意図は理解できなかった。個人が持て余すほどの力を手に入れたらどうなるかという風にもちろん取ることはできるのだが、その意図があったようにはやはり思えない。となると前編を主人公による恋人殺害で終えたのは後編への興味持続という点にしかなかったことになる。

そして、「第2のキラ」として戸田恵梨香演じる弥海砂が前作の終盤から登場し、本作では準主役くらいの立ち位置となる。このキャラクターの関わらせ方はあまりに唐突で決してスマートとは言えない。また、「第2のキラ」が出てくるのなら際限なく出てくる可能性もあるはずだ。観客には全容がわかるように描かれているのだが、せめて「もうこれ以上、新たな死神やノートは出てきませんよ」という説明があっても良かった。

冒頭に前作の復習と称してデスノートを使う際のルールが説明される。これは久しぶりに映画を見る人向けに悪いことではない。ただ、前作にはなかった追加ルールまでもが説明される。これは戸惑いを生むだけではないか。前作を久しぶりに鑑賞した人の中には「こんなルールあったっけ?」となってしまいかねない。前作の復習の場面では前作に登場したルールだけを入れ、本作から登場するルールは別枠で説明すべきだろう。さらにこの追加ルールを冒頭に前編のものと横並びで入れたことは大きな失敗だった。

さらに、冒頭に示した後編から登場する新ルールは嘘だったと後に判明する。観客を馬鹿にするのも程々にしておくべきだろう。観客だけが知る情報、観客は知っているが捜査側は知らない情報の整理がうまくなかったように思う。

そして、冒頭の主人公の恋人だった詩織の葬式の場面。葬式会場の受付の女性が、「この事件で一番可愛そうなのはライトだ」と言っている。一番可哀想なのは恋人だった詩織の家族じゃないのか。いくらなんでも無神経なセリフである。ただ、このキャラクターは詩織の家族を思いやれないセリフとして言っているのではなく、あくまで主人公を思いやるセリフとして言っている。だとしたらもう少し製作側に配慮があってしかるべきだ。これじゃまるで製作側に人の死を思う気持ちがないように見えてしまう。細かい指摘になるが、本作のような作品においてはこのような細かいセリフや設定にも気を配るべきだ。

それから、本作からいよいよテレビ局も登場人物の一つとして大きく関わってくる。本作には日本テレビも製作に携わっているが、本作のテレビ局は視聴率目当てという存在でしか描かれていない。日本テレビが製作でこんなこともやってしまうのかと思ったが、これくらい単細胞的に描くくらいの方がまだ良いのか。あと、このテレビ局ならびにマスコミの本作への関わり方は非常に中途半端である。これほどの社会現象になっているのにメインキャラクターとして登場するのは番組のプロデューサーとキャスター程度。本来ならテレビ局の幹部クラスが出てくる案件のように思える。これ以上登場人物を増やさないために矮小化したのかもしれないが、これならもう少し主人公たちに良い絡ませ方ができる筋書きを考えるべきだった。キャスターの人事の一件は下らなさすぎる(この下らなさこそ意味はあるようにも思えるが)。

そして、主人公が監禁されることを名乗り出るところや、それをLを含む捜査本部側があっさり受け入れるなど、まるで監禁されるのが最初から決まり切っていたかのような展開。これは不自然極まりない。もう少しそれに至る背景を描いてほしかった。というか、謎めいた展開を見せた後に、「実はこんなやり取りがありました」というのを遡って見せる展開が前作以上に多い。これをやってしまえば何とでもなってしまう。伏線→回収という流れを作る気すらないようだ。前後編ともにこの演出に頼ってしまったことで本作の価値を大きく損ねている。

現代の日本を舞台にした以上、この現代の日本の中で、あるいはその延長線上にある世界として本作は描かれてきたのだが、特に捜査関係者がデスノートの存在を知って、死神を目にする展開あたりから現実とのギャップが大きくなっていく。これは主人公やミサと、それ以外の人たちの間になんとなく境界線があったからだろう。終盤になって急に別の映画みたいになっていくように見える。

そんな本作の主人公は日本の警察の上層部にいる父親を持つ法学生である。男前で恋人もいて家族関係も良好でスポーツ万能である(前作冒頭のバスケ)。何の変哲もない男ではない。境遇だけを切り取ればどう見たって恵まれている。そして本作(ならびに本作の原作)ではその男に人を殺す力を与えた。本作では一貫して主人公の行いを割と突き放して描いてきた。法の限界について話す場面もあれば、人々がキラの行いを支持する場面もある。その意味において本作は割と中立の立場で描いていたと言える。

また、本作の主人公はデスノートという殺す能力を持てるだけでなく、父親のコネで大学生ながらキラの特別捜査に加わることにも成功している。主人公はそもそも恵まれているのだ。もっと後の時代ならこんなに恵まれた主人公に更に特別な力を与えるという作品は受けなかったかもしれない。たとえ突き放して描いた上に主人公の死で映画が終わったとしても妬みの対象として受け止められた可能性は高い。

デスノートを通じて私刑を繰り返してきた主人公に用意された結末は「死」である。私は原作未読だが、どうやら精神を患うという結末と異なる結末を映画版では用意したことになる。死をもたらす存在には死を。もちろん主人公の死をもたらしたのは死神のリュークなので、捜査側の人間が手を下したわけではない。原作とは異なる結末を用意した以上、「警察が捕まえる」という選択肢もなかったわけではない。やっぱり「こんな奴には同情できない。死をもって償ってもらう」ということなのだろうか。死神のリュークが手を下したといっても、このキャラクターはどう見ても人間的だった。とはいえ、このリュークが何を考えているのかはそこまで描かれていなかった。主人公の行動に疑問を投げかける場面はあっても、それは主人公に答えさせることで観客向けの説明を促していただけに過ぎない。このリュークが最後に手を下すならこのキャラクターについてもっと丁寧に描くべきだったと思う。

主人公はもしデスノートのおかげで犯罪が発生しない世界になったとしたら殺しをやめていただろうか。多分そんなことはないだろう。やはり本作の主人公は私刑がやめられなくなったのだと捉えるのが自然だろう。犯罪者の犯罪が次第にエスカレートしてスリルを味わうことが目的になっていくこともあるだろう。人間のあらゆる行動も、当初のきっかけと後の行動が必ずしも一致するわけではない。その意味において主人公の行動がすべて理解できないわけでもないが、やっぱりちょっと分かりづらい。

前後編とも鑑賞しても本作はちょっと不思議な作品ではある。演出や演技など残念に思う箇所も多数あるが、考えを巡らせたくなる映画ではあった。前編の記事でも記載したが、スーパーヒーロー映画の亜流である以上、やはりその苦悩とかは描かれるべきだったんじゃないだろうか。

【関連作品】


DEATH NOTE デスノート(2006)」…シリーズ1作目
「DEATH NOTE デスノート the last name(2006)」…シリーズ2作目
「DEATH NOTE デスノート Light up the NEW world(2016)」…シリーズ3作目
L change the WorLd(2008)」…スピンオフ



取り上げた作品の一覧はこちら



【配信関連】

 

<Amazon Prime Video>

 

言語

├オリジナル(日本語)

 

【ソフト関連】

 

<DVD>

 

言語

├オリジナル(日本語)

映像特典
├スピンオフ「L」告知映像

├劇場用予告編/TVスポット

 

<BD>

 

言語

├オリジナル(日本語)

音声特典

├金子修介(監督)による音声解説

映像特典

├藤原竜也、戸田恵梨香のメッセージ映像